1975年アメリカ映画
原作者:ケン・キージー
監督:ミロス・フォアマン
あらすじ
軽犯罪を繰り返していた主人公マクマーフィーは頭のおかしいふりをして精神病院に入院することに成功。しかしそこで見たのは独裁的な婦長による厳しいルールの元で人間の尊厳を剥奪された患者たちの姿だった。
電気治療で廃人と化した者やほんの少しの欲求も訴えられない者、マクマーフィーはそんな彼らを焚き付けようとするがうまくいかない。
ある日マクマーフィーは友人の売春婦と協力して彼らを脱走させて船に乗り釣りへ出かける。最初は心を閉ざしていた患者たちだったが徐々にマクマーフィーに心を開いていき、何かが変わろうとしていた...。
第48回アカデミー賞5部門を受賞し、主人公マクマーフィーを演じたジャック・ニコルソンも主演男優賞を受賞。社会からドロップアウトし、さらにそこから精神病院にフリークアウトするという複雑な役を見事に演じている。
60年代から始まったアメリカン・ニューシネマの傑作として今でも人気が高い作品。
ロックンロールとアメリカン・ニューシネマで初めてアメリカに若者文化が生まれ、それまでの体制側の作った公序良俗に反抗していく映画の主人公たちは新しい世代のヒーローになった。とりわけ今作のマクマーフィーは自由になろうともがく若者たちの殉教者になった。
Blu-rayの特典映像で監督のミロス・フォアマンは「自分自身の体験を作品に込めた」と語っている。
ミロス・フォアマンの出身地はチェコスロバキア、養父は反ナチとして逮捕され尋問を受けて亡くなり、母はアウシュビッツで亡くなっている。
当時の精神病院の劣悪な環境を自身の置かれていた第二次大戦中のチェコに重ね合わせることでこの映画の恐ろしいリアリティは確立されている。
それまでは一般に実態が全く知られていなかった精神病院の実情がテレビのドキュメント番組などで取り上げられて社会問題になり始めていた時期にこの映画は公開された。
そういった当時の精神病院の実情を知ることが出来る作品ではあるが、本質は抑圧された社会で骨抜きになった人達に向かって「立ち上がれ、叫べ」と鼓舞する力強いメッセージが込められている。
その普遍性は時代を越えて人に感動を与える。
トレバーとマクマーフィー
ロックスターのゲーム『GTAⅤ』には3人の主人公が用意されていて、プレイヤーは自由にそれぞれのキャラクターを切り替えながら遊ぶことが出来る。
マイケル、トレバー、フランクリンという3人の主人公の中でも近年のゲーム史上最凶ともいわれるキャラクターがトレバー・フィリップスだ。
カナダ出身(訛りを気にしている)、アメリカ空軍のパイロットを精神鑑定により除隊させられ密売による会社を経営している。平気で人を殺し、人肉すら喰らう。
このような鬼畜キャラにもかかわらず多くのプレイヤーから愛されているのは彼が今まで見たことのないタイプの人間だからだろう。
細かい設定が明かされているにも関わらず、このトレバーというキャラクターには謎が多い。
発達障害気味の仲間を可愛がって仕事を手伝わせていたかと思えば、その彼女を平気で殺したりする。トレバーなりの動機があるのは解るのだが、その真意やゲーム内における彼の役割のようなものが一筋縄では全く見えてこない。
シナリオライターの一人ダン・ハウザーによれば「偽善者でなく狂人」として描いているとのことだが、それだけの理由であそこまで個性的なキャラが作られたとは考え難い。
公式ではトレバーのデザインは声優・モーションキャプチャーを務めたスティーブン・オッグの容姿をベースにチャールズ・ブロンソンの性格から発想を得たとある。
しかしゲーム内のある衣装をトレバーに着せると映画『シャイニング』のジャック・ニコルソンになることが出来てしまうのだ。
トレバーの見た目はスティーブン・オッグとジャック・ニコルソンの中間のようなものなので、シャイニングの衣装を着せた彼はもうジャックにしか見えないほどそっくりだ。
海外の批評家からの指摘にもあるようにトレバーのキャラは『バットマン』のジョーカーとの共通点が多い。
ジャック・ニコルソンのキャリアは『カッコーの巣の上で』のマクマーフィーから『バットマン』ジョーカーまで「既成社会の破壊者」という役が多い。
同じような犯罪者の役でも時代によってヒーローにもなれば狂人にもなる。
トレバーのつかみどころのないキャラは複数のモデルから形成されているとは思うが、その核にジャック・ニコルソンがいるというのは考えすぎだろうか。
私が『カッコーの巣の上で』を観てトレバーを想起したのはゲーム内でのマイケルとトレバーの会話がずっと引っかかっていたからだ。
ちなみにもう一人の主人公マイケル・デサンタは、ベテランの銀行強盗でかつてはトレバーと一緒に悪事を働いていた。現在は承認保護の下でロスサントスの高級住宅地で家族と豪邸に住んでいる。趣味は映画鑑賞。
家族とはうまくいっておらずカウンセリングを受けている。
承認保護の取引条件として、かつての仲間には自分が死んだと思わせて悠々自適な暮らしをしていたことに加えて凶悪なトレバーに自分の生存を知られることを最も恐れていた。
そんな二人であったが政府の使いっ走りとして再び一緒に組んで犯罪行為をすることに。マイケルと再会したトレバーは苛立ちを見せながらも協力することになった。
トレバー
「この世は皮肉に満ちてんだ。時代の病さ」
マイケル
「言いたいことはわかる」
トレバー
「わかってねえよ。他の連中と同じだな。ちいとばかし稼いでクソ野郎と化した」
マイケル
「知らんのか?元々クソ野郎なんだ」
トレバー
「違うな!お前は大した野郎だった。でも今じゃこの町と同じ抜け殻だ!」
マイケル
「黙れってんだ!正しい道徳観を持つクソ野郎なんているか?お前は完全にいかれてるから許されてるとでも?」
トレバー
「俺は正直なだけだ、偽善者め」
マイケル
「ああお前はヒーローさ、他の誰よりもな」
トレバー
「そうかい、じゃあお前の胸を切り裂いて本当のお前を見つけてやるぜ」
~その後の車中での会話~
マイケル
「お前の生き方について考えてた。誰もがお前にレッテルを張ろうとする...「凶暴」とか「イカれてる」とか「友人」とか「業界の先導者」とか...ある意味分類できないのに。だが一方では...考えてみろ...お前が住んでるのは」
トレバー
「サンディ海岸だよ成金野郎。近くに腸内洗浄クリニックがなくて悪かったな」
マイケル
「だろ、じゃあどうしてここに?」
トレバー
「ここはへき地だ。全てから切り離されてる現実的かつ本質的な場所さ。ここがアメリカさ!質素な人間が残ってんだ」
マイケル
「もしここが高級化したら?」
トレバー
「ファッキンムーブ!(どこかに移るだけさ)」
マイケル
「そうか、ならその服装はなんだ」
トレバー
「それがどうした?着るのもなんてどうでも良い」
マイケル
「いや違うな、どうでもよいならサイズの合う清楚な服を着るはずだ。お前は変わった服しか着ない、少し奇抜な」
トレバー
「店で売ってる服を着てるだけだ、何だよ?」
マイケル
「センスがないわけじゃないトレバー、センスと正反対なんだ」
トレバー
「スタイリストにでもなれよ」
マイケル
「それにタトゥー、髪型、変な音楽、おかしなオモチャ、ドラッグその他もろもろだ」
トレバー
「一体何の話をしてるんだ?」
マイケル
「お前は...ヒップスターだ!」
トレバー
「なんだって?」
マイケル
「お前はヒップスターだ」
トレバー
「ヒップスターは大嫌いだ」
マイケル
「否定か、典型的だな」
トレバー
「ヒップスターは大嫌いだ。面白半分に食ってやりたいぜ」
マイケル
「ヒップスターはヒップスターが嫌いだと言いたがる」
トレバー
「俺は本当に大っ嫌いなんだよ!」
マイケル
「自己嫌悪はよくあるヒップスター病だ」
トレバー
「ビーンマシーンや銀行家から離れて暮らしてるからか?」
マイケル
「お前は高級化していく。じきにスキニーデニムが姿を見せ、次にカフェラテ、次に銀行家だ。そしてお前は別の場所でまた最初からやり直す。お前は典型的なヒップスターじゃないかもしれないが、ヒップスターが目指す姿だ。トレバー、お前はヒップスターの原型なのさ」
ここで言うヒップスターとは「意識の高いファッションオタク」のような意味で、マイケルがトレバーと正反対のレッテルを張ってからかっているように見える。実際トレバーの反応はそのようなものだ。
しかしマイケルの真意は最後の「お前は典型的なヒップスターじゃないかもしれないが、ヒップスターが目指す姿だ。トレバー、お前はヒップスターの原型なのさ」というセリフにある。
現在使われているようなヒップスターの概念は90年代からのもので、60年代には「ヒッピー」と呼ばれていたものだ。
そして60年代のヒッピーと呼ばれる若者にとっての3大聖書とされているものが『ライ麦畑でつかまえて』『オン・ザ・ロード』『カッコーの巣の上で』なのである。
不良で映画好きのマイケルがアメリカン・ニューシネマを知らないはずがなく、トレバーの中に『タクシー・ドライバー』のロバート・デ・ニーロや『カッコーの巣の上で』のジャック・ニコルソンを見出して皮肉と憧憬を込めたジョークでからかっているのだ。
マイケルがトレバーの中にかつてのヒーローを見ていたとしたらこれほど会いたくない奴もいなかっただろう。
結局の所トレバーがどういう人物なのかはやはりよく分からない。
しかしマイケルの視点から見たトレバーはヒッピーの原点であり、腐敗した社会にとっての破壊者であり、かつての自分がなろうとしていたものだ。
マイケルがトレバーに会いたくなかった理由は彼が危険人物なのはさる事ながら、トレバーの存在そのものが「お前はどうしてのうのうと生きていられるんだ?本当に今この現状に満足しているのか?」という問い掛けそのものだからだろう。
マイケルにとってのトレバーは精神病院の患者達にとってのジャック・ニコルソン演じるマクマーフィーであり、トレバーというフィルターを通して見るロスサントスは巨大な精神病院なのだ。