みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

FINAL FANTASY VII(switch)

f:id:miyabi-game:20200408192441j:plain

FINAL FANTASY VII
スクウェア・エニックス
2019年3月26日
Nintendo Switch,Xbox One,iOS,Android,PlayStation4,PC

 

FINAL FANTASY VII』は1997年に発売された日本で最も売れたゲームの一つ。

今回プレイしたのは2019年3月26日にSwitchとXbox Oneで配信されたリマスター版です。

もはや語り尽くされた作品ではありますが、『FINAL FANTASY VII REMAKE』(2020年4月10日)の発売を目前にした現在プレイしてみたらどんな感じなのか興味があり久々に遊んでみました。子供の時にリアルタイムで遊んだ以来です。

今回プレイしたリマスター版ではオリジナルに様々な要素を加えたものですが、ムービー以外ほとんどの場面を3倍速で進められる機能があり、20~30時間ほどで楽々クリアできました。

※ネタバレあり

 

キャラクターとマップ

f:id:miyabi-game:20200408201902j:plain

今作ではCGで丁寧に描かれた絵の上を3Ⅾのキャラクターが動き回るという疑似3Ⅾともいえるシステムが採用されているのですが、これがとても新鮮で美しい。

最近よく見られるポイント&クリック系のゲームにも使われている手法ですが、今作のアンバランスさは当時のアイデアの粋が存分に生かされていてかなり独特。2ⅮCGの書き込みと、そこからシームレスにムービーに移行する演出など、一切の手抜きが見られず現在の視点から見てもアート作品としてのオリジナリティと質が高いです。

 

f:id:miyabi-game:20200409034809j:plain

ハリボテの上で動くキャラクターは今見ると…というかおそらく当時でもカクカクの人形のように見えたはずですが、これはストーリーにも関わってくるので後述します。

動きや表情の表現ももちろんそこまでのバリエーションはないのですが、これまで過去作で養ってきたドット絵による表現が上手く落とし込まれていて、大ぶりな仕草による動作はリアルな等身では表現できないような悲劇や喜劇を人形劇のようにごく自然に見せ、今作の個性的な演出の数々がこのビジュアルによって説得力を持てたことは間違いないでしょう。

 

コラージュ的な世界観

f:id:miyabi-game:20200409035928j:plain

数えきれないほどのミニゲームやイベント。ダンジョンもコピペではなくそれぞれ異なる仕掛けが施されていて、現在プレイしてみて面白いかというと正直完成度にバラつきがあり面倒だったりするのですが、圧倒的物量が詰め込まれたFFⅦの世界全体が優れたコラージュ作品のように奇跡的に纏まっていて、次から次へと違うゲームを畳み込まれること自体がとても楽しい。ミニゲームやイベントが多いゲームなら他にもありますが、これほどちぐはぐなものばかりをぶっ飛んだストーリーの中に放り込みながら最高にエンターテイメントしている作品は他に思い当たりません。ゴールドソーサーにチョコボ育成、潜水艇シミュレーションなど、ここでは書ききれないほど多くの遊びがあり、それらが全て独立したゲームとして作られているという豪華さに圧倒されます。

 

ストーリー

f:id:miyabi-game:20200409141253j:plain

星から魔晄エネルギーを搾取して巨大化した企業「神羅カンパニー」と、それに反抗する組織「アバランチ」との対立という構図で話が始まるのですが、途中から神羅カンパニーのソルジャーであるセフィロスに全員が翻弄されていくという流れに。

主人公のクラウドアバランチに雇われた傭兵で、元は神羅カンパニーのソルジャー。作戦を進めていく中で様々な仲間に出会うのですが、皆それぞれが初めに出会ったときには「理想の自分」を演じていて、実際彼らの故郷なんかに立ち寄ると別の顔が垣間見えます。

シュタインズゲート』(2009年)や『ひぐらしのなく頃に』(2006年)などの00年代傑作ADVゲームと似ているなと思いながら進めて行ったのですが、主人公クラウドに関するエピソードの流れが上記のADVと決定的に異なる「90年代的」なものへと集約されていきます。

「本当の自分と向かい合う」という展開は『シュタインズゲート』ではネット世代的なものとして、『ひぐらしのなく頃に』ではメタフィクション的なものとして機能していましたが、『FF7』では当時流行していた「自分探し」を強く意識したものなのではないかと。

 

自分探し

自分探しについて調べてみてもはっきりとした年表があるわけでもなく、正直よく分からなかったのですが、あくまで私の個人的な印象を書いてみます。

「自分探し」という言葉自体は80年代後半からありましたが、バブル崩壊により社会にコミットできない・する気のない若者(20~30代)が増えてきたことにより時代の空気として共有されていたのではないかと思います。

家庭や学校、社会によって作られた「自分らしさ」は偽物で、本当の自分というものがどこかにあるのではないか?という答えのない漠然とした気持ちに確信が持てた時代だったのではないかと。

当時のJPOPの歌詞も「ここではないどこかへ」「答えを探し続けてる」など、今見ると全く中身のない感じの歌詞が若者の支持を得ていました。

FF7』は97年に発売されましたが、それ以前にアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年10月4日)や『ドラゴンクエストVI 幻の大地』(1995年12月9日)が先に「もう一人の自分(世界)とシンクロする」という「自分探し」を題材とするストーリーを展開していました。これらの作品もメッセージ性というより、その難解な設定を「考察すること自体」に意味を感じられる時代の空気があったのではないかと。私自身が「自分探し」にあまり興味がないのでピンとこないというのもありますが…

こうした空気が蔓延する90年代にスピリチュアルの分野で自分探しをする若者に「答えをくれる人」として一躍有名になったのがオウム真理教代表の麻原正晃でした。

そしてエヴァ放映とドラクエⅥが発売された95年にあの「地下鉄サリン事件」が起きます。この事件により「なぜ若者はオウムに惹かれたのか」があらゆる方面から分析され「自分探し」の雲行きも怪しくなってきます。

答えを探し求めていたはずの若者が、自分の神秘体験を肯定してくれる教祖の言いなりとなって大量殺人を起こしてしまったという事実は「自分探し」界隈に大きな衝撃を与えたであろうし、その2年後、『FF7』の発売年には当時14歳の酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年による「神戸連続児童殺傷事件」が起きます。

酒鬼薔薇聖斗の殺人の動機ははっきりとは分かりませんが、2015年に発売された酒鬼薔薇本人による手記には

「僕は、淳君(被害者)が怖かった。淳君が美しければ美しいほど、純潔であればあるほど、それとは正反対な自分自身の醜さ汚らわしさを、合わせ鏡のように見せつけられている気がした(略)僕は、淳君に映る自分を殺したかった」

と書かれています。彼の言葉をそのまま信じることは出来ませんが、この言葉が創作であったとしても、あまりにも90年代的な印象を受けてしまいます。

FF7』と同じ97年に発売された須田剛一作品『ムーンライトシンドローム』は、こうした90年代中期の混沌をサイコホラーというジャンルに混沌のままパッケージングすることで「97年」という時代を的確に捉えたゲームといえるでしょう。

 

f:id:miyabi-game:20200409170604j:plain

では『FF7』は90年代という時代に対してどういう態度を取ったのかといえば、「ゲーム作品として全て背負って終わらせにかかった」のではないかと。

セフィロスのコピーとして人工的な記憶を埋め込まれた「からっぽの存在」としてのクラウド。しかしそれがティファの記憶を基に作られたことをクラウドが受け入れることにより自分探しの旅は終わりを迎えます。

 

f:id:miyabi-game:20200409174542j:plain

皆が意識的であれ無意識的であれ、それぞれの幻想の中を生きているけど、大切な仲間の記憶の中の自分もまた紛れもない自分であるということをエアリスの死を通して理解し、仲間たちの記憶の中に自分の存在意義を見出すことにより自分の中だけの狭い幻想に閉じ込められていた自分を引きはがします。

理想の自分を演じ、それを追いかけることでからっぽの自分に絶望したりしながら社会性を獲得していくクラウドの物語は、そのままゲームキャラクターとしてのクラウドとプレイヤーとの関係性をも示唆しているようにも思えました。

FF7』という作品が20年以上経った今でも多くの人に愛されているのは、ゲーム内のキャラクターの人間性がしっかりと描かれていることはもちろん、人形のようなビジュアルや美しい一枚絵の背景がストーリーとリンクして確かな説得力を持っていることが色褪せない魅力として輝きを保ち続けているのではないかと。

 

 

正直、久々に『FF7』をプレイしてみた感想として、ここまで良く出来ているとは思わなかったです。もちろん上記した90年代的「自分探し」要素を抜きにしてもSF・ミステリ・特撮モノとして十分楽しめる大作ではあるんですけど、やはり同時代的な引っ掛かりが強い作品であるがゆえに今でも名作として愛されているのだと確信出来ました。

90年代におけるファイナルファンタジーというゲームが技術的にもストーリーのテーマ的にもここまで時代と社会を強く意識していたのだということが今回プレイしてみて一番の学びでした。

 

で、明日4月10日にはリメイク版が発売され、もちろん私も買いますが、これどうやってリメイクするの!?

90年代的観点から見ると感動的な名作ではあるけど、2020年にこのままやるとは考え難いし、ファンの期待に沿って改変しない方向で行けばひどく古臭いものになりそう。

ただ、ストーリーの核にあるクラウドの物語自体は現在でも通用するし、そこまで心配していない…というか楽しみしかないですね!

 

 

Copyright © Litera All Rights Reserved.
© 1997, 2020 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
CHARACTER DESIGN: TETSUYA NOMURA/ROBERTO FERRARI
LOGO ILLUSTRATION: © 1997 YOSHITAKA AMANO