みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

2019年に遊んだ新作ゲームランキング

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2019年に日本国内で発売されたコンシューマーゲームで、実際に私が買って遊んだ作品を面白かった順に並べてみました。

 

1.SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE | 隻狼

2.YⅡK:ポストモダンRPG

3.ヘッドライナー:ノヴィニュース

4.妖怪ウォッチ

5.ライアン・マークス リベンジミッション

6.DEATH STRANDING

7.FARCRY New Dawn

8.LoveR

9.じんるいのみなさまへ

10.絶体絶命都市4Plus 後日談

11.シェンムー

12.The Escapists: Complete Edition

13.ステイ

14.東京ダーク

15.ドラゴンクエストX いばらの巫女と滅びの神

16.ホラー SENSE 〜だるまさんがころんだ〜

 

今年9月にswitchを購入してDLのゲームを20本くらい買ったのですが、インディゲームとswitchの相性が抜群に良いのと、短時間で濃密な体験を提供できている作品が多くて驚きました。

PSVRも今年購入し、とりあえず過去作から遊んでいるので新作はあまり追えませんでした。

一応ランキングしてみたものの、ここに挙げたゲームはどれも面白かったです。

1位の『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE | 隻狼』にしても、その面白さを中々言葉で説明するのは困難かと思ったのですが、宮崎さんのインタビューがどれも素晴らしくてレビューが書きやすかったです。

2位の『YⅡK:ポストモダンRPG』は世間的な評価こそ低かったものの、私小説的なゲームとしては楽しめました。新しい流れとかには絶対にならないけど、こういった開発者の内面を見せていく世界観というのは希少だし個人的には肯定していきたいです。

 

現在ゲームはサブスクリプション時代前夜という感じで、個々のクリエーターがどの方向に向かってゲームを制作していっているのかが明確で、いちゲーマーとしては非常に刺激的で楽しいですね。サブスク時代とは言っても日本は全てに後れを取っていかざるを得ないわけで、そんな中SONY任天堂が積極的にインディゲームを紹介していく姿勢を見せているのは本当に素晴らしいし、海外とは別の新しいサービスが生まれそうな予感すら感じさせます。

 

問題はむしろゲーマー側の方こそ深刻であると感じています。

『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE | 隻狼』で多く見られた高難易度批判に「商品としてどうなのか」というものがありましたが、批判している人の多くは『SEKIRO』がフロムソフトウェアの新作であり、オンライン機能が実装されていない事を知った上で言っているのがSNSのTLを辿ることでわかりました。

彼らの意見を要約すると「自分がどんなゲームがやりたいかはわからないけど宣伝されているから買った。結果、理解できない・クリアできない。万人(主語すり替え)が楽しめないゲームは商品としてどうなのか?」という自己肯定を促すための詭弁として批判をでっちあげているにすぎず、不毛だとしか言いようがありません。

こういった中身のない(故に結論が出ない)正論っぽい理屈をこねくり回している内に今度は「ゲームに攻撃されている」と感じる人たちが現れ始めます。

昨年発売されたFPSゲームファークライ3 クラシックエディション』は、ジェイソンという固有の主人公が殺戮行為に快感をおぼえていく自分に疑問を抱きながら敵を殺しまくるという、いわばFPSを使ったFPS批判という構造になっていて、それはストーリーを最後まで進めることによりゲーム内で完結するものでした。

これに対して「主人公=プレイヤーだから、このゲームはプレイヤーである私たちを批判している」という日本人のレビューがバズっていたのが印象的。

今年公開されたゲームを原作とした映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』でも、ゲーム内の固有の主人公が敵から「大人になれ」と言われるシーンがあるのですが、これも「主人公=自分だから、これは私たちに対する監督からの攻撃だ!」と感じる人たちが少なからずいて、そういった一部の否定的意見を持ち上げて「だから一円も払わない!」という大量のエアーレビュアーが映画公開後も長きに渡り批判し続けるという地獄。

『YⅡK:ポストモダンRPG』もこの手の解釈によって批判されていることが多く、全く的外れだとしか思えません。

これ以外にもゲームを批判する際に最近よく目にするワードとして「胸糞展開」があります。確かに、作品としてデリケートな題材を扱う場合に作り手の理解が全く無かったり、差別を助長するような内容であれば「胸糞」という言葉を使うのは仕方ないとは思いますが、ほとんどの場合はただ単に戦争や災害でキャラクターが死んでしまったり、過酷な環境で理不尽な目に遭ったりなど、ストーリー展開として当然起きるであろう自然現象までが「胸糞展開」として批判の対象にされてしまっています。

 『絶体絶命都市4Plus』も、震災によって危険な目に遭う生徒を救った先生が死んでしまう展開にその種の批判が多く見られました。

現在、ゲームに対して「商品として」とか「胸糞」とか言っている連中はゲームをポルノやドラッグのように自分を気持ちよくさせてくれるだけで良いと思っている「プロの消費者」を気取っているわけですが、その大半は金も払わず作品を読む能力もない「ただの炎上系まとめブログ読者」です。

 

ここ数年(特に2016年以降)で、ゲームほどVRなどの表現手段から販売戦略に至るまで広く深く多様化したメディアは無いし、サブスク時代前夜の今こそゲーマー側が古い考えを捨てて頭をアップデートする時期なのだと思います。