THE QUIET MAN
2018年11月1日配信
playstation4、MicrosoftWindows
クリア後の感想です。
音声なしバージョンの配信から一週間で音声付きの回答編が配信されるという新しい試み。
当ブログでは音声なしのプレイ体験からの考察やネットの声などを時系列に伝えるような記事を全5回にわたって書いてきました。
8月の公式放送から現在まで一貫してネット上では低評価。発売後のニコニコ生放送も1時間半で200人くらいしか視聴者がカウントされなかったり、Twitterの公式アカウントのフォロワーも100人程度だったりと非常に残念なスタートダッシュ。
普段はこういう売り上げとかでゲームを語ることはないのですが今作に限っては初週にどれだけ盛り上げるかが重要な作品だと思うのでここで手を抜いてほしくなかったんですよね。
予算の関係もあるだろうし2週目で評価をひっくり返す自信があったのかもしれないですが…。
感想としては「なぜアクション主体にしたのか?」という疑問が強く残る作品だなぁ、と。
考察が盛り上がってほしいなら探索や発見できるアイテムを増やす、それでなくてもプレイヤーの目に見える場所のディテールにはもっとこだわるべきだった。
お話は全部ムービーで、こちらで操作できるのは龍が如くの劣化版のような喧嘩アクションだけ。ムービーとアクションという構造を生かした仕掛けも一切なし。
音声アリとなしという構造すら全く生かされてない。
おなじゲームを2回プレイすることを強いるのは大変だとは思いますが、そういった企画が通り、それをプレイしてくれる人が存在するというのは作り手にとってすごく贅沢な環境ですよね。
その構造自体に仕掛けを施さないなら2回プレイする意味がないんですよ。
出題と回答のあるゲームと言えば『ひぐらしのなく頃に』が有名ですが、あれも裏技的なものを使っていてミステリとしては認めない人も多くいるし、その人たちの気持ちもわかるんだけどゲームの仕掛けとしては良く出来てるし支持者も多く生み出しました。
ストーリーの魅力と見せ方、プレイヤーの予想をひっくり返すようなアイデアがなければ考察させるタイプのゲームとして作る意味なんてないと思うんですよ。
このQUIET MANの開発者さんが何か特別な想いを持って今作を作り上げたのはわかるのですがゲームとして2回プレイする意味をどこかに持たせてほしかった。
超能力的な力を持つヒーローものなのは別によいのですが、今回のような同じ映像を2回見ることによる効果を期待するには題材としてどうなのかと。
その能力によって物語を根底からひっくり返すような『ひぐらしのなく頃に』的な展開でもなく、ただ単に最後の帳尻合わせに使っているように思えます。
シナリオが悪いというよりはゲーム性との相性や演出面の酷さによる不満が大きいです。考察を楽しむゲームなのにアクションに設定を寄せちゃった感じ。
プレイヤーが干渉できる部分がアクションだけということにそこまで不満はないんですけど、逆にストーリーを楽しみたいというような、スクエニさんが多く抱えているであろうライトゲーマーの人たちがクリアできる難易度ではない為、一体誰に向けて作っているのかが謎です。カウンターでしかダメージの与えられないザコキャラも複数存在し、操作性の悪さと相まってプレイヤーに大きなストレスを与える要因になっています。
ゲームをプレイすればするほど、開発者の話を聞けば聞くほどゲームの全体像がぼやけていくので回答編まですべてクリアした後の方が印象は悪いです。
プロデューサーさんの言う「我々は言葉に屈してしまうのか」「解けたと思っていた謎が根底から覆る」とか、おっしゃりたいことはわかるんですけど。それにはまずリアリティのルールをある程度守ってくれないと説得力が薄れてしまいます。回答編でちゃんと謎が解けるような話にしてくれないと。
結局現実に存在しないような設定のギャングや最後まで素性の良くわからないメインキャラ達が好き勝手なことをして言いたいことを言って超能力使って終わりなんだから。
映画でやればいいじゃん。
とは言ってもこういう挑戦的なゲームを応援したいし、こういうゲームが大手メーカーから低価格で出せる環境は今後もっと拡大してほしいです。
ただほんとに、アイデアもないのにやるのはどうかと思う。