みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

子供部屋おじさんゲーマー

ここ最近話題のワード「子供部屋おじさん」

起源はプロゲーマーのウメハラさんがテレビ出演した時に映った彼の部屋が「勉強机にベッド」という、まるで子供部屋のようだったことからきているようです。

これを馬鹿にしている実況民を「お前らも子供部屋おじさんだろ」という煽りに反応してしまった多くのネット民によって各方面に広がってしまいました。

現在「子供部屋おじさん」の定義は

・実家に住んでいる

・年齢は30~40代

・独身

・社会人

ここに年齢や収入、異性との経験人数から趣味まで様々な定義を含む場合があります。

主にネット民を煽る言葉で、ネット上で好感度の低い「政治語り」「自分語り」「女性差別」「ネトウヨなどの言説を振りかざす男性に向かって「おまえそれ子供部屋から書きこんでんの?w」というワードの使い勝手の良さ・効果は絶大。

今までネット上という匿名の安全地帯から好き勝手言っていた一部の「子供部屋おじさん」の地盤を根底から崩しかねない破壊力を持っています。

当の「子供部屋おじさん」コスパ」「不動産屋の陰謀」などで対抗しているのが現状。

 

ひどい差別的な言葉ですよね。

私は以前結婚相談所に勤務していたことがあるのですが、確かに実家住まいの男性というのはあまり人気がありませんでした。

友人に素敵な男性を紹介しても「でも実家住みなんでしょ?」と渋い顔をされることもしばしば。

特に社会的に自立している女性からは20代半ばの若い男性でも一人前に見てもらえなかったりします。

そういう人に対して私はいつも「様々な事情の人がいるので一括りにしてしまうのは想像力の欠如なのではないか」と批判してきました。

 

名古屋への違和感

生きていると色んな人と出会い、時にはそれによって嫌な思いもたくさんします。

まだ出会って間もない人に「どうしてこんな嫌な事を言われなければならないのだろう」「どうしてこの人はこんなに攻撃的なのか」など。

インターネットで人気のブログを閲覧したり動画配信を見ても、上手く説明出来ないふとした言動に今まで遭遇した嫌な人の特徴を見出してしまって好きになれないことが稀にあります。

そんなある時、私の嫌いな人が地元の名古屋に帰ったことを聞きました。偶然それと同時期に以前から違和感を感じていた配信者が名古屋出身だということを知りました。

だんだん気になってきてリアルで嫌いな人たちの出身地をSNSで確認したのですが、他に名古屋出身の方はおらず、私のただの思い過ごしでした。

…と思ったのですが、違和感を感じていたブロガーや配信者を調べると、何とその8割が名古屋出身だということがわかり、さすがにこれはどういう事かと思い名古屋民について調べてみたところ…

 

・仕事の関係で名古屋に住んでるが、周りのいい年したおっさんおばさんが実家暮らしばかりで驚いてる。退職した31歳の男がいたけど、退職手続きに親が来たのには言葉を失った。凄い県民性だと思う。

・若い人も年寄りもなんで独り言ばっか言ってんの?汚い言葉ばかりの独り言。

・人の容姿や悪口をイキイキと話す。

・くだらない揚げ足取りが大好き。平気で人前で韓国人や中国人の差別をする。

・すれ違う時にジロジロ観察するように見てくる。常に自分が正論、合わない違う意見はおかしい奴、店員は下、買ってやる、食ってやる。客には売ってやる食わせてやってる、などなどなど…

・地元にいて同級生とか田舎の狭い人間関係だけで完結していて、さらにはいつまでも実家暮らしとかで甘やかされてたら、どうしても人間井の中の蛙になりがち。名古屋にはそういうのが多い。

・コンビニ店員が上から目線の奴が多いから中国人がレジ打ってる店に行くようにしている。

 

これらはあくまでも愛知県外の人から見た一部の意見ですが、調べてみると2015年のデータでは名古屋市30~34歳独身男女の親との平均同居率が70%という調査結果があります。2012年調査の首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)の42%に比べると確かに高いです。

※二世帯同居では愛知15%・東京8%と高く見えますが国内全体ではそれほどではありません。

そういった同居率に加えて愛知県は工業・農業における出荷・自給率が高く、一生を県内で過ごす人の割合が高く、独自の価値観を形成する環境が生まれやすい。

これが他県の人間からすると激しい違和感や排他的なイメージに繋がっているのだと思います。

同じ日本人でありながら彼らの選民意識や、それを他県でも振りかざす態度は知らない人からすれば上記したような悪いイメージに簡単に繋がってしまいます。

こういった「名古屋民とそれ以外」のお互いの文化の違いを知る機会があまりない状態のままネット時代に突入してしまったことで数々の衝突が起きているように思えます。

ともすれば強い選民意識は差別的なものへ繋がりやすく、ネトウヨ2ちゃんねるのようなものとの親和性も高いわけで。

 

どうして名古屋の話をしたのかというと、「子供部屋おじさん」「ちゃんと稼いでいる」「自立していない」という状況と、両者の持たれているネガティブなイメージが共通するからです。

経済的には安定し、それをアイデンティティにすることで実家から出る必要性を感じていないわけですよね。で、自分の行動範囲の外側から来る人にはマウントを取りがち。

政治や社会情勢について語るのも自身の経験や他者を思いやる気持ちとかが軸にあるわけじゃなくて、勝手に日本を憂いていたり、一言物申してやろうという無意識に自分を大きく見せようとしている感じが前面に出てしまっていて鬱陶しく、誰の何の役にも立たない(おじさんの虚栄心を満たすためだけの)言葉だから聞かされる方も苦笑いしかできません。

おそらくこの「子供部屋おじさん」問題も政治・社会的な切り口で他人事のように(ドヤ顔で)語ってくれることでしょう。

 

子供部屋おじさんゲーマー

『『ガンダム』のとき、すでに(監督の)富野由悠季さんが、自分の仕事はアニメファンにパロディーとしての場を与えているだけではないかという、鋭い指摘をなされていた。僕もそれを実感したのは『セーラームーン』です。あのアニメには中身がない。キャラクターと最低限の世界観だけ、つまり人形と砂場だけ用意されていて、そこで砂山を作ったり、人形の性格付けは自由です。凄く使い勝手のいい遊び場なんですよ、アニメファンにとって。』(庵野秀明)

 

…まさに子供部屋そのもの。

 

この庵野監督の指摘は一部のゲーム・アニメファンの幼児性を的確に捉えています(作品そのものとは無関係)。もちろん似たようなケースはどのジャンルにも存在しますが、一般的に偏見の対象になりやすいアニメやゲーム。ここはゲームブログなので「子供部屋おじさんゲーマー」について書いていきます。

 

ゲームが商品である以上、それを買った消費者が個人的に評価を行うのは自由ですよね。ネットにレビューを書くときは客観的に「良い点・悪い点」を書けば、購入を検討している人たちの役に立つ情報として機能します。

ところが一部のゲーム作品では批判を一切許さないようなものもあります。

全肯定のみ。

「俺はおもしろかった。だから文句言うな」というようなもの。

そういう作品に寄せられるAmazonでの絶賛レビューも、一行とか二行とかの非常に短い文のものが多いです。

庵野監督の指摘からもわかるように、ファンが作品を私物化・一体化することによって、その作品を批判することはそのファンの存在を否定することになってしまいます。

マイノリティな趣味を持っていれば、それによって差別された経験から他者との相対化を経て多様性や柔軟性、もしくは強固な理論武装を獲得したりするものですが、近年ゲームそのものがそこそこの市民権を得てしまったことによってファン自身も根拠のない自信を持ってしまいました。

それにより、個の内側に批評性を持たない、作品から自立出来ないファンを大量に生み出すことに。

こういったファンが対象の作品そのものを愛しているのかといえばそんなことは全然なくて、自分のアイデンティティが崩れるようなもの「プラットフォーム・自分の嫌いな層へのアプローチ」「自分の推しているキャラの退場」など、作品の面白さとは全く関係ないような部分で突然キレたりします。

「値段が高くて買えないや」と言う子供には「貧乏人は買わなくて結構!」と言っておきながら、自分の好きなキャラが作中で死んだりするとブチギレたりします。

そのキャラに自己を投影しているとかではなくて、自分の居場所を脅かすような出来事にうまく対処できないんですね。

批判する人(敵)に対抗する時も自分の意見なんてないから開発者目線になりがちで、大きな後ろ盾があれば黙らせられると思っているんですね。幼稚だから。

ネット上では同じ趣味の人同士が集まるので一見付き合いやすく見えますが、少し長く付き合っていると他人との距離の詰め方などに異常なものを感じることがよくあります。

最近では有野課長(よゐこ)の「アプリはやりません そこにエンディングがないので」というTwitterでのつぶやきに

「ちゃんとエンディングのあるアプリもありますよ!」

「○○(ゲーム名)などはどうでしょうか!」

「決めつけは良くないですよ!」

「ちゃんと探したんですか?」などのクソリプが飛び、

「やかましい事になってきているので明日コレ削除します あー やかましい」有野課長を怒らせてしまうという出来事がありました。

他人に自分の価値観を押し付ける行為はもちろん嫌われますが、この場合は価値観ですらない感じがするので「やかましい」という表現は言い得て妙。

このやりとりだけでもう、普段人とちゃんとした会話をしていないか、人の話を聞かない・聞けない人だと見抜かれてしまいます。

相手の立場や気持ちを想像出来ず、自分の部屋で起きていることのように錯覚して脊髄反射的に反応してしまう。

こういった一部のゲーマーのイメージも残念ながら一部の「子供部屋おじさん」と共通してしまいます。知識の使い道がことごとく間違っていて、逆に他人に迷惑をかけてしまうという。それでいて無自覚。身内でちょっとちやほやされると簡単に全能感を得てしまい大きな声で世相を切ったり弱者を踏みつける。

肯定されると簡単に「仲間認定」し、少し批判されるとすぐに「裏切られた」と感じてしまう。

求められてもいない余計な説明をしがちで、その加減がわからない。

身近に理解者や意見を言ってくれる人がいないので、どこまでも果てしなく暴走します。

 

何故おじさんなのか

これはただ単に男性の多い匿名掲示板発祥の言葉なのでそうなっただけだと思いますが、案の定痛いところを突かれた一部の「子供部屋おじさん」によって女性版の同義語も既に作られています。

今までのこういった差別的な言動が嫌われていたことが原因で広まってしまった言葉なのに相変わらず無自覚なのがすごいです。

これまで外国人労働者非正規労働者生活保護受給者などを国を盾に批判してきたわけだから、少子化に加担している独身男性が批判されるのは自分自身の理に適っているのでは?

その矛先を自分と同じ境遇の女性に向けるなんて流石ですね!

 

30~40歳で結婚はおろか恋人もいないというのは、その人自身に何らかの問題があるのは確実ですが、それによって女性蔑視的な思想を育ててしまうのは効率が悪いというより何かがもう既に壊れている可能性があります。

 

ここまで書いてきた、ネットでのネガティブな評判を見てしまった名古屋の人や、世間から厳しい目で見られがちなゲーマーと同じく、「子供部屋おじさん」というワードによって多くの独身男性が傷ついていると思うし、そういう偏見や言葉は早くなくなってほしいと思います。

しかし一方で、これらの環境によって排他的で独善的な、いわゆる「人から好かれ難い人格」を形成しやすいとも考えられますし、こういった偏見を生み出している一部の人たちがこういう蔑称によって変化するとは到底思えません。

 

昭和90年代

「子供部屋おじさん」の親世代~60年代にロックンロールやニューシネマが旧世代との断絶を志向し若者文化が生まれ、70年代日本の学生運動は国家すら解体しようとした「自立の暴走」ベトナム戦争終結によって鎮静化~その後80年代大量消費文化を中流家庭の一軒家で少年時代を過ごした現在の30~40代が、今でもその家の子供部屋でガンプラやパソコンを組み立てているのかと思うと狂気を感じずにはいられません。

いい大人がまとめブログの知識で政治を語ったり、日本という国家を憂いてネットで他人を監視し説教を浴びせるのも、彼らがまだ昭和という時代の檻に囚われながら叫び続けている悲鳴のような気がしなくもないです。

ネットで一部の攻撃的な「子供部屋おじさん」の言動を見ていると、「自立」がどうとか以前に「若者」にすら成れずに年老いてしまっているような印象を受けます。

家庭環境や様々な事情で自立できない・結婚しない人を責めるのはお門違いだし、こんな陳腐な蔑称は一刻も早く風化してほしいです。

一部の、ネット上でヘイトをまき散らす人に対しても決して関わらず煽らず、ノスタルジーの世界の中を全力疾走するドリーマーとしてのおじさんに、心の中で「がんばれ!子供部屋おじさん!」と、陰ながら応援していきたいと思います。