Arrest of a Stone Buddha
yeo
5月21日
Nintendo Switch、 Microsoft Windows
『The Friends of Ringo Ishikawa』を開発したyeoの2作目。
PCでの初リリースは2020年2月27日。
クリア後の感想です。
※ラストのネタバレなし
舞台
舞台は1976年10月のフランス。
日によってアクションパートと日常パートに分かれていて、カレンダーが11月になるまで進めて行くことになります。
アクション
主人公はプロの殺し屋。
教会でターゲットを撃ち殺すシーンから始まり、その後はとんでもない数の敵を倒しながら現場から離れなければならないというアクションの洗礼を受けます。
とにかく敵の数が凄い。端から端まで移動するかドアや乗り物のある場所まで移動すると場面が切り替わりますが、ステージによっては全ての敵を倒さなければならない場合もあります。全ての敵を倒さなければならないステージでは、敵が画面の外でずっと銃を撃ち続けてクリアできないというバグが何度か発生しましたが、死ぬとすぐ直前のポイントから自動的に再スタートするのでそこまで気になりませんでした(でも直して!)
キャラクターは前作同様、開発者であるVadim Gilyazetdinov氏のお父さんが書いているのですが、前作よりも細かい動きにこだわっているのが良くわかります。
サングラスをかけロングコートを羽織った格好で二丁拳銃を撃つというアクションはジョン・ウー監督作品を参考にしたそうです。映画『マトリックス』のアクションに強い影響を与えた監督ですね。
銃は弾が切れたら敵から奪いながら進めなければならないのですが、遠くから狙ってくる敵がこちらに発砲する前に弾切れを起こさないよう全体の動きを見ながら攻略しなければならないので緊張感があります。
サティ
主人公はかつての戦友から公園で仕事の依頼を受けているのですが、会話らしい会話があるのはこの場面だけ。
ここで必ず流れるのがエリック・サティの楽曲で、バイオレンスとサティの組み合わせに北野武監督『その男、凶暴につき』を連想せずにはいられません。
開発者インタビューではヌーヴェルバーグのルイ・マル監督や、フィルム・ノワールのジャン=ピエール・メルヴィル監督などのフランス映画に強い影響を受けたと語っていますが、北野監督と影響を受けているものがほぼ一緒なのでは?(Vadim Gilyazetdinov氏は前作のインタビューで北野映画好きを公言している)
日常
日常パートでは自宅で筋トレしたり映画館で映画を観たりと、出来る事は少なくなく、マップも割と広い。今作の主人公はアクション・日常パート含めた全ての場面の移動において歩くことしかできない為、街全体を探索するのには数日かかります。
この歩行速度の均一化は、リズミカルなアクションパートと日常パートとを混在させる演出として重要な役割を果たしています。
ただ今作には成長システムがないので、ある程度の探索を終えてしまった後半はやることがなくなります。
主人公は不眠症なので睡眠薬が切れていないかどうかだけが唯一の気がかりとなり、薬局へ行っては目的なく街をふらつき自宅へ帰るという日常の繰り返し。
まとめ
『Arrest of a Stone Buddha』がある種の狂気を描いた作品だという事はアクションパートと日常パートにおける極端な静と動の連続からのラストシーンを見ても明らかなのですが、それを映画的リアリズムではなく、あくまでもゲーム的な記号を活かして表現しているのが素晴らしい。
尋常でない数の敵はドット絵の記号でしかないのだけど、いくら殺しても残り続ける記号の死体と日常との連続によって生じる不安や焦燥を越えた先にある虚無からはリアルな「死」の匂いが感じられます。
前作と比べるとパラメータ管理的な遊びがごっそりと削られていて、プレイ時間も2時間程度と短く、作品としては尖りまくっている感じですね。
ただ、アクション演出は前作よりも凝ったものになっているし、背景の書き込みも一切手は抜いておらず、前作よりも画面の持つ説得力は増しています。
しかし、こんな重いテーマでよくぞ最後まで作りきったな、と。
唯一無二の美しさを持つ作品だと思います。
Vadim Gilyazetdinov氏のファンとして欲を言えば、もし次作があるならこれまでの2作品とは全く違うテーマの作品も見てみたいですね。
©yeo