みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

ユア・ストーリー再考

8月2日に公開された『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』から約2週間が経ちました。

私は初日の朝一に観に行ってネットの評判を見ないよう気を付けながら感想を書いたのですが、概ねラストの展開以外は納得のいく出来でした。

ところがネット上では最後の展開だけが切り取られて大荒れ。影響力のあるブロガーの方も慌てて良点をまとめた記事を追加するほど。

初週ではもちろん未見の方が多数を占めるので「はじめから観に行く気のない人」による粗探し&ネガティブな情報の拡散によって炎上してしまいました。

非常に残念でなりません。

映画の感想は実際に観た人が自分の感想と照らし合わせたり補完しあったりする共有目的で書かれたものが大半のはずで、ファンならば「自分の目で見るまでは信じない」という矜持があって然るべきものだと思っていましたが、今作の批判を拡散している連中のほとんどが映画ファンでない「ゲーマー」なわけで、ゲームという文化が映画よりも数段劣るという世間の偏見を自ら証明することになってしまったのではないかと。

 

オタクの所謂「○○は我が軍」みたいな思考が、攻撃対象を捕らえた時だけ盲目的に発動する事象は枚挙にいとまがなく、近年ではゲーマーゲート騒動のように女性蔑視がトランプ支持に利用されるなど頭が痛くなる案件だらけ。

本来マイノリティであったはずのゲームオタクが「影響力のあるとされる」ブロガーやメディアの記事を都合よく切り貼りして「金を出さない自分」を肯定するのは、まとめブログの構造そのまんまで、そんなものは思考でも何でもない。

特に彼らの多くが中年~初老に差し掛かる世代で、多くはスクエニのゲームで育ってきており、逆に言えばゲーム以外のアイデンティティがない(体験が薄い)ことで頑なに作品に固執している。

特にドラクエやFFのようなビッグタイトルに関しては先行公開されたビジュアルや設定に対して罵詈雑言を浴びせるのが慣例。ドラクエは過去に『ドラクエⅨ』において「ゲームハード戦争」という作品批評とは別次元の方向でネガティブな書き込みがAmazonレビューに連投されるという失笑ものの炎上を経験済み。

そういった歴史から学んでいるファンならば、ドラクエに関しては慎重に情報を精査すべきなのですが、もはやそんな気配すらない。

そうなってしまった原因の一端には昨今のスクエニのゲーム作品全体のクオリティ低下や、課金ガチャ依存などの怠慢もあり、そういったメーカーの現状がネガティブな情報の拡散に信憑性を持たせてしまっているという事もあるかとは思います。

しかしそういったスクエニの現状を知っていればいるほど期待値は下がり、ますます彼らが怒る理由がわからないのです。本当に謎なんだけど...

そういったことを踏まえて「監督」「原作者」「ファン」という三つのキーワードを軸にユア・ストーリーを再考してみたいと思います。

 

山崎監督への批判

山崎貴監督と言えば有名な原作を基にした映画を沢山任され大ヒットさせている反面、原作ファンからの反感も多く買ってきました。

今作に限っていえば、他作品と違い原作に沿ったストーリー部分は映画用に改変するに当たって相当に気を遣っています。私は個人的に山崎監督に特別な思い入れはありません。これまでに観たものも『ALWAYS 三丁目の夕日』を含む3作品ほどで、とくに好きでも嫌いでもないけど今作における批判は的外れなものが多いことは少し調べればわかります。

・山崎監督はドラクエⅤ未プレイ→これは花房監督(山崎氏は総監督)のインタビュー「私は結構ゲームが好きで、いろいろ遊んでいました。ただ、アクションやレースゲームをプレイすることが多く、RPGはそこまで深く知ってはいません」という発言だけを基に何故か「山崎監督は原作をプレイしていない」という事に置き換わってしまっている。山崎監督自身は『鬼武者3』のオープニングCGムービーを監督していたりとゲーム業界との関係はそこまで浅くはない。

・余計な副題を付ける→これも監督本人の意思で付けているというソースなし。バックにいる映画プロデューサーが付けているという説が有力だが、どちらにしてもソースなし。

ドラクエに寄生するな!→監督本人が公式の場で「何度も断った」と発言。スクエニサイドから何度もオファーを受けた。堀井氏とも相当のディスカッションを経ている。

 

「山崎監督はゲームを憎んでいる」とまで発展して拡散された情報は、映画を見て憤った客が自分の印象を裏付ける信憑性の薄い情報を肉付けしたデマが多く見られました。しかも映画の酷評を見たスタッフの一人(大久保榮真氏)が「ユアストーリー酷評してる奴らに「大人になれ」ってリプライする遊びやりてー。けど怒られそうー。」Twitterで発言し炎上。「映画のやつらは信用できない」という空気が強まりました。

対照的にスクエニ本体への批判があまり見受けられないのが不自然。

ドラクエⅧ』で「アクション要素を入れたい」という堀井氏の提案を却下し、鳥山明氏のイラストに事細かく駄目だししてきたスクエニが映画スタッフの暴走を許すはずもないのはファンならば容易に想像がつくと思うのだけど...

 

堀井雄二氏の存在

ドラクエ関連の公式放送を見ていると「堀井さんのOKさえ出れば」という発言を多く耳にします。実際堀井氏はドラクエ関連のあらゆる商品を把握していて、ゲームセンターに置く子供向けのカードゲームの試作品を工場までプレイしに行ったりと忙しく走り回っているようです。しかし逆に言えば、一つ一つのものに関わる割合はここ数年でかなり減ってきているようです。『DQヒーローズ2』では脚本をチェックしたエピソードしかなかったり、『ドラクエⅩ』に関しても最新のバージョンを把握している気配はありません。ただ、新しいプロジェクトを立ち上げる際にはかなりのチェックを入れる傾向があるので今回の映画も「堀井雄二の作品」の一つと捉えて間違いないでしょう。

今回堀井氏は山崎監督に2つのお願いをしたといいます。それが「プロポーズのシーンを厚めに」「ゲームを知らない方でも、一本の映画として楽しめる作品に」というもの。

実際にこの要望は果たされています。原作ファンからしてみればストーリーの端折り方に納得いかない所もあるかもしれませんが、ゲームを知らないで観た人が原作部分に関しては「楽しめた」という感想は比較的多く散見されました。

プロポーズのシーンにしても映画として上手く落とし込んでいるし、ここも何よりゲームを知らない観客に有名なシーンを知ってもらおうという意図が見受けられます。

堀井氏は最近でこそしなくなったそうですが、以前までは自分のゲームが発売されるとネットでエゴサーチして悪評を見ては落ち込んでいたといいます。

だからといって古参ファンに悪意を持っているとは思えませんが、少なくともドラクエをプレイしたことがない人達や新しい世代に目を向けていることは数々の最近の発言を見ても明らか。

 

ファンの捉え方

様々なファン層を抱えるドラクエですが、今回の映画に関しては「映画に攻撃された」かのように怒り狂っているファンが多く目立ちました。

ラスボスのセリフ「大人になれ」を含むメタ演出を監督が自分に向けて言ったメッセージと受け取る人が多かったようです。これに対し「夢が壊された」「もうゲームをゲームとしてしか見れなくなった」という失望の声が多数。

海外のドンパチゲーがやりたくてXBOX360からゲームを始めた私のような人間からすると「大人だからゲームで済ましてるんじゃい!」と思うことはあっても、壊されるようなものはどこにもありませんでした。

ただこのメタ構造には欠陥があります。

観客の多数を占めるドラクエファンは原作である『ドラクエⅤ』をプレイ済みであり、終盤までのシーンは主人公リュカに自分を完全に同期させて観ているわけで、メタ構造に気が付く前にこのセリフを言われるという事は自分に直接言われていると感じるのは致し方のない事。実際は20代(に見える)男性がプレイしているゲームの中で敵に言われるセリフなので決して観客に向けたメッセージではないし、その後の展開含めて映画全体としては悪くない演出だったと思います。

ただ、そこに至る伏線の少なさや主人公の掘り下げが浅いせいで結果的に評価が低くなってしまうのは当然。「ファンへの配慮が足りない」という意見は映画の完成度と全く無関係ですが、この部分に関しては「ファンへ配慮したかのような」ディテールが欠けていたように思います。

 

ここから来る「自分が侮辱された」という被害者意識はそのまま「監督のゲーム愛が足りない」という意見に変換されます。

この再考を私が何故書こうと思ったかの理由として、当初原作ファンとして望んだ映画化は『指輪物語』を原作とした『ロードオブザリング』のようなものでした。原作の設定に忠実で、知らない人からすると多少退屈でもファンなら楽しめる、そんなドラクエ映画が見たかったのだと思います。

だけど堀井氏やスタッフのインタビューを読んで、それはファンの傲慢なのではないかと思い始めました。

ドラクエⅤ』のストーリーは本当に素晴らしい。でもそれはゲームという双方向メディアで自分が主人公として体験することによってのみ得られる感動が多すぎることも知っていました。

ゲームを原作とした例でいうと、アトラスのゲーム『ペルソナ3』の大ファンである私は当然アニメも全て観ました。アニメ版は素晴らしい完成度で外してほしくないイベントもしっかりと再現されていました。

でも、あまり面白いとは思えなかった。

人から聞かされるストーリーと自分で体験するストーリー(ナラティブ)は根本的に構造が違います。ほんの些細な出来事でもゲームでの体験によって大きな感動を得られることがあります。しかしそれは受動的に鑑賞する映画において必ずしも同じ効果は出ない。ただ単に地味で不要なエピソードに容易くなり得る。

堀井氏は天才ゲーム作家ではあるけど映画に関しては素人(あまり観ないとも聞く)。だから細かい注文もそこまでしなかった。

昨今では特撮に造詣の深い庵野監督作品『シンゴジラ』やギレルモ・デル・トロ監督作品などは、そのディテールにおけるルーツ&カルチャーへの愛情の深さが映画の称賛と共に語られることが多く、その反面低評価の原作モノは「愛がない」という批判を受けがち(実際そのような作品もある)。

しかし原作者の怒りを買いながら傑作とされている『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『シャイニング』の例を挙げるまでもなく、一言で「愛」と言っても深さや角度も人それぞれだし、原作モノなら制約も山ほどあるわけで、そこで映画の良し悪しを語るのは後付けでしかないのではと思うのです。

現に今作ではスクエニの細かいチェックにより監督のアイデアのいくつかは却下されています。愛など入れる隙など無く、それによって原作に忠実な世界観が再現された…はずがBGMや一部装備に原作と異なる箇所があるのもまた批判を浴びています。

しかし『ドラクエⅩ』のプレイヤーの間では「過去作のボスも出せ!」という要望が非常に多く、堀井氏が「過去作のボスは大切にしたいので出す気はない」と公言しているにもかかわらず「いいから出せ!」という意見が多く、そのくせ過去作のBGMを使用すると「使いまわしやめろ!」と言うのだからたまりません。

結局彼らが本当に欲しいのは愛などではなく、無料でもらえるゲーム内アイテムやゴールド、ジェム(スクエニ通貨)であって、そういった特典をあのスクエニが前売り券に何故付けなかったのかは少々疑問です。

愛がどうこう言っている一部のファンは、ファンでも何でもない単なるドラクエ世代なだけで、いつまでも作品(と人)とまともに向き合えない精神性のまま大人になって過去にしがみついているだけに思えてしまいます。

ドラクエを私物化し、駄々をこねているだけ。

彼らが望むドラクエ映画は、結婚式で流されるムービーや走馬灯のような、自分の中だけに閉じ込めた思い出の具現化であって、そんなことは自分でやれとしか言いようがありません。

もちろんそういったファンは一部であって、その多くが映画を観もせずネタバレを拡散する「ファンもどき」に過ぎませんが、「ファンならば観ない方がいい」と言っている人もどうなのかと。様々な層のファンがいるからこそ、自分の目で見て評価を下すべきです。映画館じゃなくてレンタルでもテレビでも構いませんが、とにかくこの特殊な背景を持つ映画を他人の評価に委ねるのはお薦めしません。

 

ちなみに私個人の評価は、低めです。

スクエニや堀井氏がドラクエをどう扱って良いか迷っているように見えるから。

最後の仕掛けが上手く伝わらなかった点を除けば鳥山明絵のイメージを捨てたにもかかわらず多くのファンを納得させたのは前進だし、演技も良かった。

この映画を観てネット上の様々な感想と自分の意見を照らし合わせて色々考えたり、作品との距離感について反省できたので「観てよかった」という感想は嘘ではないし、新しいドラクエ体験が出来て「おもしろかった」のも本当です。