2013年3月13日配信開始
『ぼくのなつやすみ』で知られる有限会社ミレニアムキッチン・綾部和氏によるダウンロード配信専用タイトル。
レベルファイブの『GUILD』という企画の第2弾の中のタイトルの一つ。
『GUILD』という企画は、簡単に言うと著名なゲームクリエイターが作った小作品を低価格でユーザーに楽しんで貰おうというもので、第1弾の4作品は3DSのソフトとしてパッケージ販売されたが今作を含む第2弾の作品はダウンロード版のみとなっており、その後の展開は現在ストップしてしまっています。
823円(税込)という値段に見合わないほど丁寧で贅沢な作りの今作は『ぼくのなつやすみ』とほぼ遜色のないプレイ体験を堪能できる名作です。
ゲームの概要
今作の舞台はゲーム中にはっきりと言及はされていませんが、日本で最初のテレビ特撮ブームの火付け役ともいえる『ウルトラQ』の放映開始が昭和41年。以降円谷プロによる『ウルトラマン』『ウルトラセブン』といった「空想特撮シリーズ」が昭和44年まで続くので、だいたいそのあたりの年代だと思います。
プレイヤーはこの街へ引っ越して来たばかりのクリーニング屋の息子で主人公の「そうた」君を操作して昭和の東京の下町を自由に探索することが出来ます。
タイトル『怪獣が出る金曜日』からもわかるように、このゲームの世界はかなり特殊な構造を持っています。
主人公そうた君が住む「世田谷区藤の花」という架空の街には毎週金曜日になると怪獣が現れるようです。ですが実際に住民が被害に遭うことはなくて、テレビサイズの時間で防衛軍的なものの兵器かなんかで毎週解決しているっぽいんですね。
最初にこのゲームを知って説明だけ読んだ感じだと「テレビ番組の中の人たちが実在するという仮定に基づいた世界観のシミュレーションゲーム」のような理解だったのですが、ゲームを進めていくとものすごく奇妙な感覚に陥りました。
実際に怪獣が現れる金曜日というのはゲームのかなり終盤で、プレイヤーはその来るべき金曜日に向けて街の人たちと交流したり探索しながら過ごすわけなのですが、ゲームを進めて行く内にものすごく不安になるというか、この世界に対して奇妙な違和感や不信感が芽生えていきます。
例えばゲームの中の世界には怪獣に対抗するべく結成された科学特捜隊のようなものが存在するのですが、街の小さなテレビ局が兼務しています。
そうた君が興味を持ってそのテレビ局員に仲間に入りたいと言うと割と簡単に隊員にしてくれたりもして、そこの戦闘機がラジコンみたいなしょぼいものだったり街の外れに怪獣のぬいぐるみなんかをしまっておくような倉庫を見つけたりして。子供のそうた君は無邪気にありのままを受け入れていくんですけどプレイしてるこっちはどんどん不安になってくるんですよ。
『トゥルーマンショー』でジム・キャリーが隠しカメラを見つけていくような気持ちになるわけです。
ゲーム序盤からこういった怪獣の足跡を発見したりして、最初は疑いもせず怪獣の存在を信じていたわけですが、後半になってくるとそうた君自身の耳に「大人たちが夜中に土を掘っていたらしい」という噂が入ってくるんですね。
それ以外にも怪しい外国人と出会ったり特撮マニアの青年にメタっぽいことを言われたり、どんどんプレイヤーを混乱させてきます。
「このストーリー、ちゃんと終われるのか?」という不安を持ちつつも非常に引き込まれる展開が続くのですが、最後はしっかりと落としてくれます。
もう一つこのゲームで特筆すべき点にナレーションの存在があります。基本的にそれぞれ個々のキャラクターに声は付いていなくて、佐野翔子さんという人が一人で色々なキャラの声やチュートリアルを担当していて、これもずっと低予算ゆえの工夫なのかと思っていたのですが、ちゃんと意味があります。
後述しますが、『ぼくのなつやすみ』で出来なかった・やれなかったことが詰め込まれていて、しかも見事に完成されています。
遊びの部分に触れておくと、もちろん昭和の子供になりきれるシミュレーション部分も街の人や友達に個別のクエストが用意されていてシナリオの完成度も高いです。
更に探索要素としてマップのあちこちに光るアイテム(カードのかけら)が落ちていて、それらを集めることにより怪獣の絵柄のじゃんけんカードを収集できます。
カード収集はストーリー進行にも関わってくるので必須要素なのですが、カードバトルの難易度が絶妙で、収集も探索の楽しさを助長するようなバランスになっています。
夏休みの終わり
ぼくなつシリーズが最後に出たのが2009年の『ぼくのなつやすみ4瀬戸内少年探偵団』(PSP)ということで、もう10年も新作が出ていません。
1作目が発売されたのが2000年で、当時もう既にPS2が発売されていたのに初代PSのタイトルとして多くの人に受け入れられて数々の賞も受賞しました。
1作目の舞台が昭和50年なので、当時の30~40代の人が自分の少年時代を懐かしむことが出来るのが大きな魅力だったのかと思います。
この世代の人たちの親は高度成長期以降に東京に出てきた人が多くて、祖父母が地方にいて夏休みに帰省する家族がいちばん多かった世代ですね。ぼくなつが受け入れられた背景と、現在続編が作られていない理由はそういうことですよね。
私は祖父母も親戚もみんな東京神奈川なので、ぼくなつは一種のファンタジーのような感覚でプレイしていました。
ファンタジー感を強く感じる要素としてもうひとつ「ゲームの中に善人しか出てこない」というものがあって。田舎の人はみんな優しいとか、そんなことは絶対にないし嫌な親戚とかもいたはずなのに、そういう苦い部分がカットされていてリアリティに欠けます。
これに関して非常に興味深い都市伝説があって、ぼくなつは「病気で入院していてどこへも行けなかった子供の夢なのではないか」というもの。
根も葉もないただの都市伝説ですが、非常に良くわかります。
シミュレーションで得た体験を現実の自分の経験と重ね合わせた時にリアリティが欠けていると不安になるんですよ。思い出を改変しているような罪悪感を持つこともあるだろうし。
ここら辺は全く考慮されないで作られているわけではなくて、9歳という年齢設定や田舎度合いによってかなりフィルターはかけられているとは思うんですけど、現在でもこういった作風が通用するかといえば難しいと思います。
結局ぼくなつは世代的なゲームということで私の中ではもう終わっていたのですが、今作『怪獣が出る金曜日』をプレイして綾部和氏という作家の懐の深さに驚きました。
ネタバレになるので詳しくは書きませんが、今作『怪獣が出る金曜日』は子供時代の曖昧で混濁した記憶を特撮番組のフィクションの文法に落とし込むという滅茶苦茶な事を実に自然にやってのけていて、よくわからないまま進めても最後には家族愛に感動させられるという。『クレヨンしんちゃん』の映画に近いかもしれません。
こういった題材を扱う場合に必ずしもリアルな表現がプラスになるかというと難しいところですが、ぼくなつではぼかしていた問題を様々な手法を駆使してクリアしていく姿勢は作品に対する信用を確実に上げています。
ぼくなつファンが現在40~50代くらいで、今作の舞台設定を懐かしいと思うような世代はさらにその上なので3DSのダウンロードでしかプレイできないのはもったいないですね。本当は世代に関係なく感動できるゲームでもあるのだけど、綾部和氏のプロフィールにある『ぼくのなつやすみ』のイメージが強すぎて若い人にも手に取ってもらいにくくなっている不遇な作品になってしまっています。
かなりの傑作なのでアーカイブとしてずっと残しておいてほしいですね。