みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

龍が如く7 光と闇の行方(PS4)

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龍が如く7 光と闇の行方

セガゲームス、 Ryu ga Gotoku Studio、 龍が如くスタジオ
2020年1月16日
PlayStation 4

 

龍が如く1作目のキャッチフレーズが「ゲームに飽いた大人たちへ」だったことは熱心なファンなら記憶していると思いますが、当時(現在もだけど)のゲームやアニメの主人公といえばたいていがイケメン高校生で、ロリっ娘や巨乳達と世界を救う的な所謂「大人に成り損なった大人向け」と言えば語弊がありすぎるかもしれませんが、表面的にはそういう印象を与える作品が多いように思えます。
そんな中で恥ずかしげもなくイキッたコンセプトを引っ提げて登場した『龍が如く』(2005年)は、馳星周監修によるハードなストーリーが現実の新宿歌舞伎町を模した舞台で展開される成人男性をターゲットとした一見変化球的なタイトル。ゲーム性はわかりやすいアクションRPGで間口が広く、キャバクラやパチスロなどのそれまでの国産ゲームでは珍しいプレイスポットが多数用意され、結果的に多くの「ゲームに飽いた大人たち」から熱い支持を受けました。
2005年といえば海外では『グランド・セフト・オートサンアンドレアス』(2004年)が発売されていたものの、日本国内のゲーム業界ではオープンワールドというジャンルはあまり受け入れられておらず、従来のJRPGオープンワールドの良いとこ取りで成功を収めた『龍が如く』はそういった意味でも日本のゲーム史において重要な役割を果たしたのではないかと思います。
しかしそんな尖ったコンセプトでシリーズを重ねるのは到底不可能で、プラットフォームをPS3に移した3作目『龍が如く3』(2009年)からはハードなストーリーは鳴りを潜め(馳星周監修は『2』まで)、ヤクザから足を洗った主人公・桐生一馬網走番外地的なマンネリ人情物語とヒロイン・澤村遥の成長物語の二本柱でシリーズ続行。その後も様々な都市や複数主人公などを駆使し、それこそ60年代東映ヤクザ映画のような短いスパンで新作をリリースし続け、有名芸能人の起用などで話題性を維持し続けました。
しかし主人公を固定することにより初期2作で展開された複雑な組織や人間関係などの設定を引きずったままストーリーを語る必要に毎度迫られ、いつの間にか「やたらと話がややこしいお涙頂戴物語」へと変貌。そういったしがらみがピークに達した『龍が如く5 夢、叶えし者』(2012年)以降、ゆるやかにファンが離れていってしまったのが売り上げからも見て取れます。
そして、桐生一馬最終章と銘打った『龍が如く6 命の詩。』(2016年)では組織的なしがらみから逃れるように広島県尾道を舞台にした桐生と遥のシンプルな人情物語で終わるはずが、ヤクザ映画的にもタレント的にも頂点である大物・ビートたけしを起用することによりシナリオの陳腐さが際立ってしまい、さらには長年ヒロインを務めてきたにもかかわらず大して人気の出なかった澤村遥の妊娠&出産により数少ない遥ファンを激怒させてしまうという無残な最終章に。

私個人でいえば、龍が如くシリーズは全作品大好きです(『北斗が如く』は除く)。
3作目からはプレイスポットやサブクエストが充実してどれもクオリティが高く、作り込まれた日本の実在の街を歩くだけでも楽しいし、同じ神室町という街ひとつとっても毎回変化する店舗や広告、サブクエストからは時代の変化を感じられ、独特で唯一無二のシリーズとして毎作楽しみにしてきました。
ただ、ストーリーやタレント起用にはあまり価値を見出せず、プロデューサーの名越さんが出演している放送で毎度繰り広げられる「あのシーン泣けました~」「あそこはスタジオのみんなが号泣してたよ」みたいなやりとりなどは心底どうでもいいと思っていました。
だって有名人を起用したり泣けるムービーを作る事って、典型的な狭い意味でのJRPGそのものじゃないですか。
それって1作目のキャッチコピー「ゲームに飽いた大人たちへ」の「飽いたゲーム」そのものですよ。
上記したように龍が如くシリーズはストーリー以外は独自の進化を遂げて私のような頭のおかしいファンが惰性で買い続ける以上の価値がある作品だし、ストーリー部分だけで批判するのは芯を食っていないとも思います。
ただ、ファンの多くは今でもどこかで初期の尖った作風…それはストーリーに限らず何でも良いのですが「何かやってくれそう」と期待していると思うんです。
もちろんそういった期待も年月とともに薄まり、正月映画を楽しむ感覚で適当にストーリーは流しているし、そういう意識が自然とファン離れを起こしてしまったとも考えられます。
ではもう「龍が如くに飽いた大人たち」を満足させることは出来ないのでしょうか?

 

前置きが長くなりましたが、今作『龍が如く7 光と闇の行方』は過去のスピンオフ含めた全シリーズの中でも間違いなく最高傑作。
これまで断絶されていたストーリー・マップ・キャラクターが見事に溶け合い「生きた世界」を実現させているのは海外のオープンワールド作品と並べても決して引けを取らず、ヤクザファンタジーと揶揄された画面のこちら側と隔絶されたリアリティも境界線を飛び越えてプレイヤーの心を抉ってくるというエンタメの神髄がこれまでのシリーズの良さを一切失わず実現していて圧巻!
ずっとこのシリーズを追いかけていて本当に良かったと思わせてくれる作品になっていました!

 

※以下、ネタバレあり。

 


春日一番を通して見る世界

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主人公は東城会の三次団体「荒川組」の構成員である春日一番。
春日が親と慕う荒川組の組長・荒川真澄(中井貴一)から荒川組若頭である沢城丈(堤真一)が犯した殺人の罪を被って欲しいと頼まれ、18年の刑期を務めて出所。この時点で春日の年齢は既に41歳。
出所後すぐに荒川組長に会いに行った春日だったが、荒川組はなぜか関西の近江連合の傘下になっていた。
そして信じられないことに春日と対面した荒川は何の理由も告げずに春日の胸に向けて発砲…

 

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横浜伊勢佐木異人町のホームレス街で目を覚ます春日。荒川の銃弾は心臓を逸れていた。
元看護士のホームレス・ナンバ(安田顕)の手当てによって一命をとりとめた春日は失意の中、異人町でホームレス生活を余儀なくされる。

 

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異人三…異人町は日本人の極道組織「横浜流星会」、中国系マフィア「横浜流氓」、韓国系マフィア「コミジュル」の3組織の睨み合いにより余所の極道組織の介入を拒んでいる。

 

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伊勢佐木異人町…横浜関内駅を中心に中華街や山下公園、スナック街など多彩なエリアが集約されている(ゲーム内での名称は異なる)。
マップの広さは神室町の約3倍。

 

ゲーム内世界、とりわけ現実世界を模倣したオープンワールドに必要な条件として「誰の視点で」「どの時代を」「何を軸にして」切り取るかが最も重要だと考えます。
いくらゲーム内に広大な世界を表現できたとしても全てを再現することなどは不可能だし、再現する必要もありません。オープンワールドゲームでは、よく「〇〇がない」という批判を見かけますが、それはプレイヤーにゲームの軸を読む視点が欠落しているか、そのゲーム自体の軸がブレているかのどちらかで、だいたいは前者である場合がほとんどです。

 

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今作の舞台である異人町はかなり複雑で多様な人種が混在していながらゲームのマップとしては非常に分かりやすくまとまっています。中華系でも横浜流氓は中華街のグループからドロップアウトした集団として描かれ、有隣堂裏の路地裏から狭い通路を進むと立派なアジトが現れたりと、過去作における「サイの花屋」のようなアングラな場所がストーリーにおける必然性を伴って各所に点在。
これらの日本・韓国・中国の組織がお互いのテリトリーを犯さないというルールを守ることにより異人町は外部の犯罪組織から守られ、ある種の均衡が長年保たれています。それとは反対に、関東関西のヤクザ組織は様々な利権に関する思惑が絡み合い、春日がかつて荒川真澄の中に見ていた任侠は揺らいでしまう。
去年公開されたNetflixの映画『アイリッシュマン』では、実話をもとにしてマフィアからかつて重んじられていた仁義が失われていく様子が残酷に描かれていましたが、今作における関西近江連合も政治家と結託し次々とヤクザのルールを破っていきます。しかし、それに対抗するため今まで睨み合っていた異人三が春日の行動をきっかけに結託し、互いの損得を越えた共同戦線を張るという展開に。
春日自身は18年刑務所にいて外の変化を知らず、かつて自分が親と慕っていた荒川真澄が出世の為だけに東城会を近江連合に売り払ったなどという事実は到底信じられず(銃で撃たれたのに!)、荒川真澄を信じる事がイコールかつての荒川が教えてくれた任侠道であり、それは絶対に裏切ることが出来ない。
主人公の性格や行動原理をここまで細かく丁寧に描いたゲームも珍しく、複雑に絡み合う組織や人間関係の中で、春日が何を許せなくて何を守ろうとしているのかが明確なのでストーリーの軸が非常にわかりやすい。

荒川に撃たれた後の春日はホームレスから再出発し、異人町での様々な出会いにより仲間を増やしていきます。

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それぞれの登場人物がどんな理由でこの街に来て、どんな役割を果たしているかがはっきりしていて、それらの人々と春日が対話し理解し合うことで異人町中に張り巡らされた無数の血管と春日が接続され、ゲームのキャラや世界に命が吹き込まれているように感じられます。
世界が生きていると感じられるのは優れたシミュレーションゲームオープンワールドゲームの特徴で、これまでの龍が如くでは「一般人のモブキャラ」と「敵キャラ」にマップ上のキャラが二分化されていて、神室町以外の街は映画のセットの上にサブクエストによる味付けを施した程度の観光地的な役割しか果たしていないように感じられました。
今作の舞台を横浜にしたことについて名越氏は「今までずっと逃げ続けていたことに着手した」と仰っていましたが、まさかマップの描写や広さだけでなく、圧倒的なテキストとイベントの量でオープンワールド的な広がりまで構築してしまうとは!

今作のバトルシステムがアクションからコマンド選択式に変更されたのは「仲間との協力」が欠かせないという理由からで、これは今作のストーリーをプレイしていくことで体感できるでしょう。

 

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ゲーム内では仲間との交流が頻繁に行われ、食事中や道を歩いているだけでも仲間同士が会話を始め、その種類や数も膨大。それぞれの仲間に「絆レベル」があり、これを上げることで戦闘中に効果が発動し、レベル5まである絆を一つ上げるたびにそれぞれのキャラとのストーリーまで発生するという異常な力の入れよう。
あえて2020年に「絆」というワードを持ってきたことに同時代性をとても強く感じます。
2011年の3.11東日本大震災後に流行した「絆」という言葉の意味と、今作で使われている「絆」は全くの別物。

3.11後にマスコミによって流布された「絆」という言葉は日本からとっくに失われた共同体の幻想をなぞるだけの安っぽいキャッチコピーでしかありませんでしたが、『龍が如く7 光と闇の行方』の中で使われる「絆」からは去年(2019年)起きた2つの芸能ニュースを想起せざるを得ません。
一つは吉本芸人の闇営業問題、もう一つはテクノユニット・電気グルーヴのメンバーであるピエール瀧のコカイン使用による逮捕。
吉本芸人に詐欺グループのパーティー営業を斡旋していた某芸人は「友人5000人」と豪語するほどの人脈を売りにしていたにもかかわらず擁護する仲間が誰もおらず吉本からは真っ先に首を切られ表舞台からフェードアウト。
一方でピエール瀧に関しては多くの同業者や友人が彼を支え、出所後にどうにかして彼の居場所を確保しようと必死に動き回る様子が見られました。
この2つの事件こそ3.11の「絆」と『龍が如く7 光と闇の行方』の「絆」との違いを明確に表しているように思えます。
両者は表面上似ているようで、吉本芸人の方は一回の失敗で全てが失われるような脆い人脈。ピエール瀧の方は世間やマスコミの声に関係なく帰るべき場所を確保し待っていてくれる友人たちがいました。
この2つの事件に対しネットでは「二度と芸能界に戻って来るな」の声が。
理由として「普通の仕事ならクビ」というものがありましたが、そもそも普通の仕事ではありません。
瀧さんは最近では役者としての知名度が圧倒的ですが、電気グルーヴとして世に出てきた人で、現在でも多くのファンがライヴや作品を待ち望んでいるし、ファンからの収益だけで十分やっていける人たちなので外野がとやかく言うのはお門違いです。メンバーの石野卓球氏に対して「解散しないんですか?」と言うのもおかしな話で、それは彼が自分で決めればよいことだし、実際卓球氏は音源の販売や配信を自粛したレコード会社との契約を切ってまで瀧氏を守ったわけですが、この卓球氏の行動を理解できない人が多くいることは本当に驚きでした。

 

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今作をプレイしていて去年の電気グルーヴ問題を思い出したのは、春日一番が出所してどん底の中で多くの人たちに直に接し受け入れられていくという前向きな側面がある一方、第3章から登場する「ブリーチジャパン」という団体の存在がありました。
彼らは「グレーゾーンを漂白する」というスローガンを掲げ、異人町の片隅で暮らす娼婦たちを追い出そうとしたり、風俗店の前でデモをしたりして、それを正しい行動だと信じて疑いません。
物事を「正しい」「悪い」の二極化でしか判断できず、査定能力も想像力もなく手段をえらばず粘着攻撃してくる様は正に一部のネット民そのもののように見えます。
しかもこの団体の横浜支部リーダーがブリーチジャパンに入ったきっかけが女の子目的だというステキな動機も10年代中盤に活動していた某学生運動団体を想起させます。

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そしてこの団体が国民からある程度支持されて政界に進出するところまでをきちんと描くことで「N〇〇をぶっ壊す」的なポピュリズムの萌芽さえも露呈させています。

 

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これは決して『龍が如く7 光と闇の行方』が過剰にメッセージ性の強い政治的なコンセプトを持っているということではなく、春日一番が刑務所に服役していた18年の間に日本がどう変わり、人々から何が失われてしまったのかをプレイヤーが春日を通して感じ、そのゲーム体験を現実にフィードバックさせることにより、当たり前の人間性や言葉の意味を見直すきっかけに成り得るということ。

 

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様々な立場や人種の人間と直に接し、古いものと新しいものがぶつかりあう中で必死に人間の普遍性を掴み取ろうと藻掻く春日一番の姿には心を打たれるし、確かな批評眼で切り取られた世界はリアルとフィクションの間にある壁に亀裂を生じさせ、登場人物から発せられる多くのセリフはリアルを生きる私たちの胸に突き刺さります。
ロックスター作品や『ウィッチャー3』が何故オープンワールドゲームとして高い評価を受けているかというと、こういった世界の構築が出来ているからで、『龍が如く7 光と闇の行方』は日本を描いたオープンワールドとしては現時点で最高峰だと思います。
多くのJRPGがオープンフィールドを採用する中で『龍が如く7 光と闇の行方』は表面的にはJRPG的なスタンスを取りつつ真逆のプロセスで虚実皮膜の領域に足を踏み入れることで善と悪に二極化されたJRPG的な欺瞞から脱却しています。

 

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ストーリーのラスボスに位置する青木遼というキャラクターも、春日とは対極に置かれながらも最終的には己の業に引き裂かれ両者が邂逅する場面が描かれ、初期作における桐生一馬と錦山彰との関係性を再構築しているようにも見えました。

過去作においても『龍が如く0 誓いの場所』(2015年)などの高い評価を受けている作品では真島吾郎や錦山彰の存在が大きく、真島や錦山のように善と悪の狭間で揺れ動いている所謂グレーゾーンの存在が世界にリアリティを与え、その中で初めてスーパーマン的存在の桐生一馬がプレイヤーにとっての憧れの存在として輝きを放っていたのではないでしょうか。

 

ゲーム性
上記したようにストーリーと世界観をリンクさせるために、あらゆる仕掛けがマップ上に用意されていて飽きることがない…というより100時間プレイしても全てを把握できないくらい膨大なイベントが用意されています。
トロフィーコンプリートは序の口で、様々なチャレンジにより実績が得られる「バイトヒーロー.com」でもオリジナルのサブクエストと報酬が用意されています。

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金策に関しては、横浜の物件を買い成長させて株価を上げることで「株主総会」がミニゲームとして遊べますが、過去作で好評だった「キャバつく」のシステムを応用した完成度の高いものになっています。
街の探索では植物の栽培やアイテムのリスポーンなどの飽きさせない工夫が見られます。

 

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戦闘に関してもFFの召喚獣的な「デリバリーヘルプ」が強力で、ストーリーやサブクエストで出会った人を助っ人として呼ぶことが出来、召喚ムービーはいちいち豪華。敵キャラは「スジモン」として図鑑に登録されるのでコンプリートするのが楽しいです。

 

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多くの人が指摘していますが、戦闘がダルいのは本当で、今後アップデートで調整していくようですがレベルが低く範囲攻撃が使えない序盤は苦痛です。システム自体は良く出来ているし、職や技も多彩で、後半になるに従いどんどん楽しくなってくるのですが、いかんせんテンポが悪い。敵を3人倒すと「○○を倒した」という表示が3人分出るまで誰も何も動かないのは不自然だし「追撃」という重要な要素も殺してしまっています。
異常状態になった時も敵味方含めて演出が終わるのを見届けなくてはいけないし、ここらへんは何か短縮するアイデアが欲しかったです。
レベルを上げたりレアアイテムを手に入れるために用意されたダンジョンはこれまでのシリーズと比べると格段に出来が良く、複数用意されているので、これらを使い分けられるようになると一気に楽しさが増します。だからこそ序盤のバランスは一刻も早く改善してほしいところ。
ただ、ここ最近の龍が如くチームの作品に頻繁に見られた「遊んでほしいサブクエストを遊ばせるための誘導」がなくなっていたのはとても良かったです。バッティングをしないとヒロインのクエストが進まない(『北斗が如く』)とか、やらなくていい難易度の高いクエストをやらせるためにメインストーリー中に強力な雑魚敵を配置する(『JUDGE EYES:死神の遺言』)などの「どう、これって面白いでしょ?」と言わんばかりの不条理な障害が消滅したのは喜ばしいことです。

 

まとめ
龍が如く7 光と闇の行方』はこれまでのシリーズの良さを踏襲しながらも圧倒的物量によるリアルな横浜伊勢佐木町を再現。18年間服役していた主人公・春日一番の目に映る人々の変化と、そこから見えてくるメッセージ性は同時代的で、現在を生きる大人の鑑賞に十分堪えうるストーリーが展開されます。
桐生一馬に代わる新主人公・春日一番の門出としてもこれ以上はないという出来で、今作からシリーズを遊ぶ新規ユーザーへの間口も広く、正に新生と呼ぶにふさわしい完成度。
日本人にターゲットを絞り、試行錯誤しながらも丁寧に作品を作り続けてきた龍が如くだからこそ到達出来た純粋国産のオープンワールドという側面は過去のシリーズとも一線を画しています。
それらが決して押しつけがましくなく、あくまでゲーム内世界での遊びとしての面白さを追求することが大前提になっているのが凄い。

 

現在私はトロフィーコンプリートして、先日発表された追加の有料DLCを待っている状態。
とにかくこの『龍が如く7 光と闇の行方』の世界でもっと遊びたいという想いでいっぱいです。

 

(C)SEGA