みやび通信

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アサシン クリード ヴァルハラ(Xbox Series X/S)

アサシン クリード ヴァルハラ
ユービーアイソフトモントリオール
2020年11月10日
PlayStation 5、PlayStation 4Xbox Series X/S、Xbox OneMicrosoft WindowsGoogle Stadia


本作『アサシンクリード ヴァルハラ』は、カナダを拠点とするUBIモントリオールスタジオによるアサシンクリードシリーズの12作目にあたる作品。アサクリのモントリオールスタジオ開発は2017年の『アサシン クリード オリジンズ』以来となる。

※以下、ネタバレなし

 

本作は9世紀のノルウェーを起点とし、イングランドをメインの舞台とする。「ヴァルハラ」とは北欧神話の用語だが、ノルウェーキリスト教が布教されるのは10世紀ごろと言われているため、この頃のヴァイキングたちは北欧神話に基づく北方信仰をアイデンティティとしていた。

 

ゲームは主人公のエイヴォルを操作し、「鴉の戦士団」を率いてイングランドに攻め込む。移動手段は船と馬。イングランドのマップには様々な人種、遺跡、宗教が混在しているが、これは当時のイングランドという国の混沌を上手く表現していると言えるだろう。


イングランドの歴史

イングランドといえば石器時代に作られたストーンヘンジが有名だが、これを作った民族は現在ではまだ不明とされている。その後、紀元前7世紀頃にケルト人が流入し、紀元前55年にはローマのユリウス・カエサルが侵入。5世紀になるとゲルマン人の侵入が始まりローマ帝国に混乱が広まった。449年にはアングロ・サクソン人グレートブリテン島に侵入。
アングロ・サクソン人は7つの王国を建設し、互いに覇権を争った。このイングランドに7つの王国が並立した829年までの380年間を七王国時代と言う。(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』)
その後、ヴァイキングによる侵入があるが、それこそが本作の主人公、デーン人のエイヴォル率いる「鴉の戦士団」である。この辺はかなり史実に基づいたデザインが随所に盛り込まれながら、歴史を知らない人にも理解ができるよう丁寧にデフォルメされている。


3つの世界が交差する

ヴァイキングが信仰する北欧神話もかなり複雑で解り難い世界観を持っているのだが、拠点にある古物に触れることで神話の世界を実際に体験できるようになっている。
神話篇は主人公も切り替わり、別の物語が展開される。ある程度進めるとハクスラ系のゲームに切り替わるが、いつでもエイヴォル篇と切り替えが可能。神話篇での報酬はエイヴォル篇で特別なアイテムと交換ができる。
これにいつものアサクリシリーズにある現代篇が加わり、合計で3つの世界が描かれるのだが、ゲーム終盤、これら3つの要素が一点に集約されていくストーリー展開は圧巻。


ただひとつ気になるのは、これまでのシリーズを通して重要な役割を持つ「テンプル騎士団」の存在と繋がりに関しての説明は少なく感じた。ほぼ1年に1作のペースで発売される本シリーズの全容を把握しているユーザーがそこまで多いとは思えないわけで、もう少し仔細が語られても良いかと思ったが、ただでさえ膨大になっていくプレイ時間との兼ね合いを考えると難しい部分ではある。本作では全ての謎を解くためにテンプル騎士団に関係する「古き結社」という組織を倒す必要があり、一部ストーリーにも関わってくる。これに関して、どこまでプレイヤーの興味を惹き付けて持続させたいかのビジョンが見えにくい。これまでにいくつかの過去作を経験していれば自然と受け流す事もできるが、初見のプレイヤーを混乱させてしまう要素になるのではないか。


アサシン要素は後退したか

本作では集団で敵側の陣地を襲撃するヴァイキング的な行動が重視されている。オンラインに繋いでいれば他プレイヤーが育てたキャラクターを傭兵としてスカウトすることも出来るし、強襲に特化したクエストも豊富。奪った物資で自分の拠点を拡大していくことで戦力を向上させ、宴を開くと一定時間バフ効果が得られる。重要な物資が隠されている聖堂のある敵拠点では、仲間と協力しなければ開かない扉や宝箱もあり、エイヴォル一人で全てをクリアするのが不可能な仕様になっている。
序盤では、こういった要素がアサシンらしさを損ねているのではと感じたが、シリーズ初期に確立されていたステルスアクションはほぼ全て残されており、聖堂以外では自由度の高いプレイを楽しむことが出来る。これはただ単に遊びの幅が広がっただけと考えるべきだろう。戦闘に関しても、スキルの充実によって幅広いプレイスタイルに対応しており、繊細かつ大胆なアクションが楽しめる。武器防具に関しても、気に入ったものを強化して使い続けられるので理不尽さはない。ヴァイキングという設定を生かしながらも、非常に高い自由度を獲得している。


UBIオープンワールドの到達点

オープンワールドというジャンルを分類すると、まず「都市型」と「自然型(ファンタジー系含む)」に分けられる。これは同時に、オープンワールドというジャンルがGTA及びそのエピゴーネン(GTAクローン)から解放されていく歴史としても語ることができる。GTAは全ての車両をプレイヤーがインタラクト可能な生物とすることで生命感のある都市を演出した。その後、ベセスダのThe Elder Scrollsがコンシューマに移植されることで都市型以外のオープンワールドも広く認知されることとなる。The Elder Scrollsではモブキャラに物語を持たせる(サブクエストの拡充)ことで新たなリアリティを獲得した。しかしそれ以降は、作り込みの甘い作品であってもシームレスなフィールドを実現していればオープンワールドだという認知が広まっていく。そしてそれはゲームエンジンの進化に依存し、当初GTAThe Elder Scrollsが内包していた思想は徐々に薄れていくこととなる。そうした中で新たな視点を獲得していったのが一連のUBI作品だ。アサシンクリードパルクールやステルスによってオープンフィールドに新しい軸を設定した。拠点制圧型に暗殺要素を足すことで市民の暮らす街と戦場を折衷。高所への移動によるマーキングは、マップの解放とプレイヤーの恣意的な探索との関係を直結させた。歴史的な名所を舞台とすることで探索に観光の要素を加えたのも、オープンなフィールドがどのようにしたら生きるかを見越した慧眼と言えるだろう。
ロックスターがGTAのコンセプトを西部劇として解釈した『レッド・デッド・リデンプションII』(2018年)にあった諸々の要素も部分的にではあるが本作は取り入れている。馬や船による移動中の会話や歌、暗殺者として付け狙われる指名手配的なシステム。
そしてRDR2におけるキャンプと同様、本作の拠点での演出にも驚かされることがあった。しばらく時間を空けて拠点に帰ると、それまで普通に話していたキャラクターが亡くなっており、仲間が悲しみに暮れ、街の外れに墓が立っていた。こうした出来事が実にさりげなく挿入されている。探索をメインとしているため、点在する無数のクエストはかなり短時間で完了する。だからといってお使いだけの手抜きではなく、その土地の風習や文化を説明する役割を果たしていて興味深いものが多い。

 

そうかと思えばわざわざ個別の島が用意されているクエストが2つもある。その一つは奴隷を装い裸同然の装備でサバイバルするものなのだが、これは『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017年)からの逆輸入であろう。BOTWがアサシンクリードに影響を受けていることは明確だが、それをさらにアサクリ側が取り入れることで良い効果が生まれている。

 

BOTWにおける「祠の試練」のような謎解きも本作中に点在しているが、BOTWではただ単にプレイヤーのためだけに存在しているミニゲームとして存在しているのに対し、本作では納得のいく説明がされており、数もそこまで多くはない。これに加えて先に挙げた短いクエスト、生きた街、プレイヤー依存だけではない拠点などが組み合わさることによって、広大でありながらも飽きの来ないフィールドが実現されている。
ロックスターともベセスダとも異なる独自の路線を歩みつつ、あらゆるオープンワールドゲームの良い部分を積極的に取り入れていった結果として、本作はUBIが目指してきたオープンワールドの2020年時点でのピークに達しているといっていいだろう。

 

暴力表現と史実の肯定

UBI作品、とりわけオープンワールドのシリーズに関しては、そのほとんどが殺人ゲームだと言って間違いはないだろう。そして、そうした自身の暴力性に対してかなり早い段階から意識的、かつ批評的に取り組んできたのもUBIだ。特にファークライシリーズにそれは顕著である。多くの暴力表現のあるゲームに関して、暴力は主人公に降りかかる厄災である。一見そう見えなくとも、環境的な貧しさや使命が暴力表現を正当化している場合もある。
アサシンクリードは、歴史上重要な場面に居合わせた人物の子孫が、その遺伝子から先祖の行動を夢として追体験するという設定となっている。これは正にゲームとプレイヤーとの関係性をメタ的に表している。
当たり前の話だが、ゲームで人は殺せない。プレイヤーは開発者によってあらかじめすべてをプログラミングされたものを巻き戻された状態で渡されているだけに過ぎない。
それを映画のような視覚聴覚以外の方法で体験しているだけだ。
だからこそ、そこにあるナラティブ(物語、設定)が重要となる。それを最初に公言したのがロックスター・ゲームスの創設者ダン・ハウザーで、それを強く意識するようになったのは『GTA IV』(2008年)の開発期間中であったという。コンシューマーゲームが当時の次世代機であるPS3XBOX360に移行していく中で更新されていくリアリティや自由度に対する危機感として、ナラティブを重要視していくことは暴力表現を扱うゲーム開発者の意識としては必然であった。それこそ、スコセッシや北野武はギャングを醜く描くことに余念がないし、GTAの元ネタである映画『スカーフェイス』の主人公の最期は数えきれない銃弾を浴びて無残に死ぬ。
本作の主人公であるヴァイキングたちもまた、確実に滅びゆく運命が決定している。
船に乗り込み、川沿いの集落を襲撃し、略奪する姿は野蛮以外の何者でもない。しかし、彼らも、彼らに殺される側も、それぞれの現実を生き、それぞれの幻想に支えられていた。そうした背景を細かく描くことに対して本作は余念がない。

 

ヴァイキングたちはヴァルハラを目指して戦い続ける。ヴァルハラとは戦死者だけが行ける戦と宴が延々と繰り広げられる世界で、そこで戦士たちは最終戦ラグナロクの準備をする。
死にゆくヴァイキングが「斧を取ってくれ、斧を抱いて死なないとヴァルハラへ行けない」と主人公に懇願するシーンが本作中には幾度も出てくる。
ここにはファンタジー作品にあるような魔法使いも巨大なドラゴンも存在しない。表層的には無知で野蛮な人間同士が殺し合っているだけだ。しかし、その背景にある神話や現代との繋がりを意識し、追体験することで複数の視点からなる立体世界が表出する。それは確かに野蛮ではあるが、様々な示唆に富んだものとなっている。


最後に

ここまであらゆる要素が多層的に構築されていながら、自由度の高いゲーム性と広いフィールドを飽きさせない作りとして完成させたことは驚異だ。
本作が発売された同年には『Ghost of Tsushima』が高い評価を得た。あちらが侵入者から自国を守る立場であるのに対し、本作は他国へ攻め込んで略奪するゲームだ。Tsushimaは被害者的な立場であるから、戦うことへの正当性やドラマチックな演出が現在の価値観からして共感しやすかった。それに比べて本作のヴァイキングの価値観は、現代とはあまりにもかけ離れている。にもかかわらず、エイヴォルが内包する多層的な物語はあまりにも感動的だ。それはアサシンクリードというゲームの持つ設定と、北欧のヴァイキングが信仰する神話を徹底的に可視化した結果だろう。ゆえに、プレイ時間は必然的に膨大になる。120時間プレイしてイングランドの全ての領土を侵略してもエンドロールが流れない。長く遊ばせることと、長くならざるを得ない都合との折り合いがもう少し欲しかったところだが、名作であることに変わりはない。

 

 

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