みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

オープンワールドのゲーム【3】

【失敗作】
L.A.ノワールR☆ 2011年5月17日
夏色ハイスクル★青春白書D3パブリッシャー 2015年6月4日
ファイナルファンタジーXVスクウェア・エニックス 2016年11月29日

 

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L.A.ノワール』R☆ 2011年5月17日

 

・ここに挙げた3作品はどれもゲームとしては決して駄作などではないが、オープンワールドのゲームとしては全く評価されていない。これら3作品がマップをシームレス化しているにもかかわらずオープンワールドとして成立しているとは言い難いのは何故なのか。
シェンムーGTAⅢの系譜にあるオープンワールドの条件として「ストーリー設定に依存した箱庭の構築」と「プレイキャラ設定に依存した自由度」が重要であると考える。
冒頭で『モンスターハンターワールド』をオープンワールド的だと書いたが、本来プレイヤーに一方的に「ただ倒されるためだけの存在」であるモンスターの生態や環境を描くことは蛇足でしかないのだが、よりリアルな世界観を表現する上での箱庭世界の構築は志向として明らかにオープンワールドの系譜を辿っていると言えるだろう。
それに比べると上記の3作品はリニア式のゲームとしては十分なボリュームを満たしていながら、箱庭に対する思慮や、そこに割かれているリソースも圧倒的に足りていない。『L.A.ノワール』ではプレイヤーは主人公の刑事となり事件を解決していくわけだが、基本的な行動としては「現場を捜索」「容疑者への尋問」に重きが置かれていて、広大なマップはストーリーを進めるための直線的なルートの複合としてしか機能していない。『L.A.ノワール』がもしGTAクローンが量産された2006年あたりに発売されていたら違う評価になっていただろうが、『GTAIV』から3年後の作品としては詰めが甘い。
夏色ハイスクル★青春白書』も「恋愛ゲームのオープンワールド」を目指した野心作だが、過渡期のアイレムやスパイクのゲームと比べると箱庭の充実度が極めて浅く低い。ただこれは予算の問題もあってコンセプト自体はオープンワールドを目指したものではあると思う。

 

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ファイナルファンタジーXVスクウェア・エニックス 2016年11月29日

 

・『ファイナルファンタジーXV』はこの3作品の中でも最も問題の根が深い作品と言える。RPGオープンワールド化としては2006年に『The Elder Scrolls IV: オブリビオン』が、2008年に『Fallout 3』が Bethesdaから発売されており、そのオープンワールドRPG的解釈は一つの指標として非常に優れたものであった。
魑魅魍魎がフィールド上に跋扈するRPGにおいて、『オブリビオン』には西洋的な城壁に囲まれた城や街、『Fallout 3』には武装した民間人の集落があり、そこに住む人間たちのバックグラウンドを詳細に描くことで箱庭内の世界に説得力を持たせていた。それらは『シェンムー 一章 横須賀』における疑似家族的な地域社会や、『グランド・セフト・オートIII』がインフラを中心に都市を描いたことへの明確な解釈として成立している。
それに比べて『FF15』では現実世界と変わらないような無防備な街や施設が点在し、そこには同時に凶悪なモンスターがいて何故かプレイヤーだけを狙い撃ちしてくる。
道路には車とモンスターが衝突した形跡もなく、病院や警備隊のようなものもない。
モンスターたちはプレイヤーに「ただ倒されるためだけの存在」として存在し、その理由を補完するバックグラウンドは一切描かれない。
FF15』はオープンワールドへの理解が全くない状態で作られたことで逆に斬新ともいえる珍妙な作品になっていて面白くもあるわけだが、アイレムやスパイクの作品がオープンワールドの系譜を踏まえた上での「バカゲー」であるのに対して、『FF15』は「ファイナルファンタジーオープンワールド化」に失敗したことによって生まれた亜流の域を出ないものに分類される。

 

 

【成熟期】
『DEAD ISLAND』Techland 2011年9月6日
The Elder Scrolls V: SkyrimBethesda 2011年11月11日
グランド・セフト・オートVR☆ 2013年9月17日
『ウォッチドッグス』UBI 2014年5月27日
ゼノブレイドクロスモノリスソフト 2015年4月29日
『ウィッチャー3 ワイルドハント』CD Projekt RED 2015年5月19日
『Horizon Zero Dawn』ゲリラゲームズ 2017年2月28日
ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド任天堂 2017年3月3日
『Marvel's Spider-Man』SONY 2018年9月7日
レッド・デッド・リデンプションII』R☆ 2018年10月26日

 

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ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド任天堂 2017年3月3日


・『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』はリアル志向のオープンワールドに一石を投じた革新的なゲーム的リアリティを採用した作品。動物を倒すと一瞬で肉に化ける演出は一見するとゲーム的な記号化にも思え、海外作品における狩りのリアリティを再現した演出に劣るように見える。
しかし『ブレス オブ ザ ワイルド』の世界はその全てが日本的な山岳信仰からなるアニミズムによって構成されている。万物に神が宿る『ブレス オブ ザ ワイルド』の世界は草木や動物、風や雨までもが生き物のように描かれ、獣には「神が毛皮を纏い肉を運んでくる」というアイヌのカムイ的思想が見て取れる。ゲームのインタラクションとしてはUBIのオープンワールドゲーム等を模倣しつつ、異なる角度の世界解釈によって独自のオリジナリティを獲得している。
「リスを倒すとドングリに化ける」などという発想はアメリカやヨーロッパのゲームからは出てこないものだろう。
他の作品が現実ではないファンタジー世界を描いていようと、その箱庭のリアリティは現実的な価値観によって決定付けられているのに対し、アニミズムという思想によって世界の価値観を一から見直して創造された『ブレス オブ ザ ワイルド』はオープンワールドの歴史を語る上で最も重要な作品の一つだと言える。

 

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レッド・デッド・リデンプションII』R☆ 2018年10月26日

 

・『レッド・デッド・リデンプションII』は『ブレス オブ ザ ワイルド』の対極ともいうべき現実世界のリアリティを極限まで追求した。これまでロックスターゲームスが築いてきたオープンワールド世界に可能な限りディテールを付け加えていった世界は、ある意味シェンムー的な先祖返りを果たしている。その緻密さはロックスターの思想を体現しすぎているといってもいい。
『ブレス オブ ザ ワイルド』がアニミズムによってファンタジーオープンワールド世界を拡張したのに対し、『レッド・デッド・リデンプションII』はリアリズムに対する独自の定義を推し進める事により新しい世界を開拓し続けている。

 

・2019年現在「オープンワールドゲームとは?」と聞かれればこれらの作品を指すのが妥当だろう。いずれも広大でシームレスなマップを舞台とし、軸となるストーリーや箱庭の構築にも抜かりがなく完成度の高い作品ばかりだ。
これらを前にして『侍』や『ペルソナ3』がオープンワールドだなどと言えば一笑に付されるであろうし、『モンスターハンターワールド』にしても同時代のこれらの大作と並べれば混乱を招くだろう。
ただ、『龍が如く』シリーズの最新作『JUDGE EYES:死神の遺言』(2018年)のように、マップこそ上記の作品群に比べると狭く、乗り物も存在していないこの作品もまたオープンワールド過渡期の派生の一つであることに間違いはない。オープンワールドは「ストーリー」という縦軸に依存した箱庭による「自由度」という横軸のバランスによって成り立っている。
「世界の広がり」と「マップの大きさ」は必ずしも比例するわけではなく、『JUDGE EYES』が新宿の街を根城にしている探偵が主人公ならば新宿にフォーカスを絞って箱庭を作り込めばよいし、乗り物等も必然性がなければ不要だ。GTAクローンの多くが陥った問題は「シームレス」や「通行人への殺傷行為」など、GTAⅢの表面的な特徴だけをトレースした「自由度の履き違え」であり、海外ではそういった有象無象の失敗作をもうとっくに越えて現在があるのだという事実は知っておいたほうが良い。

 

まとめ

リニア式ゲームのカウンターとして誕生したシェンムーの思想はGTAの成功によって拡散され過渡期には様々な解釈や批評として多くの個性的な作品が生まれた。
2010年代に入るとオープンワールドはカウンターとしての役目を終え、大作ゲームに欠かせない様式の一つとなっていった。現在それは具体的に「シームレスなマップ」や「サブクエストの充実」を指すことが多いが、それらの要素の有無でオープンワールドか否かを議論することには意味がない。そもそも始祖的存在であるシェンムーGTAⅢがそれらの要素をそこまで満たしていないからだ。実はGTAクローンの時代にはシームレスなマップによる作品がここで紹介したもの以外にも数多く確認できたが、その多くは粗悪品であり日本版が発売されていない。
マップの広さに拘らず、サンドボックス要素を取り入れることでオープンワールドを解釈した過渡期の日本のゲームはどれも優秀だ。00年代にオープンワールドは、その核となる思想と様式に分裂しかけており、『GTAⅣ』の成功がなければ形骸化していたことだろう。特にシームレスなマップを採用した多くの粗悪品を経験していない日本ではなおさらである。
オープンワールドとは90年代後半に既存のゲームに対抗するために生まれた思想であり、その形は時代や作品によって異なる。現在では技術的な進歩によってオンラインゲームを含む様々なジャンルの作品がシームレスなマップを実現している。それらの多くが20年近いオープンワールドの歴史を踏まえたものになっていることから様式としてのオープンワールドというものは確かに存在していると言えるだろう。

私がこの記事を書くきっかけは先日プレイした『The friends of Ringo Ishikawa』(2018年)というインディゲームで、ドット絵で描かれた横スクロールのゲームであるにもかかわらず説明文には「オープンワールド」とはっきり書かれていた。
開発者はインタビューで「シェンムーやペルソナ3に影響を受けたオープンワールド」と発言しており、実際プレイしてみると、なるほどオープンワールド過渡期の和製作品の特徴の多くと一致している。
しかしこれは様式としてのオープンワールドしか知らない層には混乱を招くだろうとレビューでは「オープンワールド風」とぼかして書いた。様々なゲーム雑誌やゲームサイトを調べてみると「オープンワールド風」と書かれているゲームのあまりの多さに愕然とする。これほどメジャーなゲーム用語でコンセンサスの取れていないジャンルもないのではないか?
今回3Dゲームの創成期からサンドボックスとの関係性まで時系列を辿って紹介してきたが、オープンワールドという掴み所のないジャンルの歴史を踏まえることでゲームの楽しみ方はより広がり、新しいゲーム表現への理解にも繋がる事だろう。

 

 

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