みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

ドラゴンクエストビルダーズ2(PS4)

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ドラゴンクエストビルダーズ

スクウェア・エニックス

2018年12月20日

Playstation4Nintendo switch

 

 

 1.

ドラクエの世界は『Ⅷ』以降3Dに移行したが、ハードの進化によってフォトリアルな描写を適応させた時にいくつかのズレを調整する必要に迫られる。
例えば環境。『Ⅷ』に出てくる牛は丸くデフォルメされた姿をしているが『Ⅺ』の牛や馬は非常にリアルに近いものになっている。
しかしマップのリアルな描写に合わせて環境生物をリアルにすればするほど鳥山絵のモンスターたちは陳腐化し、まるで実写の世界の中にアニメのキャラがいるかのように浮いてしまう。
モンスターの生態系が描かれていないため、『ヒーローズ』のような広くて平坦なマップを舞台にした時には大量の凶悪なモンスターたちがお互いに全く干渉することなくただただそこに佇んでいるという事態が起こる。
彼らはただ主人公に倒されることだけを目的として定位置についているのである。
環境で言えばもうひとつがBGMの問題だ。
ドラクエでは街や城やフィールドマップそれぞれにそれ単体で成立するような明確なメロディを持った楽曲が流れる。これによって環境音を流せる頻度は落ちてフォトリアルなマップの世界観を補完することが困難になる。
かつてドット絵で描かれた世界に彩を与えていたこれらの要素が現在では最新の技術で獲得出来る表現を拒絶し、ドラクエというタイトルを良くも悪くも孤立させている。

 

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DQBはこれらすべての問題をいとも簡単にクリアしている。
まず、全ての人間の等身が鳥山絵に合わせられ、あらゆる小道具から環境生物の統一されたデフォルメ化が成されている。
そしてブロックによって構築されたマップは、かつてのドット絵から地続きの世界を蘇らせた。
今作DQB2には多くのペットや家畜などの生物が追加されたが、正直ここら辺のデザインはまだまだ改良の余地があるかとは思う。
だが小道具やブロックに至るまでのデザインは秀逸で、個人的にはあらゆるゲームの中でもビジュアル的なオリジナリティはトップレベルだと思う。
これが鳥山絵だけで達成できるようなものでないことは最新作と比較すれば明らかで、DQBのコンセプトと優秀なデザイン班との邂逅によって生まれた奇跡のようなものだ。
今作で追加されたアイテムやモーションもDQBの世界を何一つ壊すことなく楽しさを底上げしている。

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特に新ビルダー道具「風のマント」での漫画的な滑空のモーションなどはナンバリングの等身では到底実現できないものだ。

 

2.

ドラクエのストーリーは総合的なテーマよりも主人公が訪れるそれぞれの街や城などで起こる単発のイベントの方が印象に残るような作りになっている。

押しつけがましい説教的なメッセージは排され、良質な短編を巡ることによってプレイヤーに自然と目的を理解させるストーリーテリング堀井雄二氏独特のゲーム観と才能によって支えられてきた。

このゲームデザインは本質的には一本道にもかかわらず、『Ⅱ』の船に代表されるような移動手段をプレイヤーが得ることによって多くの街や城へのルートが解放されて、プレイヤーに自由な判断を「ある程度、ほど良く」任せることが出来る。

それが特に顕著なのが『Ⅶ』までで、『Ⅰ』~『Ⅶ』までのドラクエは堀井氏自ら方眼紙にマップを描きながら物語を創造してきたという。

前作DQBはIFの世界を描きながらもこのようなドラクエの世界観の補完に成功した。

一つのマップに一つの拠点という容量的な制約を逆手に取った「良質な短編を編み込む」手法は結果的に堀井雄二主体の良い意味で古いタイプのドラクエを復興させた。

ドラクエは過去作においても『Ⅵ』の井戸や『Ⅶ』の石板システムのように意図的にこういった手法を取ってきたわけで、DQBが2D時代のドラクエのシステムを採用することは非常に理に適っており、多くの古参ファンが近年のナンバリング作品よりもDQBにかつての「ドラクエらしさ」を見出して高評価していたのも頷ける。

 

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しかしDQB2のストーリーはこういったドラクエの不文律を大幅に逸脱したものになっている。
プレイヤーは「破壊と創造」というテーマの上に乗せられて一本道のレールプレイを余儀なくされる。寄り道は許されず、あくまでも開発者の想定したルートの上で様々な冒険を「させられる」のだ。プレイヤー自身による「発見」や、ブロックメイキングの特性である「破壊と創造」ですらメインストーリーを構成するミッションのクリア条件以上の意味を持たない。
しかもこのメインテーマである「破壊と創造」も終盤のセリフによる説明に終始していて、実際に展開される話は90年前後の少年ジャンプ全盛期の漫画作品にあったような「友情・努力・勝利」のような形骸化した王道モノである。


仮に今作が『ファイナルファンタジービルダーズ』であったなら違和感なくプレイできたかもしれない。

だが、これはドラクエだ。
メインストーリーという大きなテーマに巻き込まれた主人公キャラはプレイヤーの手を離れ自分自身の意志で生き生きとメインストーリーの一員として勝手に行動しはじめる。
だがドラクエであるがために「はい・いいえ」しか言えず、まるでそれから解放されようとするかのように大きなリアクションをとり、最後に至ってはプレイヤーが知らない主人公のちょっとした謎まで明かされる。
ドラクエはこれまで主人公の設定にマスコット的な可愛さやマッチョ的な強さを極端に避けてきたし、同じように「主人公=プレイヤー」を貫いてきたポケモンにしてもそういったキャラクター性は仲間モンスターの役割としてきた。
もう一度言うが、これがファイナルファンタジーなら何も問題ではない。
もっと言えば、ドラクエの決まりを守れとも思わない。
派生作品としてDQBをFF化したいならすればいい。ただもうそうなったら他の決まりも破るべきだ。
主人公は適度に喋らせて「オレは無駄な破壊や創造はしない」というようなセリフでも言わせて、ミッション中にしか壊したり作ったり出来なくする、そこまでしてやっと初めて成立するストーリーだ。
自由なブロックメイキングと「主人公=プレイヤー」というドラクエの設定の上でゲームを始めたにもかかわらず、「決められたものしか壊せない」「決められたものしか作れない」状態でストーリーを進めさせられて、挙句最後に「創造と破壊は一緒なんだ!」と言われても「はいそうですか」としか思えない。
これはストーリーの内容の良し悪しの話ではない。
ゲームデザインの主軸を定めないまま自由度とストーリーの規模を大幅に拡張した結果、雑多なフラグ管理とプレイヤーの行動を制限する装置で着膨れした歪んだものになってしまっているようにしか見えないのだ。

 

3.

上記したように今作の自由度とレールプレイングの折り合いをつけるためにプレイヤーは終始細かな説明を受けながらゲームを進めることになる。
継ぎ接ぎの縫い目の部分を延々と歩かされ、終盤になってもチュートリアルが続く。

 

具体的な例を挙げると、ピラミッドのいちばん奥に部屋のようなものが見えたので近付いてみると、部屋の入り口でNPCに呼び止められて「おい!奥に大きな部屋があるぜ、何かありそうだな。大きな像がいくつか並んでるけど2体足りないな、見つけてそこに並べれば何か起きるんじゃないか?そういえば手前に通路があったよな、とりあえずそこを進んでみようぜ」と一気にまくしたてられる。

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※奥の部屋はプレイヤーからは暗くてまだよく見えていない

更に次に話す人物の頭上やマップ上の行くべき場所までマーキングされ、『Ⅺ』から採用された吹き出しまで使って丁寧に道案内してくれる。きっとプレイヤーの事を磁石か何かだと思っているのだろう。

そしてあらゆるものをミッションの達成条件に設定しているため、新しいアイテムを見つけて取っただけでもゲームの想定した条件を達成したことになり、○○というアイテムを持った状態で「○○を取って来てくれ」というミッションの説明を受けて同時に達成してしまうという面倒なことが頻繁に起こる。
こういった、プレイヤーの発見と探索によってミッションを先回りされることを極端に恐れるあまりに多くのNPCのセリフが不自然なものになり、そういった不自然さを誤魔化すためにそれぞれのNPCに口癖や語尾の特徴さらには堀井雄二著「しんでしまうとはなにごとだ」の中にあるような、いかにもドラクエらしいセリフでコーティングすることによってテキストは混乱を極める。
それが特に顕著に表れているのが物語終盤に差し掛かる時点で行くことになる監獄島だ。

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展開上戦闘やビルドが抑えられた監獄島のステージはプレイヤーにとって文字通りの苦難を強いる場所でもある。

ここではテキスト以外の演出の粗も目立つ。
監獄島からの脱獄を手伝ってくれるモンスターが数体仲間になるのだが、仲間になるたびにいちいちあのお馴染みの効果音が流れる。

サマルトリアの王子に会いたくてもすれ違いでなかなか会えず、リリザの街の宿屋でやっと会えた時に初めて流れたあの効果音だ。結構長い。

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この、ドラクエにとって大切な効果音が、たった5分程度しかパーティーに加わらない「くさったしたい」を仲間にした時にも流れる。しかも監獄島のモンスターを仲間にすると、もれなく名前を付けさせられるので物語後半にまた登場するのかと思えばそれもなかった。
あまりにも酷い。

派生作品の中でも最低のテキスト&演出だと言わざるを得ない。
終盤になると感動ポイントまでわざとらしい演出で教えてくれる。
まるでバラエティ番組のテロップのようだ。

プレイヤーを馬鹿にするのもたいがいにしろ。

 

4.

監獄島を越えるとムーンブルク編に突入する。
このステージでは上記したゲーム性とストーリーの「噛み合わなさ」がかなり解消されている。

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ここでは壊れた城を立て直しながら定期的に襲ってくる敵軍に対処しなければならない。
ストーリーの必然として主人公の行動を制御し、頼まれたミッションも敵の行動を予測しながら進めていく。
食料を確保するためにキッチンは奥にしようかと考えたり、罠を仕掛けるミッションが終わった後も敵の行動を予測して余った罠を配置する遊びはプレイヤーの能動を促し、「やらされている」という感覚を忘れさせてくれる。

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ここまでずっと単調だった戦闘も、数々の罠や兵器を城前に配置することによって、こちら側の攻撃パターンが多彩になり楽しさが増している。
ストーリー的にはこのムーンブルク編だけがかなり無理のあるおかしな話になってはいるが、そこからは「守りながら攻める」というゲームの面白さを主軸にストーリーを肉付けしていった事が見て取れる。
他のステージにおける「ストーリーを見せるための後付けのゲーム配置」とは真逆の、ゲームを主軸にした作りになっており、元々の土台が持つ高いポテンシャルが全面的に発揮されている。
全編通してこのムーンブルク編並みのクオリティが実現していたらと考えると本当に惜しい。
やはりビルダーズのストーリーはサンドボックスの特性を生かした、プレイヤーに能動を促すゲーム性を主軸に作ったほうが面白い。
テキストが多少味気なくてもプレイヤーがその世界の中で自分の意志で作ったり壊したりするインタラクションによってドラマは補完されるだろう。

前作がそうだったように。


そもそもDQB2というゲームはプレイヤーを信用していないのだ。
「俺様の考えたおもしろいストーリー」をDQBという場違いな舞台でプレイヤーに強要しているに過ぎない。
今作のストーリーを実装した人間は本当にマインクラフトやブレスオブザワイルドを研究したのだろうか。
いやその前に、ドラゴンクエストというゲームをプレイしたことがあるのだろうか。

 

5.

ここまでストーリーについて書いてきたが、システム的には前作よりも大幅な改良が加えられていて建築やシミュレーション部分は素晴らしいと思う。
メインストーリーにしても、ビルダーズじゃなかったら面白いのかもしれない。


しかし大量のバグがそれらをすべて台無しにしている。
進行不能バグやその他の細かい不具合もサンドボックスゲームでレールプレイを実現しようとしたことによるフラグ管理の複雑さに起因している部分は多いだろう。
ストーリークリア後のフリービルド目的に買った人にはここで書いたようなことはあまり気にならないかもしれない。
だがフリーに辿り着くにもストーリークリアは必須で、しかもクリアまでに要する時間もかなり長い。
コアなファンは今作のバグの戦犯をコエテクのせいにしたいのだろうが、私はそうは思えない。
根本的なゲームシステムや販売促進方法、そして現在発売から40日以上経過しても改善されないバグにおけるスクエニの消費者への対応含めてあまりにも酷いと思う。
今作の元となる初代『ドラゴンクエストⅡ』もゲームの終盤はろくにテストプレイされずに発売されゲームバランスを著しく崩し、開発者の中村光一氏は購入者に申し訳ない気持ちで悩み続け20年以上経っても夢に出てきたという。
その後『Ⅲ』『Ⅳ』『Ⅴ』と傑作を生み続けた中村氏が、だ。


6.

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ここまで書いてきて、あまりに辛辣な感想になってしまったと思いトロフィーコンプリートまでやり込んでみたが、結果的に更なる歪みを体験することになってしまった。

ストーリー後はからっぽ島で自由に建築できると思っていたプレイヤーは私だけではないはずだ。

しかしこのゲーム、そう簡単には遊ばせてくれない。

例えば「かわきのつぼ」というビルダー装備は水や湯などの液体を入手するアイテムなのだが、このアイテムの特性を全て使えるようになるまでにはかなりの数のミッションをこなさなければならない。

「部屋レシピ」という、ゲーム中にたいしたヒントもない複雑な組み合わせの部屋を複数作らなければならなくなり、結果的に公式攻略本を見なければとてもじゃないが達成出来ない。私は外部サイトを見て達成出来たが、これが小さい子供だったらどうだろうか。

部屋レシピの総数は123にも及ぶ。そして島が認識できる部屋数は100である。

ストーリー中に自由に部屋を沢山建築していたら達成できない。

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※島の「ごうかさ」を上げる作業の様子

 

結果的に部屋を作っては壊すという作業を繰り返すことになる。

これがプレイヤーの自己満足のトロフィー取得条件なら別に良い。

だが、こんなしょうもない悪い意味でのゲーム的作業を建築に必須であるビルダー装備取得の条件にするのはどうかしている。

最も建築の自由度を上げる「ビルダーアイ」という装備取得には更に高難易度の条件が設定されており、検索するとかなりの古参ビルダーでも取得している者は少ない。

 

自由を禁じられ、NPCの奴隷のような長いストーリーを終えた後はヒントの少ない単調な作業をこなさなければフリーモードを楽しめない。

ここまで壮大でセンスのないゲームを私はあまりやったことがない。

建築をあきらめてシミュレーションゲームとして楽しもうとすれば、それはそれで粗が見えてくる。開発者の明確な思想や遊び心が全く反映されてないAIは『シムピープル』(2000年)以下だし、『牧場物語』の亜流としても弱い。

色んなゲームの良いとこ取りをしたかったのだろうが、明確なコンセプトがないまま物量だけを増やして混乱しているようにしか見えない。

このゲームにある要素を上手く噛み合わせればとんでもない傑作ゲームが出来上がるのだろうが、そんなことは世界中見渡しても誰も出来ていない。

それぞれのゲームが開発者の思想に基づいて取捨選択しながらもがき苦しんで作品を形にしているのだ。

今作にはそういった形跡が全く見られず、とにかく詰め込んでは行き当たりばったりで生まれた歪みの代償をプレイヤーに払わせている。

今作に良いところがあるとすれば、僅かに残った前作DQBの要素だけだ。

それだけでも十分遊べる。それくらい前作が優秀だったということだ。

 

DQB2というゲームは前作で築き上げた土台の上に「堀井雄二が絶対にやらなそうなこと」を詰め込んだ超大作である。

次回作があるとすれば原点回帰か、今作の要素を突き詰めて上手くまとめ上げたゲーム史に燦然と輝く大傑作になるかのどちらかだろう。

いずれにしても楽しみだ。

 

 

※追記

・共同開発のコーエーテクモオメガフォースは今作のアクション部分を担当。担当者はドラクエヒーローズ1&2と同じ庄知彦氏。

・6の項で書いたビルダー装備獲得には部屋レシピを埋めなくとも達成できるものもあるが「かいたくレシピ」の約半数近くを占めるものなので例として書いた。