みやび通信

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Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-(PS4)

Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-
The chinese Room
2015年8月11日
PlayStation 4、steam

 

本作『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-』は、イギリスのブライトンを拠点とするThe chinese Roomによるインディゲーム。
The chinese Roomは2008年に制作した『Dear Esther』というゲームにより一躍有名となった。
本作のレビューをするにあたり『Dear Esther』のスマホ版をプレイしたが、現在日本語訳はsteam版の有志によるパッチのみが存在し、日本語だけで全貌を理解するのは難しい。

 

Dear Esther

『Dear Esther』は『ハーフライフ2』のMODとして制作され、その美しいビジュアルと音楽、謎めいたテキストにより多くのユーザーの称賛を浴びたが、そのゲーム性の薄さと、移動手段が徒歩しかない(走ることも出来ない)ことから「ウォーキングシミュレーター」と揶揄された。その後、多くのフォロワーによる優れた作品が数々と制作されたことにより、ウォーキングシミュレーターはゲームにおける一つのジャンルとして認識されることとなった。

 

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『Dear Esther』は基本的に一本道のマップを延々と歩きながら主人公の男のしゃべるセリフ(手紙の断片)を聞くだけのゲームだ。しかし、聖書やウィリアム・S・バロウズの作品から引用されたテキストはプレイヤーの想像力を掻き立て、多くのファンによる考察が異様な盛り上がりを見せることとなった。手紙の相手であるEstherという女性とはいったい何者なのか。また、プレイヤーが操作している人物とEstherとの関係性も明言されることはない。ゲーム性を欠き、説明不足のテキストを軸としながらも『Dear Esther』が何故これほどまでに多くの支持を集めたかは、実際にプレイすることでその一端を垣間見ることができる。
ゲームは、小さな島をぐるりと回り、洞窟を抜け、中心部にある鉄塔の上に登り、そこから飛び降りることで終わる。これが主人公の身体の暗喩であるという考察は一定の説得力を持つ。

 

幸福な消失

さて、本作『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-』も、基本的には『Dear Esther』のゲームシステムを踏襲しているといえる。
舞台はイギリスのハンプシャー。マップは架空の田舎町ヨートンと、現在閉鎖されている天文台「VALIS」からなる。ゲームを開始するとVALIS天文台に勤務するケイトというアメリカ人女性の独白を聞かされ、その後プレイヤーは目的もわからずヨートンの町に放り出される。『Dear Esther』と同様、マップ上に人の姿は見られず、歩くスピードは遅い。
探索の中で見つかるラジオや電話、浮遊する謎の光にインタラクトすることで、かつてこの町で生活していた人々の声や行動が記憶として再現される。
未知のウイルスにより町が閉鎖され、戸惑う町の人々。原因を突き止め、解決しようと奔走するケイト。その全てが無駄だったことは、この無人のマップを見れば明らかだ。

 

1980年代のある日、この町にいた全ての人が消失し、まるでついさっきまで彼らがそこにいたかのような状態が保存されている。ゲームは美しいビジュアルと音楽に支えられ、広大なマップはオープンワールド的な要素を加えることで立体化する。その要素とは「光」だ。探索を続けていくと、この町で起きた事件が単なるウイルスによるものではなく、「意思を持った電気」のようなものに住人が感染していった経緯が語られる。やがてその電気はあらゆる光に反応し、教会の蝋燭にさえ変化を促す。
町中の電線を伝い住人たちを次々と消し去る「意思を持った電気」のようなもの。それをなぞるように記憶の光を求めて町中を歩き回るプレイヤー。本作のこうしたシステムは『Dear Esther』におけるレールプレイを前進させようとする意志が感じられる。この無人のマップを無人たらしめた「意思を持った電気」と同じ道をプレイヤーに歩ませ、やがてその過程でケイトの意識と合流し、物語は最終的に閉鎖された天文台にて、満点の星空に収束されていく。

 

総評

プレイヤーと切り離された世界に配置される消失した住人たちの会話劇。抑制されたインタラクトの中でプレイヤーは光と同化し、町中を流れる血管を伝うように、かつてそこにいた人々の痕跡を辿る。こうした思想に支えられた本作『Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-』は、かつて『Dear Esther』が顕現させてしまったウォーキングシミュレーターというジャンルを何歩も推し進めようと試みた意欲作である。

しかしながら、実際に最後までプレイした感想として、本作での体験には少なくない苦痛を伴ったことだけは言っておかなければならない。一本道の『Dear Esther』とは異なり、本作には広大なマップが用意されている。その中を探索しながら散らばった住人たちの記憶をプレイヤーの頭の中で繋げてドラマを完成させるシステム自体に異論はない。が、最終的にゲームのエンディングに辿り着くためには、ケイトを中心とする重要人物の記憶をある程度揃える必要があり、一つでも取り逃すと光を求めてマップ内を右往左往する羽目になる。この場合、歩行速度の低さによって受けるストレスは甚大だ。
ウォーキングシミュレーターというジャンルにおいて、本作のマップの広さと精緻さは適当であったか。物語を語る上でのプレイヤーの能動性の抑制とフラグ管理のバランスにも疑問が残る。これらのネガティブな要素が特にゲーム中盤から悪目立ちする。もちろんそこにはプレイする人間による差があるのだが、果たして物語を体験することに特化したウォーキングシミュレーターにとって、クリアまでの難易度に個人差が必要かどうかは議論の余地があるだろう。
そういった意味で本作は、素晴らしい物語とゲームシステムを持ってはいるが、決して間口が広いとは言い難い作品となっている。

 

 

©2015 Sony Computer Entertainment America LLC. Everybody’s Gone to the Rapture is a trademark of Sony Computer Entertainment America LLC. Developed by The Chinese Room.