みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

オンラインゲームの敷居

ここ10年程でどの家庭にもネット環境が整い誰もがスマホで気軽にインターネットにアクセスできる時代になりました。

初期のころからネットに精通していた一部の人たちとは違い、突然無防備な状態のところにパソコンやスマホを与えられた人たちが無邪気に投稿した写真や言葉が晒上げられ炎上してニュースになる。

危機感の強い人ならネットを便利に利用はするけど自分からは発信したり参加するのは避けるだろうしそれは正しい判断だと思います。

様々な手続きや付き合いなどで100%ネットと無縁の生活を送ることは困難ですが、その線引きは個人個人の判断に委ねられています。

 

日本のオンラインゲームは割と昔からあったのですが回線などの手間や料金などのハードルも高く一部のコアなゲーマー向けでした。

しかしここ数年では特にオンラインゲームということを強調していないようなタイトルのものであっても当たり前にネット環境を前提にしたつくりになっています。

オフラインでも十分遊べるけどオンラインに来なければそのゲームを100%遊べないというものです。

 

レースゲームやスポーツゲームなどの一期一会の対人戦というのは気軽に短時間で遊べることもあって敷居は低いほうだと思うのですが、いわゆるMOやMMOとよばれる「ネット上の人とパーティーを組んで意思疎通(チャット、ボイスチャット)をして自分の役割をこなす」タイプのゲームはまだまだ抵抗を感じる人も多いように思います。

今回はそちらのMO・MMOに関しての私の見解を書いてみます。

 

 

性善説と放棄

多くの人が行き交うオンラインゲームの世界はさながら1つの街のようですが実際はお店に近いです。

ゲーム会社はサービス業なので法律や警察のような行政機関もありません。

とても悪質な、メーカーやその関係者にまで被害が及ぶようなことには法的措置をとることもありますが、基本的にユーザー間のトラブルには一切関与しません。

例えばお店のレジが行列を作っている時に横入りをしても店員は何も言いません。

現実では「お客様ちゃんと並んでください」と言ってくれる店員さんもいますがゲームの世界だと店員もNPCなので絶対に何も言いません。

そういった悪質な事が長期に渡り継続している場合でも何もしないんですよね。

 

広く誤用として解釈されている性善説に「人は皆基本的には善人」というのがあるんですけど、オンラインゲームのほとんどがこの概念に寄りかかっているのではないかと思えるところがあるんですよ。

「細かいことはこちら側からは何も言わないけど、みんなはみんなでうまくやってよね!みんな基本的には良い人だと信じてるから大丈夫だよね!」みたいな。

 

ゲーム内に自動車が実装されるとして、でも信号は作らない。

その自動車で人を轢こうとしても透過されたりぶつかって自動車のほうが止まる、というような仕様を作るのが運営側の精いっぱいなんですよ。

悪質なプレイヤーが集団で一人の歩行しているプレイヤーに車でぶつかるといった嫌がらせは出来るんですが、そこにはゲームの運営側はほとんどの場合関与できません。

 

もし仮に信号を作ったとしたら「我々を信用していないのか!」「ゲームなんだから自由にやらせろ」という反対意見が多く出るのも事実。

つまり性善説とはこのようなクレーマーの正論に運営側の怠慢が乗っかった形で成立しているように思えます。

怠慢と書きましたが、そのような手間をかけていたら製作費も時間もそっちに取られてゲームなんか作れなくなるので仕方のないことなんですけどね。

 

 

どうぶつの森」に見る任天堂の方向性

この性善説を強く思ったきっかけとして最近任天堂から出たスマホアプリの「どうぶつの森 ポケットキャンプ」があります。

このゲームはいわゆる「ほのぼの生活系」と言われるジャンルのゲームで、ゲーム内で釣りをしたり服をデザインしたり家具を集めたりするタイプのゲームです。

オフライン時代の作品ではリアルフレンドと携帯機のDSを持ち寄ることによって自分のデザインしたシャツを交換したりチャットしたりすることが出来ました。

なのでこのゲームがスマホアプリになると聞いて多くの人は「離れた友達やネットの知り合いと同じことが出来る!」と思ったことでしょう。

 

実際発表された「どうぶつの森 ポケットキャンプ」ではそれらがすべて出来なくなっていました。

チャットや取引はおろかリアルタイムでの交流が一切できないので知り合いのキャラがいてもNPCのように突っ立っているだけ。

大成功が約束されていたタイトルもこれまでの要素を剥ぎ取ってしまっては飽きられるのも早く失速してしまいました。

 

ここかから見えてくるのは任天堂がオンラインゲームの定石とされていた性善説を捨てているということ。

どうぶつの森で取られた仕様の根本にあるのは「悪い大人から子供を守る」という考えだったのだと思います。

世の中には悪い大人や悪質な人間がたくさんいてゲームを遊ぶ子供たちに悪影響を与えるのではないか。

服のデザインに卑猥な言葉や絵を描いたりレアアイテムを売ろうとしたり汚い言葉をチャットで言ってきたりするのではないか。

きっとそのようなことが考えられてガチガチの設計になったのではないでしょうか。

 

ここ数年の任天堂は独自のSNSサービスのようなものや3DSでのボイスチャット機能などのサービスを提供してきましたが、それらがあまりメーカー側にとって芳しくない結果だったのではないかという見方もできます。

一部では人気のあったこれらのサービスも早々に打ち切ってそれらに代わるようなものもリリースされていないということはそういうことなのでしょう。

 

今はスマホを所有している子供も少なくなく、この作品で初めて「どうぶつの森」を遊ぶ子供たちも多いはずです。

任天堂の今回の判断は子供たちのことを考えると英断と言えます。

もちろんいい大人にもなって「どうぶつの森」の新作を待望していた層にはがっかりでしょうし、そこをターゲットにしたほうがアイデア的にも流用で楽だしお金も儲かったと思うのですが。

ただ今回のポケットキャンプはゲームとしてもまだ試行錯誤で、ただの引き算になっていて新しいアイデアがなかったのが失速の原因になっているのかなと。

 

 

情弱中心の世界

現実の政治の役割にはマイノリティの人たちを助けることが重要とされています。

病気の人や災害や犯罪の被害者の人たちをどう救うかが議論されますよね。

上記しましたがオンラインゲームの世界にはこのような政治や法律もないので善悪の判断はプレーヤー間に委ねられています。

これまた民主主義の適当な解釈なんですけど、多数派が正義みたいな空気があります。

マイノリティは徹底的に排除する方向に傾きます。

しかも外部の掲示板や攻略サイトなどで勝手に決定されるんです。

そういうサイトも広告収入のために運営されているので意図的に刺激的で情弱を釣るような記事がほとんどなので完全に情報操作なのですが、実際オンラインプレイヤーのほとんどが情弱なのであっという間にゲーム内の空気も染まってしまいます。

 

あるゲームでは「〇〇〇」という本名に近いひらがなの名前の固有名詞が地雷認定されています。

他にも特定のジョブや種族を選ぶだけで地雷認定されることもあります。

もちろんそんなめちゃくちゃな差別をみんながあからさまにするはずがないのですが、パーティーに誘われる確率は格段に下がるというのが現実。

ここでもう「情弱が本気で信じそうな差別の対象からあらかじめ外れておく」というひと手間がかかります。

 

「はじめてのオンラインゲーム!ちょっと怖いけど飛び込んでみよう!」と言ってボス戦まで進めるとパーティーのメンバーから「その装備じゃ勝てないよ」「攻略サイトは見たのか」などと言われます。

もっとやさしい言い方で言ってくれる人もいますが、とにかく言われます。

もしも万が一言われなくても、そう思われています。

それが同じパーティーで数回目とかならわかるのですが、完全な初心者に対してでも平気でネタバレしてきます。

初心者のせいで他のメンバーが負けると報酬がもらえなかったりなどのデメリットがあるのは確かですが、なにゆえ一回目すら泳がせてあげる余裕もないのか。

その理由として多くのプレイヤーが情報の海に長期間どっぷり浸かりすぎていてテンプレから脱却できないという問題が横たわっています。

 

それぞれのプレイヤーは特定の影響力のある攻略サイトに依存していて、もはや新しいボスが出ても「みんなで一回対策を練るために行ってみよう!」などとはならずに、そのサイトにそのボスの攻略法が出るまでじっと待って準備をしてから行きます。

それとオンラインゲームのプレイヤーは廃人からエンジョイ勢まで全ての人が全体の競争に巻き込まれていて「いまどき〇〇の装備ない奴は地雷」などの煽りを自ら受けに行ってるスタイルなので一般の初心者のような何の影響力もない人間の話なんて全く聞いてくれないのです。

 

そういった情弱が初心者に「これからずっとこのゲームやっていきたいんなら今から覚えておいたほうがいいよ」みたいなことをよく言うのですが、余計なお世話ですよね。

しかし彼らには精神的な余裕もないし何か聞いても偏ったサイトの知識しか引き出せないので結局「自分で予習しよう」ということになります。

 

 

おもしろい時期にやろう!

上に書いたように、もうすでにサービス開始から数年経過しているオンラインゲームでは初心者であることがマイノリティになってしまって新鮮な気持ちで遊ぶことが難しくなってきます。

「オンライン怖い」と言っている人はきっと数年の歴史があるゲームのまとめブログでも見たんだと思います。

まとめブログなどはゲーム自体の内容がマンネリ化してくるとマイノリティの人たちを嘲笑し地雷認定したりする煽り記事でアクセスを稼ぐようになるので怖がるのも当たり前ですよね。

ですがオンラインゲームの中にはおもしろいものもたくさんあるし、自分の好きなタイトルにオンライン要素があって避けられなくなることもありますよね。

 

何年もサービスが続いているオンラインゲームでも必ず言われるのが「1年目がいちばんおもしろかった」です。

これは私もそう思います。

ずっと続けている人っていうのは惰性であったりゲーム内の人間関係から抜け出せない依存症の方たちなので、わざわざそんな魔界に足を踏み入れなくてもサービス開始付近からはじめればみんな自分と同じ初心者で、みんなで手探りで遊ぶ余地が無限にあります。

この体験はオンラインゲーム独自のもので、他のオフラインのゲームでは体験できない楽しさがあります。

特に大きなタイトルのものには人がたくさんいるので、まともな人の比率も高いです。

時間がたつごとに廃人の比率が増えて効率作業になっていくので、もしもやってみようかと思っている方はサービス1年目以内のものにするとよいかと思います。

 

 

これからのオンラインゲーム  

任天堂の項でも書きましたが、これからのオンラインゲームは変化していくんじゃないかと感じています。

わざわざ「〇〇オンライン」のようなタイトルにしなくてもゲーム内の一部をオンラインにすることで様々な問題をクリアできるのではないでしょうか。

先月発売されたモンスターハンターの新作ではチャットが非常に不便な仕様になっていました。

文字は小さいし忙しいバトルの後は強制的に解散させられて定型文の「ありがとう!」やスタンプを押すので精一杯です。

それだけで十分世界中の方たちと楽しく遊べて楽しく終わることが出来ます。

これは個人的には意図的なものだと思ってしまいました。

日本のオンラインプレイヤーを世界に晒したくない意識が働いているんじゃないかというのは考えすぎでしょうか。

もちろん私がそう思っているわけではなくて、モンハンという日本国産の化け物級タイトルが長年かけて育て上げた熟練プレイヤーと世界中の初心者プレイヤーをいきなりがっつりコミュニケーションさせるのは危険だと判断されてもおかしくないですよね。

これが2~3年前なら話は別ですけど、ここ数年の国内のゲームメーカーのオンラインに対する意識が変わりつつあるんじゃないかと感じています。

 

だからもう「自動車はあるけど信号機がない世界」っていうのはなくなっていくのかなと思います。

そうやっていろいろ試行錯誤してオンラインに対する敷居っていうのはどんどんなくなっていくでしょうね。

 

それでもまだ数年前のサービスの続いているオンラインゲームは残っているので未体験の方は怖いもの見たさに覗いてみるのも一興ですよ!

 

 

 

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