みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

汐-SHIO-(PS4)

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汐-SHIO-

2018年8月23日(日本版配信)

Coconut Island

PlayStation4.NintendoSwitch 他

 

『汐-SHIO-』は中国で開発され、2017年に中国語版が発売された2D横スクロールアクションゲームです。

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PS4でダウンロードするとこういう不気味なアイコンが…。

この主人公を操作して様々な仕掛けが施されたステージをクリアしていくのですが、アクションボタンは基本ジャンプしか使いません。

ジャンプは2段まで出来て、ジャンプをすると同時に刀の攻撃を繰り出すのですが敵キャラは存在せず、刀攻撃は主にカラクリを作動させるために使います。

 

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※ランタンに攻撃を加えることでもう一段ジャンプしたり仕掛けられたカラクリを発動させることが出来る

 

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一つのステージは幾つかのパートに分かれていて失敗してもすぐ前の地点へ一瞬で戻れます。パートの始まりの地点に置かれている立札(上)を見ることで下見する手間が省かれ、勘が良いと一回でクリア出来たりも。

シビアな操作が求められる所謂死にゲーなのですが、ほとんどストレスを感じさせない仕様は素晴らしいです。

難易度も「浅い夢(ノーマル)」「ディープスリープ(難しい)」の2種類から選べます。

操作性はかなり快適でそこまで難解なパズル要素もないので気持ちよくプレイできます。リトライが苦にならない配慮が随所に見て取れる丁寧に作られたゲームという感じがしました。

 

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アートワークが非常に魅力的で、中国なんだけど夢のようでもあり独特。

ストーリー仕立てになってはいるのですが翻訳がおかしいのか元からなのかわからない感じの不思議な世界が広がっています。アクション部分もどこか現実離れしたような浮遊感があり、控えめなBGMと相まって幽玄の雰囲気。

 

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※合間に挟まれる回想シーン

 

このゲームはとにかく日本語の情報が少なくて国内でどのくらい遊ばれているのかはわかりませんが、中国語の動画やサイトはかなりヒットするので本国ではかなりの人気作なのではと思います。これから伸びると言われている中国のゲーム産業ですが、インディーによる今作を遊んだだけでもかなりの凄味が伝わってきたし、世界観のオリジナリティやゲームシステムの丁寧さにも驚かされました。

ずっとやっていたいくらい好きなゲームなのですが、全4ステージ中の2面の中盤で詰みました。バグなのかどうかが解らず色々調べたのですが国内のコミュニティが存在しないために情報が得られず現在中断しています。

中国のサイトを見てみると、カラクリの模様が私がプレイしているPS4版はオリジナルから若干変更されていたりして参考になりませんでした。

とても良く出来た傑作アクションゲームなので日本国内でも人気が出てほしい作品ですね。

 

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ドラゴンクエストビルダーズ2(PS4)

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ドラゴンクエストビルダーズ

スクウェア・エニックス

2018年12月20日

Playstation4Nintendo switch

 

 

 1.

ドラクエの世界は『Ⅷ』以降3Dに移行したが、ハードの進化によってフォトリアルな描写を適応させた時にいくつかのズレを調整する必要に迫られる。
例えば環境。『Ⅷ』に出てくる牛は丸くデフォルメされた姿をしているが『Ⅺ』の牛や馬は非常にリアルに近いものになっている。
しかしマップのリアルな描写に合わせて環境生物をリアルにすればするほど鳥山絵のモンスターたちは陳腐化し、まるで実写の世界の中にアニメのキャラがいるかのように浮いてしまう。
モンスターの生態系が描かれていないため、『ヒーローズ』のような広くて平坦なマップを舞台にした時には大量の凶悪なモンスターたちがお互いに全く干渉することなくただただそこに佇んでいるという事態が起こる。
彼らはただ主人公に倒されることだけを目的として定位置についているのである。
環境で言えばもうひとつがBGMの問題だ。
ドラクエでは街や城やフィールドマップそれぞれにそれ単体で成立するような明確なメロディを持った楽曲が流れる。これによって環境音を流せる頻度は落ちてフォトリアルなマップの世界観を補完することが困難になる。
かつてドット絵で描かれた世界に彩を与えていたこれらの要素が現在では最新の技術で獲得出来る表現を拒絶し、ドラクエというタイトルを良くも悪くも孤立させている。

 

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DQBはこれらすべての問題をいとも簡単にクリアしている。
まず、全ての人間の等身が鳥山絵に合わせられ、あらゆる小道具から環境生物の統一されたデフォルメ化が成されている。
そしてブロックによって構築されたマップは、かつてのドット絵から地続きの世界を蘇らせた。
今作DQB2には多くのペットや家畜などの生物が追加されたが、正直ここら辺のデザインはまだまだ改良の余地があるかとは思う。
だが小道具やブロックに至るまでのデザインは秀逸で、個人的にはあらゆるゲームの中でもビジュアル的なオリジナリティはトップレベルだと思う。
これが鳥山絵だけで達成できるようなものでないことは最新作と比較すれば明らかで、DQBのコンセプトと優秀なデザイン班との邂逅によって生まれた奇跡のようなものだ。
今作で追加されたアイテムやモーションもDQBの世界を何一つ壊すことなく楽しさを底上げしている。

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特に新ビルダー道具「風のマント」での漫画的な滑空のモーションなどはナンバリングの等身では到底実現できないものだ。

 

2.

ドラクエのストーリーは総合的なテーマよりも主人公が訪れるそれぞれの街や城などで起こる単発のイベントの方が印象に残るような作りになっている。

押しつけがましい説教的なメッセージは排され、良質な短編を巡ることによってプレイヤーに自然と目的を理解させるストーリーテリング堀井雄二氏独特のゲーム観と才能によって支えられてきた。

このゲームデザインは本質的には一本道にもかかわらず、『Ⅱ』の船に代表されるような移動手段をプレイヤーが得ることによって多くの街や城へのルートが解放されて、プレイヤーに自由な判断を「ある程度、ほど良く」任せることが出来る。

それが特に顕著なのが『Ⅶ』までで、『Ⅰ』~『Ⅶ』までのドラクエは堀井氏自ら方眼紙にマップを描きながら物語を創造してきたという。

前作DQBはIFの世界を描きながらもこのようなドラクエの世界観の補完に成功した。

一つのマップに一つの拠点という容量的な制約を逆手に取った「良質な短編を編み込む」手法は結果的に堀井雄二主体の良い意味で古いタイプのドラクエを復興させた。

ドラクエは過去作においても『Ⅵ』の井戸や『Ⅶ』の石板システムのように意図的にこういった手法を取ってきたわけで、DQBが2D時代のドラクエのシステムを採用することは非常に理に適っており、多くの古参ファンが近年のナンバリング作品よりもDQBにかつての「ドラクエらしさ」を見出して高評価していたのも頷ける。

 

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しかしDQB2のストーリーはこういったドラクエの不文律を大幅に逸脱したものになっている。
プレイヤーは「破壊と創造」というテーマの上に乗せられて一本道のレールプレイを余儀なくされる。寄り道は許されず、あくまでも開発者の想定したルートの上で様々な冒険を「させられる」のだ。プレイヤー自身による「発見」や、ブロックメイキングの特性である「破壊と創造」ですらメインストーリーを構成するミッションのクリア条件以上の意味を持たない。
しかもこのメインテーマである「破壊と創造」も終盤のセリフによる説明に終始していて、実際に展開される話は90年前後の少年ジャンプ全盛期の漫画作品にあったような「友情・努力・勝利」のような形骸化した王道モノである。


仮に今作が『ファイナルファンタジービルダーズ』であったなら違和感なくプレイできたかもしれない。

だが、これはドラクエだ。
メインストーリーという大きなテーマに巻き込まれた主人公キャラはプレイヤーの手を離れ自分自身の意志で生き生きとメインストーリーの一員として勝手に行動しはじめる。
だがドラクエであるがために「はい・いいえ」しか言えず、まるでそれから解放されようとするかのように大きなリアクションをとり、最後に至ってはプレイヤーが知らない主人公のちょっとした謎まで明かされる。
ドラクエはこれまで主人公の設定にマスコット的な可愛さやマッチョ的な強さを極端に避けてきたし、同じように「主人公=プレイヤー」を貫いてきたポケモンにしてもそういったキャラクター性は仲間モンスターの役割としてきた。
もう一度言うが、これがファイナルファンタジーなら何も問題ではない。
もっと言えば、ドラクエの決まりを守れとも思わない。
派生作品としてDQBをFF化したいならすればいい。ただもうそうなったら他の決まりも破るべきだ。
主人公は適度に喋らせて「オレは無駄な破壊や創造はしない」というようなセリフでも言わせて、ミッション中にしか壊したり作ったり出来なくする、そこまでしてやっと初めて成立するストーリーだ。
自由なブロックメイキングと「主人公=プレイヤー」というドラクエの設定の上でゲームを始めたにもかかわらず、「決められたものしか壊せない」「決められたものしか作れない」状態でストーリーを進めさせられて、挙句最後に「創造と破壊は一緒なんだ!」と言われても「はいそうですか」としか思えない。
これはストーリーの内容の良し悪しの話ではない。
ゲームデザインの主軸を定めないまま自由度とストーリーの規模を大幅に拡張した結果、雑多なフラグ管理とプレイヤーの行動を制限する装置で着膨れした歪んだものになってしまっているようにしか見えないのだ。

 

3.

上記したように今作の自由度とレールプレイングの折り合いをつけるためにプレイヤーは終始細かな説明を受けながらゲームを進めることになる。
継ぎ接ぎの縫い目の部分を延々と歩かされ、終盤になってもチュートリアルが続く。

 

具体的な例を挙げると、ピラミッドのいちばん奥に部屋のようなものが見えたので近付いてみると、部屋の入り口でNPCに呼び止められて「おい!奥に大きな部屋があるぜ、何かありそうだな。大きな像がいくつか並んでるけど2体足りないな、見つけてそこに並べれば何か起きるんじゃないか?そういえば手前に通路があったよな、とりあえずそこを進んでみようぜ」と一気にまくしたてられる。

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※奥の部屋はプレイヤーからは暗くてまだよく見えていない

更に次に話す人物の頭上やマップ上の行くべき場所までマーキングされ、『Ⅺ』から採用された吹き出しまで使って丁寧に道案内してくれる。きっとプレイヤーの事を磁石か何かだと思っているのだろう。

そしてあらゆるものをミッションの達成条件に設定しているため、新しいアイテムを見つけて取っただけでもゲームの想定した条件を達成したことになり、○○というアイテムを持った状態で「○○を取って来てくれ」というミッションの説明を受けて同時に達成してしまうという面倒なことが頻繁に起こる。
こういった、プレイヤーの発見と探索によってミッションを先回りされることを極端に恐れるあまりに多くのNPCのセリフが不自然なものになり、そういった不自然さを誤魔化すためにそれぞれのNPCに口癖や語尾の特徴さらには堀井雄二著「しんでしまうとはなにごとだ」の中にあるような、いかにもドラクエらしいセリフでコーティングすることによってテキストは混乱を極める。
それが特に顕著に表れているのが物語終盤に差し掛かる時点で行くことになる監獄島だ。

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展開上戦闘やビルドが抑えられた監獄島のステージはプレイヤーにとって文字通りの苦難を強いる場所でもある。

ここではテキスト以外の演出の粗も目立つ。
監獄島からの脱獄を手伝ってくれるモンスターが数体仲間になるのだが、仲間になるたびにいちいちあのお馴染みの効果音が流れる。

サマルトリアの王子に会いたくてもすれ違いでなかなか会えず、リリザの街の宿屋でやっと会えた時に初めて流れたあの効果音だ。結構長い。

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この、ドラクエにとって大切な効果音が、たった5分程度しかパーティーに加わらない「くさったしたい」を仲間にした時にも流れる。しかも監獄島のモンスターを仲間にすると、もれなく名前を付けさせられるので物語後半にまた登場するのかと思えばそれもなかった。
あまりにも酷い。

派生作品の中でも最低のテキスト&演出だと言わざるを得ない。
終盤になると感動ポイントまでわざとらしい演出で教えてくれる。
まるでバラエティ番組のテロップのようだ。

プレイヤーを馬鹿にするのもたいがいにしろ。

 

4.

監獄島を越えるとムーンブルク編に突入する。
このステージでは上記したゲーム性とストーリーの「噛み合わなさ」がかなり解消されている。

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ここでは壊れた城を立て直しながら定期的に襲ってくる敵軍に対処しなければならない。
ストーリーの必然として主人公の行動を制御し、頼まれたミッションも敵の行動を予測しながら進めていく。
食料を確保するためにキッチンは奥にしようかと考えたり、罠を仕掛けるミッションが終わった後も敵の行動を予測して余った罠を配置する遊びはプレイヤーの能動を促し、「やらされている」という感覚を忘れさせてくれる。

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ここまでずっと単調だった戦闘も、数々の罠や兵器を城前に配置することによって、こちら側の攻撃パターンが多彩になり楽しさが増している。
ストーリー的にはこのムーンブルク編だけがかなり無理のあるおかしな話になってはいるが、そこからは「守りながら攻める」というゲームの面白さを主軸にストーリーを肉付けしていった事が見て取れる。
他のステージにおける「ストーリーを見せるための後付けのゲーム配置」とは真逆の、ゲームを主軸にした作りになっており、元々の土台が持つ高いポテンシャルが全面的に発揮されている。
全編通してこのムーンブルク編並みのクオリティが実現していたらと考えると本当に惜しい。
やはりビルダーズのストーリーはサンドボックスの特性を生かした、プレイヤーに能動を促すゲーム性を主軸に作ったほうが面白い。
テキストが多少味気なくてもプレイヤーがその世界の中で自分の意志で作ったり壊したりするインタラクションによってドラマは補完されるだろう。

前作がそうだったように。


そもそもDQB2というゲームはプレイヤーを信用していないのだ。
「俺様の考えたおもしろいストーリー」をDQBという場違いな舞台でプレイヤーに強要しているに過ぎない。
今作のストーリーを実装した人間は本当にマインクラフトやブレスオブザワイルドを研究したのだろうか。
いやその前に、ドラゴンクエストというゲームをプレイしたことがあるのだろうか。

 

5.

ここまでストーリーについて書いてきたが、システム的には前作よりも大幅な改良が加えられていて建築やシミュレーション部分は素晴らしいと思う。
メインストーリーにしても、ビルダーズじゃなかったら面白いのかもしれない。


しかし大量のバグがそれらをすべて台無しにしている。
進行不能バグやその他の細かい不具合もサンドボックスゲームでレールプレイを実現しようとしたことによるフラグ管理の複雑さに起因している部分は多いだろう。
ストーリークリア後のフリービルド目的に買った人にはここで書いたようなことはあまり気にならないかもしれない。
だがフリーに辿り着くにもストーリークリアは必須で、しかもクリアまでに要する時間もかなり長い。
コアなファンは今作のバグの戦犯をコエテクのせいにしたいのだろうが、私はそうは思えない。
根本的なゲームシステムや販売促進方法、そして現在発売から40日以上経過しても改善されないバグにおけるスクエニの消費者への対応含めてあまりにも酷いと思う。
今作の元となる初代『ドラゴンクエストⅡ』もゲームの終盤はろくにテストプレイされずに発売されゲームバランスを著しく崩し、開発者の中村光一氏は購入者に申し訳ない気持ちで悩み続け20年以上経っても夢に出てきたという。
その後『Ⅲ』『Ⅳ』『Ⅴ』と傑作を生み続けた中村氏が、だ。


6.

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ここまで書いてきて、あまりに辛辣な感想になってしまったと思いトロフィーコンプリートまでやり込んでみたが、結果的に更なる歪みを体験することになってしまった。

ストーリー後はからっぽ島で自由に建築できると思っていたプレイヤーは私だけではないはずだ。

しかしこのゲーム、そう簡単には遊ばせてくれない。

例えば「かわきのつぼ」というビルダー装備は水や湯などの液体を入手するアイテムなのだが、このアイテムの特性を全て使えるようになるまでにはかなりの数のミッションをこなさなければならない。

「部屋レシピ」という、ゲーム中にたいしたヒントもない複雑な組み合わせの部屋を複数作らなければならなくなり、結果的に公式攻略本を見なければとてもじゃないが達成出来ない。私は外部サイトを見て達成出来たが、これが小さい子供だったらどうだろうか。

部屋レシピの総数は123にも及ぶ。そして島が認識できる部屋数は100である。

ストーリー中に自由に部屋を沢山建築していたら達成できない。

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※島の「ごうかさ」を上げる作業の様子

 

結果的に部屋を作っては壊すという作業を繰り返すことになる。

これがプレイヤーの自己満足のトロフィー取得条件なら別に良い。

だが、こんなしょうもない悪い意味でのゲーム的作業を建築に必須であるビルダー装備取得の条件にするのはどうかしている。

最も建築の自由度を上げる「ビルダーアイ」という装備取得には更に高難易度の条件が設定されており、検索するとかなりの古参ビルダーでも取得している者は少ない。

 

自由を禁じられ、NPCの奴隷のような長いストーリーを終えた後はヒントの少ない単調な作業をこなさなければフリーモードを楽しめない。

ここまで壮大でセンスのないゲームを私はあまりやったことがない。

建築をあきらめてシミュレーションゲームとして楽しもうとすれば、それはそれで粗が見えてくる。開発者の明確な思想や遊び心が全く反映されてないAIは『シムピープル』(2000年)以下だし、『牧場物語』の亜流としても弱い。

色んなゲームの良いとこ取りをしたかったのだろうが、明確なコンセプトがないまま物量だけを増やして混乱しているようにしか見えない。

このゲームにある要素を上手く噛み合わせればとんでもない傑作ゲームが出来上がるのだろうが、そんなことは世界中見渡しても誰も出来ていない。

それぞれのゲームが開発者の思想に基づいて取捨選択しながらもがき苦しんで作品を形にしているのだ。

今作にはそういった形跡が全く見られず、とにかく詰め込んでは行き当たりばったりで生まれた歪みの代償をプレイヤーに払わせている。

今作に良いところがあるとすれば、僅かに残った前作DQBの要素だけだ。

それだけでも十分遊べる。それくらい前作が優秀だったということだ。

 

DQB2というゲームは前作で築き上げた土台の上に「堀井雄二が絶対にやらなそうなこと」を詰め込んだ超大作である。

次回作があるとすれば原点回帰か、今作の要素を突き詰めて上手くまとめ上げたゲーム史に燦然と輝く大傑作になるかのどちらかだろう。

いずれにしても楽しみだ。

 

 

※追記

・共同開発のコーエーテクモオメガフォースは今作のアクション部分を担当。担当者はドラクエヒーローズ1&2と同じ庄知彦氏。

・6の項で書いたビルダー装備獲得には部屋レシピを埋めなくとも達成できるものもあるが「かいたくレシピ」の約半数近くを占めるものなので例として書いた。

 

FIREWATCH(PS4)

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FIREWATCH

Campo Santo

2018年2月8日(日本語版発売日)

playstation4

 

クリア後の感想 ※多少ネタバレあり。

 

PS4版をプレイする際にまず気を付けてほしいところがあります。

字幕がオフになっているので最初のメニュー画面で直しましょう!

最初知らずに始めてしまったのですが冒頭のテキスト部分が全部日本語なので結構長い間気が付きません。

ゲーム本編が始まると音声による会話が聞こえるのですがそれらが全て英語で、そこで初めて気が付きました。

 

さて『FIREWATCH』ですが、インディーのPCゲームの中でもかなり有名な部類の傑作とされており、PSストアでもセールの度に目に留まることも多かったので買って遊んでみました。クリアまでは約5~6時間ですね。

 

このゲームはFIREWATCHというタイトル通り、プレイヤーは主人公のヘンリーを操作して1989年のアメリカ・ワイオミング州の森林監視員として山火事が起きないよう監視塔から森を見張ります。

FPSなどでよく採用される一人称視点で結構な広さのオープンワールドを自由に探索することが出来るのですが、マップが地図に反映されないのでかなり迷うことがあります。私もゲーム序盤の真夜中にうっかり探索に出てしまい道に迷って帰れなくなってしまいましたが、一度迷ったおかげでその後の探索がスムーズになるくらいにはほど良い広さです。

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優しいタッチで描かれた森はゲーム内の時間や天候によって様々な表情を見せる
 

 

冒頭に語られる主人公の過去

そもそもなぜ主人公のヘンリーは森林監視員という仕事を始めたのか?といういきさつが冒頭でたっぷりと語られます。

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かなり重たい話ですが、誰にでも起こりえるような身近さもあり多くの人に訴えかけるような内容になっています。

この冒頭のテキストの巧さは直接ゲームのストーリーには絡んでこないのですが、全く人との接触がない森林監視員という仕事のシミュレーションに馴染めば馴染むほどヘンリーのバックグラウンドがプレイヤーの気持ちを揺さぶってきます。

ヘンリーは妻を妻の実家に預けたままにして来ているのですが、上記したように森で迷って同じところをぐるぐる周ってふと天候の変化や、それによってさっきとは違う表情を見せる森の景色に足を止めた時に「俺は妻を置いてこんなところで何やってんだろう」と、完全にヘンリーの気持ちになって考え込んでしまいました。

私だけかもしれませんが…。

いやでも最初に畳みかけられる情報量の濃い話と、その後に放り出される広大な森とその静けさは意図的な演出でしょう。

 

唯一の話し相手デリラ

基本的に一人寂しく監視塔で森を見張るヘンリーですが、一番近くの監視塔職員であるデリラという女性とだけ無線で会話することが出来ます。

近いと言っても崖で隔たれており2人が会うことはありません。

ヘンリーもデリラも何かから逃れるようにしてこの仕事に行きついたという経緯があるのでそこまで深い話もしない。

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でも探索で何気ないものを発見してデリラに報告していくうちに二人の会話は弾んでいき、ほんの少しづつですが距離感が縮まっていく過程が本当に良く出来ていて、そこでは様々な選択肢が提示されるのですが、言わなくてもよい自分の過去の話までしてしまったり、それによってその後の何気ない会話に変化を感じたりと、プレイヤーの感受性や洞察力をある程度信用した上での心の機微を感じられる表現が多く用いられています。

人によってはアート臭を感じてしまい敬遠されるような表現かもしれませんが、シチュエーションやマップの広さなど、この世界観を構成している要素を引き立たせる演出としては極めてゲーム的であると思います。

デリラはたまに酔っぱらって無線で絡んできたり怒りっぽい側面もあるのですが、静かな森の中で一人きりでいると、そんなデリラでも十分慰めになります。

当初ヘンリーの話し相手は人形や小動物でも何でもいいんじゃないかとも思ったのですが、「寂しい人間がわざわざ寂しい場所に来ている」という設定がデリラの存在によって「今は一人きりにしておいてほしい…でも少し人の声も聞きたい」という(良い意味での)甘やかしに繋がり、一人きりではとても耐えられそうにない孤独な監視員生活を豊かなものにしてくれています。

 

ミステリ要素

監視を続けていくうちにいくつかの奇妙なものを発見することがあります。

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それらは実際取るに足りないようなものだったりもするのですが、なまじっかデリラという話し相手がいるばかりに話があらぬ方向へ向いたり不安が大きくなってきたりします。

このゲームを従来のミステリと思って進めていくとがっかりするかもしれません。

しかし森林という舞台、一人であること、デリラという顔の見えない話し相手というシチュエーションさえ揃っていれば、あとはほんの少しプレイヤーの神経に触れる仕掛けを用意すれば勝手に疑心暗鬼になったり陰謀論を唱えだしたりしてくれる…という舞台装置そのものが本作の魅力なのではないかと。

ストーリーのラストは賛否両論ありますが、私は自分の中で大きく膨らんでいく不安を「杞憂であってくれ」と願いながら終盤プレイしていたので、ストーリーの結末よりもそこまでの過程が非常に素晴らしく思えました。ミステリよりもホラー映画的な楽しみ方がわかっているとすんなりと受け入れられる話だと思います。

 

今作『FIREWATCH』は、普段人間を殺しまくるFPSと同じ視点と操作で「何も起こらないでくれ、杞憂であってくれ」と強く願わずにはいられない傑作アドベンチャーゲームでした。

 

 

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Florence(スマホアプリ)

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Florence

Annapurna Interactiv

2018年2月14日

iPhoneAndroid

 

ゲームをしている時にゲームを邪魔に感じることがよくある。

どんなエンタメでも、それがそれである事が見えてしまって、なんとか自分の中で技術的な部分を咀嚼し納得させている。

ゲームを作るのは大変なんだと、ゲームをプレイしているとつくづく思う。

だって、上手くいってないから。

ストーリー性のあるゲームに没入しかけても、必ずゲームにぶち当たる。ゲーム性が低ければ、それはそれでゲームである必然性があるのかと疑問に囚われる。

いつもそう、だってこれはゲームだから仕方ないんだ、そういうものだから。

最近のゲームでは画面からUIを排しているものも多く、当の開発者側もどれだけ従来のゲームから離れられるかを模索しているように見える。

しかしどれだけ遠くに逃げてもやはり諦めなければならない境界線のようなものがあって、必ずどこかでぶち当たる。

気が付けばストーリーを一時中断し、またいつものゲームに興じている。

 

Florenceは、主人公であるフローレンス・ヨーの人生の一部を追体験するアドベンチャーゲームだ。

このゲームにはほとんどテキストは存在しないが、ゲーム内の彼女はよく喋り、動き、悩む。

それらは全てプレイヤーの操作によって進んで行く。ゲームとしてはとても簡単だけど種類は少なくない。

全てに無駄がなく、彼女の生きた時間や気持ちに操作が連動していて、その表現力たるや凄まじい。

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同棲している彼氏と喧嘩してしまい気まずい夜、パズルが提示される。

合わせたい、合って欲しいのに、合わない。

 

ゲームを開始してしばらくは、このゲームの表現の素晴らしさ、音楽や絵の魅力に引き込まれて、早く先を見たくてスマホの画面をスライドしていたのに、気が付けば彼女の人生をなぞって泣いていた。

 

このゲーム、たくさんのゲーム的な事をさせられているにも関わらず、まるでゲームのような気がしない。

作り手の感性、伝えたい事が言葉に変換されずダイレクトに入ってくるような凄さがある。

 

こういうゲームが今までなかったかというと、そんなことはないんだけど、たくさんのゲームを知っている人ほどFlorenceがゲームとして突き詰められて練られた作品だとわかると思う。

 

やっぱり、諦めることなんかなかった。

ゲームがゲームとしてゲームを乗り越えることは、出来る。

このゲームが、それだ。

 

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アイスステーションZ(3DS)

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アイスステーションZ

2017年4月5日配信開始

Wobbly Tooth

ニンテンドー3DS

 

たまには3DSでダウンロードのゲームでもやってみようかと久々にショップを検索しているとずば抜けて評価の高いこの『アイスステーションZ』が目に留まり、500円で購入してみました。

説明文のところにはオープンワールドADVゲーム」と書いてあるので、これはもう私向けのゲームじゃないか!どうして今まで見過ごしていたんだろうと期待に胸を膨らませていざプレイ!

 

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なにこれ...

 

もう、このゲームを語るのに他の写真はいらないと思います。

ずっとこれだし。

なんか、ゾンビみたいのはいたけど、真っ黒い奴と、その赤シャツバージョンね。

民家みたいなのもあるけど人は一人もいないし、ゾンビに追いかけられて死ぬと上の写真の一日目に戻されてアイテムも没収。

アイテムの入手方法もヤバくて、薪を見つけて取ろうとすると薪が飛んできてタッチして割るんだけど『バイトヘル』の薪割りを原形を留めないほど水で薄めたようなもので。しかも死んでそこ行くと時間は戻ってるのに薪は消えているっていうね。

あと、スマホを充電しようとするとミニゲームになって失敗すると充電が減るよね。

がんばって2時間プレイしてみましたが何も見つけられませんでした。

いやなんか車とかヘリとかあったけど、もういいです。

 

ストーリーがないっていうのは、辛いよね。

ストーリーっていうか、基本的に何にもないよね。

 

で、いろいろ動画とかチェックしてわかったんですが、これは買った私が完全に悪いですね。

このゲームはプレイヤー4人で殺しあうのが正しい遊び方みたいです。

正しい遊び方をしてもとても面白いとは思えない作りなのですが。

一応経験としてオンラインもやろうと思ったのですが、オンラインの各部屋に名前が付いていて、その名前がもう全部煽り系とかエグい下ネタばっかりでそっ閉じしました。

どうやらキッズしかいないようです。

 

確かに『荒野行動』とかって年齢制限が一応あるし、小学生がみんなスマホ持ってるわけじゃないし、そういう意味でこの『アイスステーションZ』が受け皿になっているのかな?

大人は『PUBG』とか『GTAオンライン』が出来ますからね。

殺し合いゲームをやりたくてもやれない子供たちにとっては『アイスステーションZ』が唯一の戦場なんでしょうね。

他の3DSのダウンロード専用ゲームで高評価のものを見るとこのゲームのメーカーのものが結構出てきます。なんか、見た目はマイクラなのに全然ブロックとか関係ない殺しあうだけのやつとかが低価格で売ってたりしてパチモン感がすごい。

子供たちのこういう流行りの感じは大人がどうこう言うものではないし微笑ましいんだけど任天堂的にはどうなの?

いやでも...勉強になりましたね。

実際にプレイしてみないとこのゲームの恐ろしさはわからないと思います。

怪獣が出る金曜日(3DS)

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怪獣が出る金曜日

レベルファイブ

2013年3月13日配信開始

ニンテンドー3DS.3DS LL

 

ぼくのなつやすみ』で知られる有限会社ミレニアムキッチン・綾部和氏によるダウンロード配信専用タイトル。

レベルファイブの『GUILD』という企画の第2弾の中のタイトルの一つ。

『GUILD』という企画は、簡単に言うと著名なゲームクリエイターが作った小作品を低価格でユーザーに楽しんで貰おうというもので、第1弾の4作品は3DSのソフトとしてパッケージ販売されたが今作を含む第2弾の作品はダウンロード版のみとなっており、その後の展開は現在ストップしてしまっています。

823円(税込)という値段に見合わないほど丁寧で贅沢な作りの今作は『ぼくのなつやすみ』とほぼ遜色のないプレイ体験を堪能できる名作です。

 

ゲームの概要

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今作の舞台はゲーム中にはっきりと言及はされていませんが、日本で最初のテレビ特撮ブームの火付け役ともいえる『ウルトラQ』の放映開始が昭和41年。以降円谷プロによる『ウルトラマン』『ウルトラセブン』といった「空想特撮シリーズ」が昭和44年まで続くので、だいたいそのあたりの年代だと思います。

プレイヤーはこの街へ引っ越して来たばかりのクリーニング屋の息子で主人公の「そうた」君を操作して昭和の東京の下町を自由に探索することが出来ます。

タイトル『怪獣が出る金曜日』からもわかるように、このゲームの世界はかなり特殊な構造を持っています。

主人公そうた君が住む「世田谷区藤の花」という架空の街には毎週金曜日になると怪獣が現れるようです。ですが実際に住民が被害に遭うことはなくて、テレビサイズの時間で防衛軍的なものの兵器かなんかで毎週解決しているっぽいんですね。

最初にこのゲームを知って説明だけ読んだ感じだと「テレビ番組の中の人たちが実在するという仮定に基づいた世界観のシミュレーションゲーム」のような理解だったのですが、ゲームを進めていくとものすごく奇妙な感覚に陥りました。

実際に怪獣が現れる金曜日というのはゲームのかなり終盤で、プレイヤーはその来るべき金曜日に向けて街の人たちと交流したり探索しながら過ごすわけなのですが、ゲームを進めて行く内にものすごく不安になるというか、この世界に対して奇妙な違和感や不信感が芽生えていきます。

例えばゲームの中の世界には怪獣に対抗するべく結成された科学特捜隊のようなものが存在するのですが、街の小さなテレビ局が兼務しています。

そうた君が興味を持ってそのテレビ局員に仲間に入りたいと言うと割と簡単に隊員にしてくれたりもして、そこの戦闘機がラジコンみたいなしょぼいものだったり街の外れに怪獣のぬいぐるみなんかをしまっておくような倉庫を見つけたりして。子供のそうた君は無邪気にありのままを受け入れていくんですけどプレイしてるこっちはどんどん不安になってくるんですよ。

トゥルーマンショー』でジム・キャリーが隠しカメラを見つけていくような気持ちになるわけです。

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ゲーム序盤からこういった怪獣の足跡を発見したりして、最初は疑いもせず怪獣の存在を信じていたわけですが、後半になってくるとそうた君自身の耳に「大人たちが夜中に土を掘っていたらしい」という噂が入ってくるんですね。

それ以外にも怪しい外国人と出会ったり特撮マニアの青年にメタっぽいことを言われたり、どんどんプレイヤーを混乱させてきます。

「このストーリー、ちゃんと終われるのか?」という不安を持ちつつも非常に引き込まれる展開が続くのですが、最後はしっかりと落としてくれます。

 

もう一つこのゲームで特筆すべき点にナレーションの存在があります。基本的にそれぞれ個々のキャラクターに声は付いていなくて、佐野翔子さんという人が一人で色々なキャラの声やチュートリアルを担当していて、これもずっと低予算ゆえの工夫なのかと思っていたのですが、ちゃんと意味があります。

 

後述しますが、『ぼくのなつやすみ』で出来なかった・やれなかったことが詰め込まれていて、しかも見事に完成されています。

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遊びの部分に触れておくと、もちろん昭和の子供になりきれるシミュレーション部分も街の人や友達に個別のクエストが用意されていてシナリオの完成度も高いです。

更に探索要素としてマップのあちこちに光るアイテム(カードのかけら)が落ちていて、それらを集めることにより怪獣の絵柄のじゃんけんカードを収集できます。

カード収集はストーリー進行にも関わってくるので必須要素なのですが、カードバトルの難易度が絶妙で、収集も探索の楽しさを助長するようなバランスになっています。

 

夏休みの終わり

ぼくなつシリーズが最後に出たのが2009年の『ぼくのなつやすみ4瀬戸内少年探偵団』(PSP)ということで、もう10年も新作が出ていません。

1作目が発売されたのが2000年で、当時もう既にPS2が発売されていたのに初代PSのタイトルとして多くの人に受け入れられて数々の賞も受賞しました。

1作目の舞台が昭和50年なので、当時の30~40代の人が自分の少年時代を懐かしむことが出来るのが大きな魅力だったのかと思います。

この世代の人たちの親は高度成長期以降に東京に出てきた人が多くて、祖父母が地方にいて夏休みに帰省する家族がいちばん多かった世代ですね。ぼくなつが受け入れられた背景と、現在続編が作られていない理由はそういうことですよね。

私は祖父母も親戚もみんな東京神奈川なので、ぼくなつは一種のファンタジーのような感覚でプレイしていました。

ファンタジー感を強く感じる要素としてもうひとつ「ゲームの中に善人しか出てこない」というものがあって。田舎の人はみんな優しいとか、そんなことは絶対にないし嫌な親戚とかもいたはずなのに、そういう苦い部分がカットされていてリアリティに欠けます。

これに関して非常に興味深い都市伝説があって、ぼくなつは「病気で入院していてどこへも行けなかった子供の夢なのではないか」というもの。

根も葉もないただの都市伝説ですが、非常に良くわかります。

シミュレーションで得た体験を現実の自分の経験と重ね合わせた時にリアリティが欠けていると不安になるんですよ。思い出を改変しているような罪悪感を持つこともあるだろうし。

ここら辺は全く考慮されないで作られているわけではなくて、9歳という年齢設定や田舎度合いによってかなりフィルターはかけられているとは思うんですけど、現在でもこういった作風が通用するかといえば難しいと思います。

結局ぼくなつは世代的なゲームということで私の中ではもう終わっていたのですが、今作『怪獣が出る金曜日』をプレイして綾部和氏という作家の懐の深さに驚きました。

 

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今作『怪獣が出る金曜日』は子供時代の曖昧で混濁した記憶を特撮番組のフィクションの文法に落とし込むという滅茶苦茶な事を実に自然にやってのけていて、よくわからないまま進めても最後には家族愛に感動させられるという。『クレヨンしんちゃん』の映画に近いかもしれません。

こういった題材を扱う場合に必ずしもリアルな表現がプラスになるかというと難しいところですが、ぼくなつではぼかしていた問題を様々な手法を駆使してクリアしていく姿勢は作品に対する信用を確実に上げています。

 

ぼくなつファンが現在40~50代くらいで、今作の舞台設定を懐かしいと思うような世代はさらにその上なので3DSのダウンロードでしかプレイできないのはもったいないですね。本当は世代に関係なく感動できるゲームでもあるのだけど、綾部和氏のプロフィールにある『ぼくのなつやすみ』のイメージが強すぎて若い人にも手に取ってもらいにくくなっている不遇な作品になってしまっています。

かなりの傑作なのでアーカイブとしてずっと残しておいてほしいですね。

 

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JUDGE EYES:死神の遺言(PS4)

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JUDGE EYES:死神の遺言

セガゲームス

2018年12月13日

playstation4

 

ストーリー・全サブクエストクリア後の感想です。ネタバレなし。

 

ナンバリングの『6』以降『北斗が如く』『極2』『オンライン』と、順調に評価と売り上げを下げ続けてきたシリーズですが、ここへきて一気に汚名を返上するような大傑作をぶち込んできたという印象。龍が如くを長年プレイし続けてきた身にとっては本当に木村拓哉さんが救世主のように思えます。

 

龍が如くシリーズと神室町

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龍が如く桐生一馬と東城会という図式で描いた重厚なストーリーは初期の2作で終わっていて、それ以降のものは蛇足でしかありません。

むしろ大きな絵を描けなくなったドラマは桐生の人情ものパートと東城会の辻褄合わせパートに引き裂かれて収拾がつかなくなり『6』でシリーズ全体のドラマを回収することを放棄して『3』で既にやったようなテーマを反芻した結果の低評価だったように思います。

そんなシリーズがこれだけ長く愛されたのはシリーズ当初からある要素の一つであるプレイスポットの充実。『3』から顕著になったカラオケやキャバつくやサブクエストの作り込みが主軸のストーリーのシリアスさとのギャップを生み、更にはドラマの弱さすらカバーしていました。

 

国産ゲームの未来を憂い、どこまでも真摯に生真面目にゲームのエンターテイメント性を追求する名越稔洋氏。シリーズの全てを俯瞰で把握できていると思い込んでいる横山昌義氏。ユーモアセンス抜群の才能を武器に傑作サブクエストやミニゲームを作り続けた堀井亮佑氏。

そんな彼らの全くブレない一貫性と決して交わらない個性と多様性をどん欲に取り入れる柔軟性がこの『龍が如く』というゲームを得体の知れないバカゲーへと進化させていったのは疑いようがありません。

最高傑作『0』を除けば初期の2作をベストに挙げる人は多いですが、個人的にはドラマのシリアスさとサブのユーモアが最良の形で融合している『4』をベストに挙げたいです。『5』ではそれの逆転現象が起きて「サブクエストをストーリーに組み込んでプレイヤー全員に無理矢理やらせる」という事態が起きてしまいました。

開発者の掲げるゲームのコンセプトをゲーム内で否定するこのような仕様はシリーズを通して割と頻繁に発生していて、後で書きますが今作『JUDGE EYES』の中にもしっかりとマイナス面として存在しています。

そもそもこのゲームのコンセプト「普段ゲームをやらない大人たちに向けて」「クリア率を上げる」「重厚なドラマ」と現在のファンの評価は乖離しすぎてしまいました。

初期2作で築いた重厚なドラマを生かして、ギリギリそのドラマ性を維持しながらその反動としてのコントを楽しむバカゲーといったところでしょうか。

バカゲーに寄りすぎることへの危機感からなのかはわかりませんが、龍が如くは『4』から『5』にかけて複数主人公という形式をとることになります。

桐生以外の主人公は一部を除けばほとんどが初登場のオリジナルキャラなのですが、そのなかでも『4』の谷村正義はタレントの成宮寛貴さんが演じていて、彼の役どころは警官で、神室町を舞台にオリジナルの警官ミッションを受けて遊べたり出来る本筋とは隔離したところでのシミュレーション要素が強く、今作『JUDGE EYES』のプロトタイプのような作りでした。

 

今作の舞台を神室町に設定したことに一部「もう飽きた」等の声も聞こえますが、私は英断だったと思います。これまでのシリーズを通して開発側とユーザーの共通認識の中心にあるものが神室町という街です。神室町を通して私達は時代の変化やゲームの進化を目撃してきたし、ゲームエンジンが変わっても一貫して神室町を作り続けてきたセガにとっても重要な財産でもあるでしょう。『北斗が如く』の散々な酷評もゲーム内に神室町が存在していないからだと思います、割とマジで。

 

長年にわたって作り続けられてきた神室町の構造、行動範囲や豊富な店舗や景観含めて全くの無駄がなく、その濃密さは優れたオープンワールドに匹敵する完成度だと思います。

龍が如くや派生作品『クロヒョウ』等をプレイしていればさらにその世界は広がります。ここまで一貫して同じ街を作り続けたゲームなんて他に類を見ないし、新規タイトルの舞台としてはこの上なく贅沢なものです。これはもう一作目の時点で実在する歌舞伎町という街を作り込んだ事の勝利ですね。

 

平凡で異色なサブクエストの数々

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探偵ものといったら一本の複雑な事件を解いていったり、長いものだと一話目に伏線を張ってその間にいかに魅力的な短編を挟んでいくかとか、そういう作りになりますよね。

今作が異色なのは普段探偵がやっているであろうドラマにならないような退屈な依頼を受けられるところ。例えば浮気調査の依頼を受けて調査対象の男性を尾行して行くと浮気相手の女性と密会していて、更にそれを尾行してホテルに入る所を写真に撮って依頼人に報告するというものがあります。いくらでも奇抜な展開にしたりして面白くできるはずなのに普通に報告して終わるんですよ。

あとはピッキングの技術を生かしてカギをなくして困っている人のところへ行って、ただカギを開けるだけとか猫探しとか。

これね、本当に感動してしまって。

いくらでも面白い展開が書ける人たちなんですよ、本当は。それはみんな知っている。

もちろんこういうのばかりじゃなくて大半はひねりのあるいつもの面白いミッションなんですけど、あえて退屈なものを入れることによって探偵のシミュレーションゲームとしてのリアリティの向上に貢献している。

探偵もののゲームの主人公がよく言う「普段はやれ浮気調査や、やれ猫探しだの退屈なものさ」というセリフを聞くたびに「そういう地味な仕事もやってみたい!」という欲望に駆られていた私のような人間にとって今作は探偵シミュレーションゲームとして限りなく理想に近いものです。

しかも神室町です。入れない建物もそういった依頼でちゃんとそこの住人なんかが出てくるわけで、町全体の生命・躍動感がハンパないわけです。

『L.Aノワール』に足りなかったものってこういうことだったんじゃないだろうか。

主人公が普段どんな生活をしているのかとか、事件が起きた現場の近くの日常だとか、ゲームでしか表現できないようなリアリティを構成する舞台や、それに基づいたミッションがしっかりと作られていて本当に素晴らしい。

近年オープンワールドゲームはその土地の広さを競い合ってきたわけだけど、『シェンムー』があのマップの規模でオープンワールドの元祖と未だに言われているのは3Dゲームのリアリティの捕らえ方の的確さであって、名越さんがどれだけ意識しているのかはわからないけど『JUDGE EYES』は確実に近年のオープンワールドゲームが捨てていった『シェンムー』の残骸を拾い集めて再構築することに成功しています。

いくら緻密に街を作り込んでもそこにリアリティがなければ映画のセットのように見えてしまうわけで。

 

今まで龍が如くシリーズがほどほどにしか評価されてこなかった原因の一つとして「所詮は既存のミニゲームの集合体でしかない」ということが挙げられると思います。

シリアスなストーリーを進行中の主人公がいったん足を止めてカラオケや釣りに興じる。そのどれもが完成度がそこそこ高くてストーリーとのギャップが面白いというものでした。

今作が過去作に比べて突き抜けているところは「主人公の設定に深く根差して」「他のゲームが捨ててきた、一見すると面白くない要素を取り入れている」ところ。

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探偵関係以外にも今作には恋愛要素もあるのですが、リアル路線の恋愛ゲームって今まで何作かは出ているのだけど、ただの一回も売れたためしがないジャンルのものなんですよ。これまではキャバクラというフィルターで目新しさを出していたのにそれすら捨ててきている。これも主人公の八神があまりお金がないという設定が女の子とのやり取りに生かされていて無駄がない。

全シリーズ遊んでいて「このゲームを作っている人達は自分が何を作っているのかわからなくなってきているのではないか」という疑いを持ったことが何回もありました。それを一番強く感じたのが『北斗が如く』で、正直もうこのシリーズってダメなんじゃないかと思っていました。

ごめんなさい!

※『北斗が如く』についてはこの記事を書くにあたって調べ直しましたが、原作者が口出ししすぎてあのような作品になったのだとわかりました。

 

木村拓哉という最終兵器

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『6』のビートたけしさんがもう最終兵器だったんですけど、あまりの低評価に名越さんも相当参っていたようです。別に芸能人を使えば面白くなるわけでもないし、逆に低評価なんて喰らったら普通は立ち直れませんよ。

だいたい芸能人を使うことにはデメリットの方が大きいわけで、成宮さんのパートとかは移植作で新キャラを作り直しているし。スケジュール管理も大変だしキャラクター商品としても展開できないし、本当にただの名越さんのこだわりですよね。

今回木村さんを主役に据えたのは覚悟の表れという気がします。主役をオリジナルキャラにして芸能人を脇役にすればトラブルにも対処しやすいし作りやすいはず。主役にするということは続編で使うことも念頭にあるはずで、かなり大胆な配役ですよね。

名越さんは「ゲームは映画に匹敵するようなエンターテイメントだ」と言っている割にはピエール瀧さんの役とか既視感バリバリで、攻撃的でもあるけど防御力もめっちゃ盛ってて相変わらず突き抜け切れていない感じがしますが、そういった計算の上でシリーズが継続できているのだからプロの大人って感じがします。

 

私は今まで木村拓哉さんの映画やドラマ、バラエティすら見たことがなかったのですが今作を遊んで非常に素晴らしい役者として興味を持ちました。八神というキャラが完全に確立されてますよね。で、ちゃんとその中に「キムタク」という私でも知っている範囲でのパブリックイメージをサービスとして入れている。見事です。

 

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今作に登場するキャラはどれも魅力的で完成度が半端ないです。特に海藤さんをはじめとする味方陣営は龍が如くオールスターズともいえる『龍が如く 維新』を越えています。

 

相変わらずダメな部分

ここまでさんざん神室町やキャラの良さを書いてきましたが、これらをすべて堪能するためにはやりたくもないミニゲームを周回させられます。

もう、いい加減にしてほしい。

今作にあるフレンドシステムは街の至る所にいる人々と交流することによって八神の評判を上げて、それによって受けられる依頼の数を増やせるというもの。

これ自体は良く出来ていて素晴らしいです。

 

で、もうひとつ。京浜同盟という反社会的組織と八神との対立がストーリー進行に割って入ってきて、そのイベント以降に街を散策していると異常なエンカウント率で京浜同盟とバトルすることになります。一定時間が経過したりボスキャラを倒すと静まるのですが、また時間が経つと復活します。

京浜同盟の存在はゲーム内の金策に深く影響していて、大金を稼ぐには神室町にあるVRすごろくをプレイするのが必須で、そのVRを遊ぶためのプレイチケットはザコキャラが落とすので京浜同盟はいわば必要悪です。

 

でも単純にストーリーを楽しむだけなら大金なんて必要ないわけですよ。トロフィーをコンプリートしたい人向けのやり込み要素なんですね。

このゲームのコンセプトとして「普段ゲームをやらない人に遊んでもらう」「ストーリーだけでも最後まで遊んでもらう」ということを謳っているわけですが、ただでさえチンピラやヤクザに絡まれるのに、そこへ京浜同盟というわけのわからない組織がストーリーに絡んできて使いもしないプレイチケットを貯め込んでうんざりさせてどうするんですか。

しかもこの京浜同盟を一掃するサブクエストの受注条件が「街の評判50(MAX)」で、麻雀やバッティングセンターなどの人によっては絶対クリアできない難易度のミニゲームをタライ回しにさせられます。

せっかく作ったゲームを全部やらせようとするのは開発者のエゴなんじゃないか…と思うかもしれませんが、花札とか将棋とかはやらなくていいんですよ。

じゃあなんで麻雀はやらなくちゃいけないのかといったら、フジテレビの麻雀番組との地味なコラボだったりして、ちょっともう、よくわからないですね。

 

しかもこの京浜同盟の一掃イベントがかなり良く出来ていて、それまで仲良くなったフレンド達が総出で助けに来てくれたり、組織の内情が知れたりとかなり熱い展開で、これをみんなに遊ばせないなんてどうかしていると思いますよ!

ストーリーに絡ませて来ないで最初から受注システムにするとか、評判45あたりに設定していれば良かったのに、どうしてこんなにプレイヤーをいじめる仕様に毎回してしまうのか。『6』のオンラインバトルとか『北斗が如く』のリンのクエストとか、せっかく面白いものを作ってもいつも台無しにしているような気がします。

 

 

と、悪いところも書きましたが今作は龍が如くシリーズ全体を通しての最高傑作であることは間違いありません。

ストーリーがいくら良く出来ていてもゲームの土台がしっかりと作られていなければ生きないわけで。そういう意味でも今作の土台は完璧に近く、優れた探偵シミュレーションゲームの上にそれに負けない本筋があり、バカゲーとしても洗練されていて世界的に見ても希有な傑作だと思います。

 

 

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