みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

RDR2序盤プレイ感想

RDR2が発売されて5日が経ちました。

毎日プレイするたびに新しい発見があり驚かされます。

「ここまでやるんか!?」といちいち感嘆しているうちにすっかり西部の世界で生活しているような気分に。ここまでの没入感はシェンムー以来かもしれません。

毎日薪を割り馬車の積み荷を運んで、コーヒーを飲んでから狩りへ行き、ウサギを追いかけては見失い、そこで偶然見つけた景色に感動して佇んでいる内に辺りはすっかり夜に…。

 

細部に神が宿り、寂れた街で暮らすことに楽しさを見出させてくれたシェンムー

ニコの惨めさや怒りが焼き付けられたようなGTAⅣのリバティシティ。

これらの要素がアメリカの西部に息づいているのを肌で感じます。

正直ロックスターがこちらの方向へ舵を執るのは意外でした。

箱庭シミュレーションとしてのこだわりとゲーム性がうまくミックスした『GTA:SA』と、それのリメイクである『GTAⅤ』とそのオンライン化。

こっちの路線で武器や乗り物やミッションの種類を増やしていく方向を望んだユーザーも多かったと思います。

でも、そうしなかった。

その結果、前作のRDRとも趣が異なる作品になってしまった。

 

GTAインスパイアゲームはPS2の頃からリアリティの脱却を図るものも多かったんですけど、そうするとやはり「ただ単にマップの広いゲーム」になってしまうんですよね。

ゲーム的に記号化されたオブジェクトを乱用していくとオープンワールドアイデンティティが薄まって、狭い地形を作り込んだ方が戦略性が増すので現実を模倣する意味はなくなります。

だから架空の南の島みたいなものを舞台にする作品が多いのかなと。

ロックスターのゲームは文化的な背景や多民族国家であるアメリカに拘ってきたので、そこで展開されるストーリーも勧善懲悪ではなくなります。

それは特に日本のゲームファンには受け入れがたい要素ですよね。

キャラデザインも出来ない、アメリカの文化もよく知らない、スーパーヒーローでもない、なんなら差別される側の視点でずっとプレイしなければならないわけで。

しかもバイオレンスやグロテスクまで引き受けなければならない。

 

で、ギャングや無法者になってもそこまで好き放題出来るわけじゃない。

これはもう意図的なもので、西部劇に詳しい方ならわかると思うんですがRDRの舞台である1890年頃はもうフロンティアの時代が終わっている頃なんです。

日本のゲームで言えばスパイクの『侍道』とかもそうです。

もう少し前の時代にさかのぼればインディアンをゾンビに変えて虐殺することも出来るけど。

なぜそこまでリアリティに拘るかというと、やはり時代や暴力に対する批評性が常に根本にあるからだと思います。

その作品性の高さがロックスターの魅力であるし、批判は覚悟の上かと。

 

今作RDR2はロックスターの集大成のような大作。

まだまだ序盤ではあるけど、とにかくプレイできることが嬉しくてしょうがないのです。

 

twitter.com