Florence
Annapurna Interactiv
2018年2月14日
ゲームをしている時にゲームを邪魔に感じることがよくある。
どんなエンタメでも、それがそれである事が見えてしまって、なんとか自分の中で技術的な部分を咀嚼し納得させている。
ゲームを作るのは大変なんだと、ゲームをプレイしているとつくづく思う。
だって、上手くいってないから。
ストーリー性のあるゲームに没入しかけても、必ずゲームにぶち当たる。ゲーム性が低ければ、それはそれでゲームである必然性があるのかと疑問に囚われる。
いつもそう、だってこれはゲームだから仕方ないんだ、そういうものだから。
最近のゲームでは画面からUIを排しているものも多く、当の開発者側もどれだけ従来のゲームから離れられるかを模索しているように見える。
しかしどれだけ遠くに逃げてもやはり諦めなければならない境界線のようなものがあって、必ずどこかでぶち当たる。
気が付けばストーリーを一時中断し、またいつものゲームに興じている。
Florenceは、主人公であるフローレンス・ヨーの人生の一部を追体験するアドベンチャーゲームだ。
このゲームにはほとんどテキストは存在しないが、ゲーム内の彼女はよく喋り、動き、悩む。
それらは全てプレイヤーの操作によって進んで行く。ゲームとしてはとても簡単だけど種類は少なくない。
全てに無駄がなく、彼女の生きた時間や気持ちに操作が連動していて、その表現力たるや凄まじい。
同棲している彼氏と喧嘩してしまい気まずい夜、パズルが提示される。
合わせたい、合って欲しいのに、合わない。
ゲームを開始してしばらくは、このゲームの表現の素晴らしさ、音楽や絵の魅力に引き込まれて、早く先を見たくてスマホの画面をスライドしていたのに、気が付けば彼女の人生をなぞって泣いていた。
このゲーム、たくさんのゲーム的な事をさせられているにも関わらず、まるでゲームのような気がしない。
作り手の感性、伝えたい事が言葉に変換されずダイレクトに入ってくるような凄さがある。
こういうゲームが今までなかったかというと、そんなことはないんだけど、たくさんのゲームを知っている人ほどFlorenceがゲームとして突き詰められて練られた作品だとわかると思う。
やっぱり、諦めることなんかなかった。
ゲームがゲームとしてゲームを乗り越えることは、出来る。
このゲームが、それだ。