みやび通信

好きなゲームについて色々書いていきます。たま~に攻略記事あり。

SEKIRO:SHADOWS DIE TWICE 隻狼(PS4)

f:id:miyabi-game:20190511082121j:plain

SEKIRO:SHADOWS DIE TWICE 隻狼

2019年3月22日

フロムソフトウェア

playstation4Xbox OneMicrosoft Windows

 

今作発売前の様々な媒体によるインタビューでもディレクターの宮崎英高氏による「ダークソウル同様、困難を乗り越えた先の達成感は本作でも重要なコンセプト」「マルチプレイはなし。固定主人公で固定クラスなのでマルチプレイによる制約を取り払った」という発言が大きく取り上げられていたにもかかわらず『SEKIRO』が発売されると多くのプレイヤーから難易度に関する批判がなされ、海外でもゲーム開発者などを巻き込んだ「イージーモード論争」が巻き起こった。

 

他にも難易度の高いゲームなど山ほどあるにもかかわらず、ソウルシリーズから一貫して高難易度という特徴を持っていたフロムゲーにこうした批判が寄せられるのはどういうわけなのか。

ソウルシリーズをガン楯装備やオンライン協力プレイでクリアしてきた人が言っていた場合は、ただ単にその人の情報収集能力の低さ、それに加えて和風のイラストが描かれたイメージ画に『隻狼』という文字が書かれているのを見ているにもかかわらず何故かソウルシリーズの続編だと勝手に思い込んでしまう頭の残念さの問題で片付きそうだが、批判全体を見渡してみると『SEKIRO』というゲームが持つ本質の一端を逆説的に浮かび上がらせることになる。

 

ソウルシリーズとの違い

ソウルシリーズの世界観の設定はディレクターである宮崎氏だけが唯一知り、開発チームでさえその詳細を知らされないまま制作されていたという。

プレイヤーは宮崎氏の頭の中にある中世ダークファンタジーの世界を想像力を掻き立てられながら探索し高難易度のアクションに挑む。その独特で、ある意味作家性の強い世界観は緻密なディテールに支えられた静溢な荘厳さを誇り、多くのプレイヤーを虜にしてきた。

今作『SEKIRO』は「戦国末期のイメージ/中世ファンタジーを再解釈/インチキ和風なんですけど」(宮崎)というようにソウルシリーズの和風バージョンとも受け取れるが、ソウルシリーズのようなキャラクターメイキングはなく、隻狼という「“隻腕の狼”です。これは主人公の仇名のようなもので、片腕になった狼のような男、という感じですね」(宮崎)というように、プレイヤーは隻狼という固有の主人公キャラを操作してストーリーを進めていくことになる。

最初の大まかなプロットこそ宮崎氏が書いたというが、制作を進めていく過程で当初のシナリオはほとんどが削られ、出来上がったゲームの大部分は他のスタッフの手によるものになっていったという。

「もちろん監修はしていますが、実際のテキストの大半はそのスタッフに任せています。じつは、ディレクションするタイトルのテキストを書かないのは初めてなのですが、私の文章にはかなりクセがあるので、この点も、本作のよい新鮮さにつながってくれればと思います」(宮崎)

この発言からもわかる通り、かなり意図的にソウルシリーズとの差別化が図られている。

 

ストーリーとナラティブ

※ナラティブとは ゲーム用語 ゲームにおけるストーリー体験 ゲームのインタラクションにおけるゲーム側からユーザーに与えられるユーザーエクスペリエンス(UX)の中の要素を指す

 

フロムソフトウェアは『SEKIRO』という作品でソウルシリーズから一歩踏み出し、完璧な世界観の中でプレイヤーがアクションゲームを通して体験することで作られる唯一無二のドラマを崩すことなくストーリーという軸の中に落とし込むというナラティブを実現させようとしている。そしてその試みは、かなり成功しているように見える。

凡百のゲームに見られる、進行度によってムービーシーンへ突入し勝手に進められるストーリーとストーリーの間に挿入されて「やらされる」ゲームのようなもの...昨今の多くのゲームにおいてストーリーはミニゲームを達成したことによって得られるご褒美のようなものになってしまった。

『SEKIRO』がソウルシリーズにはなかったストーリーを携えて来たのは決してプレイヤーにご褒美を与える為ではなく、元々ソウルシリーズが内包していた世界観のナラティブを推し進めた結果ではなかったか。キャラクターや難易度を固定したのもそのためで、上に書いた凡百の「ミニゲーム付きムービー」とは真逆の制作手法の必然である。

 

2016年,効果的なナラティブとは何かを知るために調査を行いました。
プレイヤーの興味が最も強いのはキャラクターと世界観であり,良質のナラティブと感じる要素はバリエーションの多さとゲームシステムとのリンクでした。

キャラクターと世界観はテーマデザインに負う部分が多いですが,良質なナラティブはインタラクションに呼応した分岐結果のバリエーションの構築が大切です。
この際,話の筋に分岐が多く,細かく情報が変化していくマルチストーリー構造のほうがバリエーションを出しやすいのですが,あらゆる可能性に呼応したストーリーを用意するのは,プレイヤーに不要なデータが膨大になるだけで得策とは言えません。

分岐以外にバリエーションを出しやすい要素はキャラクターです。
プレイヤーの興味もキャラクターに向いているので,キャラクターの描写を厚くしていくことで,全体としてのナラティブのバリエーションが多くなったゲーム体験を与えればよいのです。
具体的にはキャラクターに関するエピソードを,自己完結する形のストーリーで提供します。
この数が増えていくことによって,キャラクター描写が厚くなり,プレイヤーがナラティブとしてそこから自らの「お話」を作って満足してもらえるのです。

初出:WEB+DB PRESS Vol.98(2017年4月22日発売)

遠藤雅伸 ナラティブ―ユーザー自らが生み出すゲーム体験

 

『SEKIRO』におけるストーリー分岐は探索における細かいフラグ立てに依存し、一度プレイしただけでは把握できないようになっている。

キャラクター強化面でも中盤までは大した成長は見込めず苦戦を強いられる。

デスペナルティによる経験値損失も痛く、序盤こそ高難易度の洗礼をこれでもかと浴びせられるのだが、一週目をクリアするあたりでプレイヤーは成長し、二周目に突入する頃には大幅なキャラクター強化と探索の自由度が増す。

『SEKIRO』はこれからのアクションゲームにおけるストーリーの在り方の理想的なモデルの一つを提示した。

こうした、過剰なチュートリアルや右肩上がりで難易度を上げていく従来のゲームの定石を無視した仕様が許されたのはフロムソフトウェアのこれまでの実績や「高難易度・死にゲー」というパブリックイメージがゲーマー間のコンセンサスをある程度得ていた上でのことではあるが、国内外における高評価の上に胡坐をかかず果敢にチャレンジする姿勢は更にフロムゲーの信頼度を上げたといっていいだろう。

 

難易度選択の有無

PS3XBOX360の頃の海外ゲーム開発者のインタビューを読むと皆口をそろえて「開発側としては是非ハードモードで遊んでほしい」と発言していて、開発者の想いと諸々の事情との間に横たわる軋轢を察する事が出来る。

当時のゲームを遊んでいて思ったのは難易度選択がバラバラだということ。

イージーモードが実装されていなかったり、ノーマルモードが異様に難しかったりと、国産のバイオハザードシリーズのような感覚でプレイするとバランスが悪いと感じるものが多かった。

当時の洋ゲーを好んで遊ぶプレイヤーの間では「開発者の意図通りハードモードで遊ぶ」ことが正しい遊び方という空気があった。

 

最近では難易度選択はほとんどのゲームに採用され、かなり適正なレベルに調整されているが、それによってゲームの質が変わってきてしまった例もいくつか出てきている。

多くのスタジオを抱えながらハイペースで新作ゲームを発表し続けているUBIは近年RPG化が著しいと多くのプレイヤーから指摘されているが、オープンワールドにおける探索・収集要素の増加や経験値によるスキル獲得、プレイキャラのメイキング要素はゲームの自由度を上げているという側面もあり一概に悪いとは言えない。

しかしある種JRPGのカウンター的な存在であった一部の海外RPGJRPG化してきているというのは笑えないゲーム的後退だろう。

確かにゲームの間口を広げることは商品としては正しいかもしれないが、ゲームは常に最先端のテクノロジーと共に進化し、遊びの幅を広げることで成長してきたエンタメでもある。

懐古的なユーザーが望むような過去の遺産を使いまわしたり、一流の脚本家にシナリオを書かせれば面白くなるというようなものではない。新しいテクノロジーを技術としてどうゲームにするか、どういった発想でそれをインタラクションとして落とし込むか。

そういった「ゲームでしか実現できない新しさ」こそが他のエンタメにも影響を与え、ゲーム独自の文化・歴史を作ってきた。

ゲーム史上最も売れたゲームの一つであるロックスターの『GTA』シリーズにもまた、難易度選択が存在しない。最近のものこそ全体の難易度は下がったとはいえ、PS2時代のものはチートなしでは中々厳しい難易度であった。

多くのフォロワーを生んだ『GTA』シリーズだが、難易度設定を設け、安易に適正しRPG化していった多くの亜流がリタイアしていく中でロックスターだけが当初のコンセプトを曲げずに先鋭化していくことによって独自のブランドを確立することに成功した。

 

 2019年4月「REBOOT Develop2019」の講演における宮崎英高氏の発言は非常に興味深いものだった。

 

・世界観やステージ作りが物語に影響を与えることができる。
自分はゲーム性こそがゲームのソウル(魂)だと考えており、まず世界観やゲーム性ができてから、そこで味わえるゲーム体験にあうストーリーを作れるようになる。

・しかしゲームデザインはこれだけに限定されるものでもない。
自分もいつかロックスターゲームスの『レッドデッドリデンプション2』のような、ストーリー重視のゲームを作ってみたい。

 

この発言から宮崎氏のゲーム制作における基本理念、更には大まかな制作手順や未来への展望までもが見て取れる。

『SEKIRO』の制作はまず戦国時代の忍者が主人公という世界観からアクションが作られていった。中ボスや大ボスなどの敵キャラは個別に作られ、制作順とは無関係に宮崎氏が配置していったという。それによってそれぞれのボスの動きや理想的な戦闘に見合ったマップが作られ、最終的な段階でシナリオチームがストーリーを組み立てていくという段取りである。

つまり『SEKIRO』のストーリーは、そこにあるアクションやその難易度から発想されているものであって、「イージーモードを実装しろ」という要求は「ストーリーを一から作り直せ」と同義である。

イージーモード論争の大きな声の一つに「ゲームの腕前とは関係なく、そのアートワークやストーリーを楽しむ権利」を主張するものがあるが、これは「プレイヤーが自ら体験し、形を作っていく工程を幇助するためのストーリー」という『SEKIRO』が志向するナラティブとは永遠に噛み合わないものだ。

これは「ミニゲーム付きムービー集」を粗製乱造してきた怠慢なゲーム業界にも責任の一端はあるのかもしれないが、そういった風潮に一切迎合してこなかったフロムソフトウェアに批判の矛先を向けるのはお門違いではないか?

宮崎氏がロックスターのゲームにシンパシーを感じ、ストーリー重視のゲームに向かうのは至極納得のいく話だが、先行きは厳しそうだ。

 

 

今作『SEKIRO』はアクションゲームとしても、現代のゲームという枠に収まらないエンタメとしても最重要作品の一つだと思う。

もちろん全てが完璧なゲームなどではないし、細かい調整が必要だと感じる所もある。

ただ、フロムソフトウェアが作るゲームが着実に確かな足取りで前進し、我々ゲーマーに見たこともない景色を今後も見せてくれることは間違いないだろう。

 

 

SEKIRO SHADOWS DIE TWICE:©2019 FromSoftware, Inc. All rights reserved. ACTIVISION is a trademark of Activision Publishing Inc. All other trademarks and trade names are the properties of their respective owners

https://twitter.com/miyabi_game01

アクション苦手ゲーマーの『SEKIRO:SHADOWS DIE TWICE 隻狼』序盤生存術

f:id:miyabi-game:20190417202245j:plainSEKIRO SHADOWS DIE TWICE:©2019 FromSoftware, Inc. All rights reserved. ACTIVISION is a trademark of Activision Publishing Inc. All other trademarks and trade names are the properties of their respective owners

 

アクション苦手ゲーマーというのは私自身の事なのですが、そんな私でもなんとか『SEKIRO』をクリアすることが出来ました!

この記事ではアクションが苦手だけど『SEKIRO』に興味があるという人が序盤で躓かないことを願って、私自身の体験から役に立ちそうなことを書いてみたいと思います。ゲーム内で説明されていることはなるべく省いて書いていることをご了承ください。

難易度高めのゲームではありますが、興味を持った時点で最初のハードルは超えています。あとはゲーム序盤さえ乗り越えれば素晴らしい体験が待っています。

 

1.ダッシュを駆使する

ゲーム中では説明されていませんが、〇ボタン「ステップ」という基礎的な操作を応用して〇ボタンを押しっぱなしにすると「ダッシュすることが出来ます。

強敵に対しては攻撃範囲の広い技を繰り出してくることが多く「ステップ」では対応出来ない場合が多いので、標的をロックオンして中距離を保ちつつ「ダッシュ」で標的の周りをまわって様子を伺います。

基本的にこのゲームでは「見切り」(突き攻撃に合わせて↑〇)「弾き」(通常攻撃に対してL1)体幹(黄ゲージ)を削って倒すのが醍醐味なのですが、アクションが苦手な人が最初からそれをやるのは難しいので、「ダッシュ」しながら相手の行動パターンを観察しつつ隙を見てこちらの通常攻撃(R1)を1~2回当てて距離を取る方法で体力(赤ゲージ)を削って倒す方法が安定する場合があります。

最初に距離を取るのは上手な人でも初見ではそうしますし、戦闘に慣れてきても個人によって苦手な攻撃をしてくる敵もいるのでゲーム後半になってからでも十分応用の利く戦法です。

 

2.弾き

f:id:miyabi-game:20190417200956j:plain

※基本的な動きは荒れ寺近くの「死なず半兵衛」に教わることが出来る

 

『SEKIRO』の「弾き」は少し特殊です。

相手の攻撃モーションを視認してからガード(L1)を押しても大体間に合いません。

この仕様に対して「今押したんですけど!」と怒っていても仕様が変わるわけではないのでさっさと割り切ることが大事です。

相手の攻撃に隙が出来たら1~2撃入れてL1でガード。連続攻撃のパターンが見えたら適当にL1を連打していても結構弾けます。

 

3.危

f:id:miyabi-game:20190417202023j:plain

強敵と対峙していると「危」という文字が浮かんで、こちらの防御を貫通してくる攻撃を出してきます。これに対応できると戦闘が一気に楽しくなります。

槍などの長い武器を持った敵なら長距離までダッシュで逃げたり、通常の刀を持った敵などは「ステップ」で後ろに回り込んで様子を伺いましょう。

相手が真っ直ぐこちらの体の中心部分目掛けて攻撃してくるときは「見切り」(↑〇)が決まりやすいので、そのパターンだけ覚えておけば全ての敵の攻略に対応できます。

ただし真っ直ぐとはいっても、上空から来る「叩き付け攻撃」や、こちらの足元を狙ってくる「下段攻撃」には対応できないので、きちんと観察して「横ステップ」(→〇)「ジャンプ」(✖)で対応しましょう。

この「横ステップ」ですが、刀を持った敵の場合はだいたいこちらに向かって左に振り下ろしてくるので右に避けたほうが当たりにくいです。

 

4.義手忍具

f:id:miyabi-game:20190417201144j:plain

『SEKIRO』では10種類の義手忍具という特殊攻撃が出来る装備があります。

「手裏剣」で飛んでいる敵を打ち落としたり「仕込み傘」で強力な攻撃を防いだり「仕込み斧」で敵の盾を壊したりと、どの義手忍具も上手く扱えばとても役に立ちます。

アクションが苦手なプレイヤーに特にお勧めしたいのが「爆竹」「火吹き筒」です。

強敵戦で相手の動きが素早く対応できない時に逃げているだけでは全くこちらから攻撃できません。

そんな時に役立つのが「爆竹」。ある程度逃げて相手が距離を詰めてきたときや、下段攻撃をジャンプで避けた時に爆竹で怯ませて攻撃します。

敵の体力が2つある時なんかは爆竹だけでは削り切れませんが、一つ目の体力を背後からの「忍殺」で減らしている場合には、この爆竹を用いた攻撃だけで倒せる敵もいます

動物相手には「火吹き筒」が有効です。道具の「油」を投げつけて上記した要領で「火吹き筒」を使えば攻撃も4~5発入り「炎上」の効果でさらに相手の体力を削れます。

中盤以降手に入る「錆び丸」という義手忍具は相手を毒状態にして逃げ回っているだけでもかなりのダメージを与えることが出来ます。

義手忍具を有効活用して苦手な敵をやり過ごすのも全然ありだと思います。

 

5.強化

『SEKIRO』では義手忍具の強化やスキルポイント(経験値)を消費して獲得できる「スキル」、同じくスキルポイントを消費して攻撃力を上げるということが出来ます。

義手忍具の強化は素材とお金を使いますが初期状態でも十分役に立つので自分がよく使う忍具を強化するとよいでしょう。

一つ挙げると「仕込み傘」を強化すると呪いの状態異常を防げるようになるので取っておいて損はありません。

 

「スキル」で序盤の攻略に必須なのは「旋風斬り」「見切り」です。

「旋風斬り」はL1とR1の同時押しで敵を2連続で切りつけることが出来ます。慣れていない敵の隙をついて攻撃する際に攻撃(R1)を2回押すよりも安全に2連撃出来ます。

「見切り」はこのゲームの基礎的な戦略なので必須です。

その他では、セットしなくても常に発動しているパッシブ効果を取っていくと楽になります。忍殺を決めた時に体力が回復するものや、義手忍具の使用回数を上げるものを取っておくと気持ちに余裕が出ます。

ただクリアを目指すだけなら自分に使いこなせなさそうな技を取得しても無駄になってしまいます。

 

ゲーム後半に「舞い面」というアイテムを手に入れることで、スキルポイントを5消費して攻撃力を上げることが出来ます。

スキルポイントは取得すればするほど貯まり難くなっていくので、欲しいスキルを取得したら後半まで取っておくのも良いかと思います。私の場合は舞い面の存在をラスボス手前で知ったので、スキルポイントを無駄に振ってしまっていて攻撃力を上げることが出来ませんでした。

 

6.ルート

『SEKIRO』には複数のストーリー分岐が存在していて一概に何が正解とは書けないのですが、序盤においては身の丈に合わない強敵と何時間も戦闘するよりかは確実に自身を強化して進めていくことが賢明です。

ゲームを始めると葦名城の城下から城を目指して進んでいきます。

途中にあるお店で「ロバトの爆竹」(500銭)を買い、「若様の守り鈴」というアイテムを入手し鬼仏「虎口階段」に着いたら最初の鬼仏「荒れ寺」へ戻り義手忍具「爆竹」を仕込みます。

そのまま荒れ寺内から「若様の守り鈴」を使って「竜泉川端 平田屋敷」のマップへ。

このマップは一本道で、アクション初心者にとってはチュートリアルの役割を果たしてくれます。

義手忍具「火吹き筒」や「仕込み斧」の素材があるので確実に取っておきましょう。

 

f:id:miyabi-game:20190417201249j:plain

※序盤の洗礼「まぼろしお蝶」

 

ここのマップをどれだけ進むかは自由ですが、いちばん最後にいるボス「まぼろしお蝶」に挑むのはまだ早いかもしれません。そのまま戦うと相当にきついです。

ボス戦の手前に鬼仏があるので、そこから引き返すかその一つ手前のボス「うわばみの重蔵」の手前の鬼仏から引き返しましょう。

その後は「虎口階段」から自由に進めていけばよいです。

城の上まで行くとオープニングで対峙した「葦名弦一郎」と対決しなければなりません。ここでプレイヤーはまぼろしお蝶」「葦名弦一郎」に挟まれる形になります。

この2人の強敵にしっかりと強化してから挑み、倒すことで道が開けるでしょう。

 

~簡単な流れ~

・荒れ寺

 ↓ 「ロバトの爆竹」「若様の守り鈴」入手

・虎口階段

 ↓ 荒れ寺へ戻る

・竜泉川端 平田屋敷

 ↓ 「火吹き筒」「飛び猿の忍斧」を入手し荒れ寺へ

・虎口階段から探索を再開

 

 

このゲームの序盤は本当にきついです。

ルートを間違えて強すぎるボスと何度も戦って勝てず、死ぬたびに経験値やお金が減るペナルティが課せられ、自分のせいで誰かが病気になったりと、こちらの心をこれでもかと折り曲げてきます。

ですが、無理をせずにきちんと経験値稼ぎや金策でスキルを習得し、雑魚戦でも死にそうになったら逃げて、とにかく生きのびる。

そうやって自分の身の丈に合った行動をしていれば万全の状態でボス戦に挑めるというもの。どんな手を使ってでも勝てばいいんです。

正直、汚い手を使ってもなかなか上手くいかないし、どんな戦術であろうと身に付ければボス戦でも役に立つように出来ています。

序盤を乗り越えられたらきっとクリアできるはずです。

 

https://twitter.com/miyabi_game01

ドラクエ10~バージョン4.4の感想

f:id:miyabi-game:20190320040416p:plain

ドラゴンクエスト10のバージョン4.4(2018年12月5日~2019年3月19日)の感想です。

約3か月ぶりに課金したのですが、バトルトリニティだけ初日にやってアプデ3日前に課金してストーリーをプレイしました。

 

ストーリー

今回は未来のプクランド大陸が舞台なのですが、宇宙が出てきたり過去改変の話があったりと期待出来そうな内容。

未来のプクリポは宇宙に逃げていて、コロニーを維持するために強制労働的な事(エネルギーを吸われる)をさせられていて元気がないので過去を改変して元気を取り戻そうというお話。

過去改変ものだと『バックトゥザフューチャー』のようなわかりやすい作品でも、それによって起きるリスクを中心に描かれています。時間や因果関係に翻弄される登場人物達の緊張感がドラマを成立させているわけです。

主人公はプクリポにかつての笑顔を取り戻そうと現代へと時間跳躍するのですが、そういった場合に普通はサーカステントがなくなった原因を取り除くとか、芸人大量失踪事件みたいなことが起きて、その事件を未然に防ぐとかのドラマが展開されると思ったのですが、そういったことにはならず「演芸が行われている舞台の様子をビデオに撮って未来のプクリポに見せる」だけで解決してしまいます。

で、「あんなもんで笑顔を取り戻せるなんてプクリポってすげえな」だって…。

子供向けの『ドラえもん』映画ですらきちんと描いているものすら放棄。

この話ってすごく複雑で、現在から1000年後にプクリポ達が宇宙に逃げて、そこから更に6000年が経過しているのですが、プクリポが元気を失ったのはその中の100年程度の話で。時間のスケールとシナリオの小粒感がミスマッチすぎて全然頭に入ってきません。

他の方のストーリー感想ブログをいくつか読んでみましたが、1000年後の未来の話だと思っている方や6000年前の話だと思っている方までいます。

時間の概念をしっかりと捉えて上手く説明出来ないならこんな設定は無意味です。

 

今回はマップもそんなに広くないし、無駄なお使いに振り回されることも少なくパズルも簡単。相変わらずムービーは丁寧に作られていてテンポも良い。

このゲームって前からそうなんですけど、キャラと設定をまず作って「かわいい」「かっこいい」「でかい」みたいな感動的なムービーの上に適当なシナリオを置いているだけなんですよ。

過去や未来に飛べるのもSF的な舞台(マップ・ご都合展開)を作れるからで、別にそれを生かしたドラマは描けないっていう。

 

パクレ警部の事件簿

f:id:miyabi-game:20190320050712p:plain

ドラクエ10のストーリー史上最も多くのプレイヤーに酷評された『パクレ警部の事件簿』。

多くの苦情が寄せられ、その結果運営を動かし「追加シナリオの追加」(現在未実装)という前代未聞の事態にまで発展しました。

内容はパクレ警部をメインに据えたコメディとなっており、シナリオは他のキャラクターズファイルに比べても良い方だと思います。

ただ、今作のストーリーが「キャラクターを掘り下げる」というコンセプトに則しているかというと、主人公がパクレ警部である必然性(キャラの個性・他シナリオとの繋がり)が全くないもので、更にはオチのSF展開が世界観をぶち壊すようなものだったことが批判の軸になっていました。

ドラクエ10の開発チームはパクレ警部が初登場した初期から大分入れ変っていて、そこには慎重さが求められるわけですが、そういった配慮も全くなし。

ドラクエ10のシナリオは全体的に酷いものですが、初期の良い思い出と共にあるキャラや世界観だけは守ってほしいというプレイヤーの気持ちは切実です。

ドラクエ10のプレイヤーは時代背景や世界観を無視した課金アイテムを受け入れる代わりにストーリー内で起きる齟齬を各自で脳内変換して整合性を保っていたわけですが、今回のパクレ騒動で限界を超えた人がついにキレたっていう。

「ストーリー」というもの自体の評価が非常に個人差の広いもので、別にどうとでもいえるし、裏を返せばどうでもいい。ベタなストーリーや、ほとんどストーリーのないゲームにだって良いものは沢山あるし、ゲーム評価の主軸から見ると全くあてにならないものが「ストーリー」なんですよ。

だから「ストーリーが面白い」っていうのはゲームの評価ではなくて「私はこのゲームを受け入れます」という表明になる、という程度のもの。

具体的な批判に対して「でもストーリーは良い!」と返すのは頭が悪すぎるとは思いますが、個人的にそのゲームのストーリーや世界観を肯定して嗜好することはファンとしては自然な在り方のひとつだと思います。

ドラクエ10は多くのそういったストーリーやキャラのファンに支えられていたのに、そこから批判されるということは相当な事です。

メインストーリーからこぼれたトビアスの話を除けば、キャラクターズファイル自体が課金アイテム促進と運営の悪ノリに満ちたもので、こういった騒動になるのは必然であったように思えます。

 

バトルトリニティ

f:id:miyabi-game:20190320060223p:plain

所謂MOVA系といわれる複数人による対人ゲーム。

日本ではSEGAが2010年からアーケードで稼働させていた『ボーダーブレイク』が人気で、数回のバージョンアップを経て現在でも稼働しています。

CS機では『オーバーウォッチ』が有名ですね。

近年のオンライン対人戦といえば『PUBG』や『レインボーシックス シージ』が爆発的な人気を得ていますが、これらのゲームが最初から高評価だったかというとそうではなくて、多くのプレイヤーからの要望や批判を受け入れ対話していくことによって完成度を高めていったという過程があります。

ドラクエ10にそういった柔軟性があるとは思えないし、そもそもアップデートを繰り返すことによって良くなるには、それを実現する土台が必要。

実装初日に何回かプレイしてみましたが、どこをどうすれば良くなるとか、そういうレベルではありませんでした。

今流行りの複数対人ゲームの波に乗っかって適当に作って放置でしょう。

コロシアムやアストルティア防衛軍と一緒だと思います。

 

マイタウン問題

バージョン4.5に実装予定のマイタウンを巡ってちょっとした騒ぎがありました。

以前からマイタウンの情報は小出しにされてきたのですが、最初はみんなが遊べるコンテンツの一つのようなそうでないような細かい詳細を伏せて発表していたのですが、2019年2月の公式配信では「レンダーヒルズの上位互換」「値段が2~5億G」ということが発表されて一部のプレイヤーの反感を買いました。

所謂「ハウジング勢」の言い分によると「ハウジング好きな人はそんなにお金がない」「お金のある廃人は買ってもハウジングしないからもったいない」ということらしいのですが、ハウジングするかどうかは個人の勝手だし、安くしたら「ハウジングに興味のないお金のない人」にも買われてしまうのでは?

それと2~5億Gが高額かどうかも個人的感覚の範疇です。5億は辛いかもしれませんが3億程度ならレンダーヒルズの上位互換に見合った値段かと。

コインボスが高額だった頃にも「戦闘が好きだから無料でやらせろ」という人はいたし、言い分はわかるのですが、こういった競争があった頃の方がオンラインゲームとしては盛り上がっていたのも事実です。それをこの時期にハウジング関係でやることに異論を唱えるのは間違ってはいないと思うのですが、様々な意見を見る限り納得のいく解決法はないように思えました。

ハウジング勢の「がんばっている人が報われない」というような意見を見るにつけ「ハウジング勢ってがんばってたの?」「好きでやってるみたいな雰囲気めっちゃ出してたけど...」という違和感を感じてしまいました。

他人のハウジングを熱心に見ている人間なんかごく少数で、たまたま目にしたら「すごいですね!」くらい言うかもしれませんが、そこまで当人達が選民意識を高く持っていたなんて正直知っていましたが、引きます。

 

ジャンルの細分化

前回バージョン4.3の感想でも書きましたが、今のドラクエ10は大きな影響力を持った個人の周りに人が集まっているというより、特定のジャンルに特化した人たちの小さなコミュニティが点在しているような状態。上に書いたハウジング勢もそうだし、常闇・聖守護者などのバトルを楽しむ人達や、ドレア勢・チャット勢・コロ勢などとかなり細分化されていて、プレイヤー全体に共通する要素は年々薄まってきているように見えます。

沢山の人を呼べるような配信者は軒並み引退し、ブログランキング全体のPVや5ちゃんねるの書き込みもここ数か月で目に見えて減少しています。

プレイヤーの総数はそこまで極端に減っているわけではないと思うのですが、全てのコンテンツをやらなければならないという意識は大分なくなっているようです。

7年間かけて積み上げてきたコンテンツを個人が全て消費することは時間的に無理ですし、個々が自分の嗜好に合ったものを取捨選択して遊ぶのは当然の流れ。そうなるとプレイヤー全体に向けた間口の広い情報を個人が提供する事にも無理が生じてきます。今後の流れ的には特定のジャンルに特化した攻略や趣味を発信していく人達が細々と残っていくのではないでしょうか。

一つの懸念としては、ゲーム側がそういったバランス感覚を著しく欠いており、先の「ハウジング勢はお金がない」のような、ユーザーのローカルな規模の批判を受けることが今後多発するのではないかということ。

パクレ警部の騒動もそうですが、勢いのあるゲームでこういった細かい部分での批判が出てもそこまで炎上して拡散されることはまずあり得ません。取るに足らない事だからです。

ゲーム全体に勢いがあれば小さな問題は淘汰されて本質的な批判が残るのですが、もはやいちプレイヤーに全体を把握することが難しく、小さな問題がまるで全体の意見のように拡散されて、そういった炎上をまとめサイトが面白おかしく取り上げることによってネガティブなイメージだけが外部に放出されてしまいます。

小さなコミュニティの人達は、他のコンテンツに馴染めなかったりあきらめたりしてようやくそこへ辿り着いたわけで。良く言えば他のユーザーにとっては無害な存在なんですけど、その反面自分のテリトリーのものに関しては譲れないものがあるわけで、融通が利かないんですね。そんなものに運営がいちいち対応するのは物理的に無理なのでは?

パクレ警部騒動は追加シナリオという形で一応収めましたが、今後もこういった問題が多発することを想定した決断だったのかは疑問です。

 

ドラマ『ゆうべはお楽しみでしたね』 

f:id:miyabi-game:20190320062828p:plain

テレビ画面に映るドラクエ10のプレイ動画はなかなか衝撃的でした。

普段全くテレビを見ないのでよくわからないのですが、カメラワークや演技の一つ一つが見る者に強い不安を与えてきます。

一話目はゲーム映像やドラクエネタが多くて楽しく見れましたが2話目以降は相当辛いです。

スクエニの勘の悪さは時として『FF15』のような怪作を生むことがあるので見逃せないのですが、このドラマや『FF14』を題材にした『光のお父さん』も原作があるぶん無難で普通に質の低いものに落ち着いてしまっています。

しかしこの時期にこういうドラマを企画したこと自体に大きな意味があります。こういうヤバい企画はこれからもどんどんやってほしいですね。

 

 

ドラマの影響なのかわかりませんが久々に入った初心者サーバーは他のサーバーよりも賑わっていました。メギストリスでは討伐売りもないのに多くの人が集まって雑談しています。大体がドラクエ10と古参プレイヤー(おっさんとおばさん)の悪口で、学生っぽい人が多いようです。

現在ドラクエ10はバージョン2まで無料で遊べるキャンペーンを実施していて、無料の人はチャットが出来ないのですが、正直このゲームを今からドラクエのナンバリングとして楽しむにはちょうど良い範囲だしチャットもしなくて良いと思います。

他の派生作品に出てくるキャラをチェックするのにも適しているので今遊ぶならドラクエファンにはお薦めですね。

 

twitter.com

子供部屋おじさんゲーマー

ここ最近話題のワード「子供部屋おじさん」

起源はプロゲーマーのウメハラさんがテレビ出演した時に映った彼の部屋が「勉強机にベッド」という、まるで子供部屋のようだったことからきているようです。

これを馬鹿にしている実況民を「お前らも子供部屋おじさんだろ」という煽りに反応してしまった多くのネット民によって各方面に広がってしまいました。

現在「子供部屋おじさん」の定義は

・実家に住んでいる

・年齢は30~40代

・独身

・社会人

ここに年齢や収入、異性との経験人数から趣味まで様々な定義を含む場合があります。

主にネット民を煽る言葉で、ネット上で好感度の低い「政治語り」「自分語り」「女性差別」「ネトウヨなどの言説を振りかざす男性に向かって「おまえそれ子供部屋から書きこんでんの?w」というワードの使い勝手の良さ・効果は絶大。

今までネット上という匿名の安全地帯から好き勝手言っていた一部の「子供部屋おじさん」の地盤を根底から崩しかねない破壊力を持っています。

当の「子供部屋おじさん」コスパ」「不動産屋の陰謀」などで対抗しているのが現状。

 

ひどい差別的な言葉ですよね。

私は以前結婚相談所に勤務していたことがあるのですが、確かに実家住まいの男性というのはあまり人気がありませんでした。

友人に素敵な男性を紹介しても「でも実家住みなんでしょ?」と渋い顔をされることもしばしば。

特に社会的に自立している女性からは20代半ばの若い男性でも一人前に見てもらえなかったりします。

そういう人に対して私はいつも「様々な事情の人がいるので一括りにしてしまうのは想像力の欠如なのではないか」と批判してきました。

 

名古屋への違和感

生きていると色んな人と出会い、時にはそれによって嫌な思いもたくさんします。

まだ出会って間もない人に「どうしてこんな嫌な事を言われなければならないのだろう」「どうしてこの人はこんなに攻撃的なのか」など。

インターネットで人気のブログを閲覧したり動画配信を見ても、上手く説明出来ないふとした言動に今まで遭遇した嫌な人の特徴を見出してしまって好きになれないことが稀にあります。

そんなある時、私の嫌いな人が地元の名古屋に帰ったことを聞きました。偶然それと同時期に以前から違和感を感じていた配信者が名古屋出身だということを知りました。

だんだん気になってきてリアルで嫌いな人たちの出身地をSNSで確認したのですが、他に名古屋出身の方はおらず、私のただの思い過ごしでした。

…と思ったのですが、違和感を感じていたブロガーや配信者を調べると、何とその8割が名古屋出身だということがわかり、さすがにこれはどういう事かと思い名古屋民について調べてみたところ…

 

・仕事の関係で名古屋に住んでるが、周りのいい年したおっさんおばさんが実家暮らしばかりで驚いてる。退職した31歳の男がいたけど、退職手続きに親が来たのには言葉を失った。凄い県民性だと思う。

・若い人も年寄りもなんで独り言ばっか言ってんの?汚い言葉ばかりの独り言。

・人の容姿や悪口をイキイキと話す。

・くだらない揚げ足取りが大好き。平気で人前で韓国人や中国人の差別をする。

・すれ違う時にジロジロ観察するように見てくる。常に自分が正論、合わない違う意見はおかしい奴、店員は下、買ってやる、食ってやる。客には売ってやる食わせてやってる、などなどなど…

・地元にいて同級生とか田舎の狭い人間関係だけで完結していて、さらにはいつまでも実家暮らしとかで甘やかされてたら、どうしても人間井の中の蛙になりがち。名古屋にはそういうのが多い。

・コンビニ店員が上から目線の奴が多いから中国人がレジ打ってる店に行くようにしている。

 

これらはあくまでも愛知県外の人から見た一部の意見ですが、調べてみると2015年のデータでは名古屋市30~34歳独身男女の親との平均同居率が70%という調査結果があります。2012年調査の首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)の42%に比べると確かに高いです。

※二世帯同居では愛知15%・東京8%と高く見えますが国内全体ではそれほどではありません。

そういった同居率に加えて愛知県は工業・農業における出荷・自給率が高く、一生を県内で過ごす人の割合が高く、独自の価値観を形成する環境が生まれやすい。

これが他県の人間からすると激しい違和感や排他的なイメージに繋がっているのだと思います。

同じ日本人でありながら彼らの選民意識や、それを他県でも振りかざす態度は知らない人からすれば上記したような悪いイメージに簡単に繋がってしまいます。

こういった「名古屋民とそれ以外」のお互いの文化の違いを知る機会があまりない状態のままネット時代に突入してしまったことで数々の衝突が起きているように思えます。

ともすれば強い選民意識は差別的なものへ繋がりやすく、ネトウヨ2ちゃんねるのようなものとの親和性も高いわけで。

 

どうして名古屋の話をしたのかというと、「子供部屋おじさん」「ちゃんと稼いでいる」「自立していない」という状況と、両者の持たれているネガティブなイメージが共通するからです。

経済的には安定し、それをアイデンティティにすることで実家から出る必要性を感じていないわけですよね。で、自分の行動範囲の外側から来る人にはマウントを取りがち。

政治や社会情勢について語るのも自身の経験や他者を思いやる気持ちとかが軸にあるわけじゃなくて、勝手に日本を憂いていたり、一言物申してやろうという無意識に自分を大きく見せようとしている感じが前面に出てしまっていて鬱陶しく、誰の何の役にも立たない(おじさんの虚栄心を満たすためだけの)言葉だから聞かされる方も苦笑いしかできません。

おそらくこの「子供部屋おじさん」問題も政治・社会的な切り口で他人事のように(ドヤ顔で)語ってくれることでしょう。

 

子供部屋おじさんゲーマー

『『ガンダム』のとき、すでに(監督の)富野由悠季さんが、自分の仕事はアニメファンにパロディーとしての場を与えているだけではないかという、鋭い指摘をなされていた。僕もそれを実感したのは『セーラームーン』です。あのアニメには中身がない。キャラクターと最低限の世界観だけ、つまり人形と砂場だけ用意されていて、そこで砂山を作ったり、人形の性格付けは自由です。凄く使い勝手のいい遊び場なんですよ、アニメファンにとって。』(庵野秀明)

 

…まさに子供部屋そのもの。

 

この庵野監督の指摘は一部のゲーム・アニメファンの幼児性を的確に捉えています(作品そのものとは無関係)。もちろん似たようなケースはどのジャンルにも存在しますが、一般的に偏見の対象になりやすいアニメやゲーム。ここはゲームブログなので「子供部屋おじさんゲーマー」について書いていきます。

 

ゲームが商品である以上、それを買った消費者が個人的に評価を行うのは自由ですよね。ネットにレビューを書くときは客観的に「良い点・悪い点」を書けば、購入を検討している人たちの役に立つ情報として機能します。

ところが一部のゲーム作品では批判を一切許さないようなものもあります。

全肯定のみ。

「俺はおもしろかった。だから文句言うな」というようなもの。

そういう作品に寄せられるAmazonでの絶賛レビューも、一行とか二行とかの非常に短い文のものが多いです。

庵野監督の指摘からもわかるように、ファンが作品を私物化・一体化することによって、その作品を批判することはそのファンの存在を否定することになってしまいます。

マイノリティな趣味を持っていれば、それによって差別された経験から他者との相対化を経て多様性や柔軟性、もしくは強固な理論武装を獲得したりするものですが、近年ゲームそのものがそこそこの市民権を得てしまったことによってファン自身も根拠のない自信を持ってしまいました。

それにより、個の内側に批評性を持たない、作品から自立出来ないファンを大量に生み出すことに。

こういったファンが対象の作品そのものを愛しているのかといえばそんなことは全然なくて、自分のアイデンティティが崩れるようなもの「プラットフォーム・自分の嫌いな層へのアプローチ」「自分の推しているキャラの退場」など、作品の面白さとは全く関係ないような部分で突然キレたりします。

「値段が高くて買えないや」と言う子供には「貧乏人は買わなくて結構!」と言っておきながら、自分の好きなキャラが作中で死んだりするとブチギレたりします。

そのキャラに自己を投影しているとかではなくて、自分の居場所を脅かすような出来事にうまく対処できないんですね。

批判する人(敵)に対抗する時も自分の意見なんてないから開発者目線になりがちで、大きな後ろ盾があれば黙らせられると思っているんですね。幼稚だから。

ネット上では同じ趣味の人同士が集まるので一見付き合いやすく見えますが、少し長く付き合っていると他人との距離の詰め方などに異常なものを感じることがよくあります。

最近では有野課長(よゐこ)の「アプリはやりません そこにエンディングがないので」というTwitterでのつぶやきに

「ちゃんとエンディングのあるアプリもありますよ!」

「○○(ゲーム名)などはどうでしょうか!」

「決めつけは良くないですよ!」

「ちゃんと探したんですか?」などのクソリプが飛び、

「やかましい事になってきているので明日コレ削除します あー やかましい」有野課長を怒らせてしまうという出来事がありました。

他人に自分の価値観を押し付ける行為はもちろん嫌われますが、この場合は価値観ですらない感じがするので「やかましい」という表現は言い得て妙。

このやりとりだけでもう、普段人とちゃんとした会話をしていないか、人の話を聞かない・聞けない人だと見抜かれてしまいます。

相手の立場や気持ちを想像出来ず、自分の部屋で起きていることのように錯覚して脊髄反射的に反応してしまう。

こういった一部のゲーマーのイメージも残念ながら一部の「子供部屋おじさん」と共通してしまいます。知識の使い道がことごとく間違っていて、逆に他人に迷惑をかけてしまうという。それでいて無自覚。身内でちょっとちやほやされると簡単に全能感を得てしまい大きな声で世相を切ったり弱者を踏みつける。

肯定されると簡単に「仲間認定」し、少し批判されるとすぐに「裏切られた」と感じてしまう。

求められてもいない余計な説明をしがちで、その加減がわからない。

身近に理解者や意見を言ってくれる人がいないので、どこまでも果てしなく暴走します。

 

何故おじさんなのか

これはただ単に男性の多い匿名掲示板発祥の言葉なのでそうなっただけだと思いますが、案の定痛いところを突かれた一部の「子供部屋おじさん」によって女性版の同義語も既に作られています。

今までのこういった差別的な言動が嫌われていたことが原因で広まってしまった言葉なのに相変わらず無自覚なのがすごいです。

これまで外国人労働者非正規労働者生活保護受給者などを国を盾に批判してきたわけだから、少子化に加担している独身男性が批判されるのは自分自身の理に適っているのでは?

その矛先を自分と同じ境遇の女性に向けるなんて流石ですね!

 

30~40歳で結婚はおろか恋人もいないというのは、その人自身に何らかの問題があるのは確実ですが、それによって女性蔑視的な思想を育ててしまうのは効率が悪いというより何かがもう既に壊れている可能性があります。

 

ここまで書いてきた、ネットでのネガティブな評判を見てしまった名古屋の人や、世間から厳しい目で見られがちなゲーマーと同じく、「子供部屋おじさん」というワードによって多くの独身男性が傷ついていると思うし、そういう偏見や言葉は早くなくなってほしいと思います。

しかし一方で、これらの環境によって排他的で独善的な、いわゆる「人から好かれ難い人格」を形成しやすいとも考えられますし、こういった偏見を生み出している一部の人たちがこういう蔑称によって変化するとは到底思えません。

 

昭和90年代

「子供部屋おじさん」の親世代~60年代にロックンロールやニューシネマが旧世代との断絶を志向し若者文化が生まれ、70年代日本の学生運動は国家すら解体しようとした「自立の暴走」ベトナム戦争終結によって鎮静化~その後80年代大量消費文化を中流家庭の一軒家で少年時代を過ごした現在の30~40代が、今でもその家の子供部屋でガンプラやパソコンを組み立てているのかと思うと狂気を感じずにはいられません。

いい大人がまとめブログの知識で政治を語ったり、日本という国家を憂いてネットで他人を監視し説教を浴びせるのも、彼らがまだ昭和という時代の檻に囚われながら叫び続けている悲鳴のような気がしなくもないです。

ネットで一部の攻撃的な「子供部屋おじさん」の言動を見ていると、「自立」がどうとか以前に「若者」にすら成れずに年老いてしまっているような印象を受けます。

家庭環境や様々な事情で自立できない・結婚しない人を責めるのはお門違いだし、こんな陳腐な蔑称は一刻も早く風化してほしいです。

一部の、ネット上でヘイトをまき散らす人に対しても決して関わらず煽らず、ノスタルジーの世界の中を全力疾走するドリーマーとしてのおじさんに、心の中で「がんばれ!子供部屋おじさん!」と、陰ながら応援していきたいと思います。

ファークライ ニュードーン(PS4)

f:id:miyabi-game:20190228200209j:plain

ファークライ ニュードーン

2019年2月15日

ユービーアイソフト

Playstation4Xbox one

 

 

「あれ、これってメタルじゃね?」

…20年以上活動しているパンクバンドの新曲を聴いて一瞬混乱することがある。

初期衝動で世に出たバンドがその長い活動の過程で歌や演奏が洗練されて、音楽への造詣も深めてルーツ的なモノを取り入れたりすることによって「ただのありふれた巧いバンド」になってしまうことはよくある。

別にいいけど、でも、やっぱり何かしっくりこない。

そこで自分が音楽に何を求めていたのかを再考せざるを得なくなる…。

 

ファークライニュードーン』を2時間ほど遊んでみて私の頭をよぎったもの…

あれ、これって…?

ゲームの中で車を走らせながら考える。時には敵に見つからないよう森の木陰に車を停めて考える。

私は一体何をやっているのだろうか…と。

 

f:id:miyabi-game:20190228200640j:plain

今作は前作『ファークライ5』の続編。前作で核爆弾が落ちてから17年後のホープカウンティはカラフルな植物と廃墟で構成された美しいポストアポカリスの世界。

この世界観が今作のストーリーにそれほど生かされていないことはすぐにわかった。

いや、生かされてないというよりはこれまでのファークライストーリーテリングをそのまま今作の世界観に当てはめても何の違和感もないので新鮮味に欠けると言った方がいいかも。

前作から大分丸くなった印象のあるファークライだが、カルトを扱った世界観は尖っていたしボスキャラのファーザーもクセの強い奴だった。

f:id:miyabi-game:20190228205228j:plain

今作の世界ではバイカー集団が幅を利かしていて、そいつらを束ねる姉妹は魅力的だがそれほど強そうには見えない。

よく見るとマップも狭くなっている…。

 

もう一度…車を停めて考える。

 

これは私がやりたかったファークライではないのではないか?

 

窓の外へ目をやると現実と見紛うような美しい景色が広がっている。

f:id:miyabi-game:20190303075152j:plain

まるでラッセンの絵画のようだ。

それがますます私の中の「これってメタルじゃね?」という不安を掻き立てる。

 

そんなことを考えながらいつものように敵の拠点を攻めていく。

今作では一度クリアした拠点を「攻め直す」ことが出来るようになった。

クリアするたびに拠点のレベルが上がり(上限レベル3)、敵の種類や警報器の数が増えたりする。

f:id:miyabi-game:20190228210113j:plain

レベル2の拠点の敵はヘルメットを被っていてヘッドショットを決めてもヘルメットが吹っ飛ぶだけで、素早くもう一度狙わなければ拠点全体の警戒を高めてしまう。

レベル3になると処刑人という特殊な敵が配置されて肉眼でしか姿を捕らえられなくなる。

今作では前作に引き続きRPG的な成長要素も強化されていて、地道にスキルを解放していくことでゲーム中のあらゆる攻略をヌルゲーに出来る。

f:id:miyabi-game:20190228210005j:plain

私はファークライではいつもステルス行動に徹していて、拠点の外からスナイパーライフルで制圧するのが好きだ。

そんな私のようなタイプには、あえて強化はしないで高レベルのミッションに挑むことでスリルと歯ごたえのある戦闘を楽しむことが出来る。

ヘルメットの敵も首部分の装甲の隙間を突けば一撃で倒すことも出来る。

お…おもしろい!!!

 

f:id:miyabi-game:20190228210709j:plain

RPG要素と書いたが、自分の拠点も様々な方法で収集したアイテムを消費することによって強化することが出来て、それによって様々な装備・乗り物・ミッションが追加される。

中でも特筆すべきなのが「探検」というミッションだ。

f:id:miyabi-game:20190228211053j:plain

今作ではマップが狭くなったと書いたが、マップ上には素材集めや宝探しのような探索・発見に特化したミッションだけが散りばめられていて、本格的なミッションはメニュー画面から「探検」を選べば、いつでも気軽に遊ぶことが出来る。

しかも新マップが7つも!

f:id:miyabi-game:20190228211210j:plain

f:id:miyabi-game:20190228211331j:plain

廃墟と化した遊園地から原発までバラエティに富んでいて廃墟好きにはたまらない。

前作の有料追加DLCでは制作会社の違いからかグラフィックも劣化していてがっかりしたのだけどこの「探検」には大満足。

使いまわしマップは適度に飽きない程度に縮小し、しっかりと新しい遊び場を追加する今作のゲームデザインは『5』の続編としては100点に近いかもしれない。

 

この時点で序盤に感じた「あれ…これってメタルじゃね?」という違和感はほとんど消えていた。

私がファークライに求めていたヒリついた空気やプレイヤーへの問題提起を促すような「問題作」としてのファークライはここにはない。

だが、あくまでもゲームの遊びとしての進化を地道に、誠実に成し遂げようとしている姿勢はシリーズとしての信用を上げている。

 

ストーリーにしてもそう。

今作のストーリーは時間にしたら短いしスケールも小さい。

でもそれは決して悪い意味ではなくて。

 

今作のストーリーのテーマは「家族」だった。

f:id:miyabi-game:20190228211806j:plain

展開されるいくつかの小さな家族の物語の中には前作で知り合った人たちも含まれる。

前作は核爆発というプレイヤーにとって理不尽な結末だったが、今作のエンディングでプレイヤーは祝福される。

それは小さな家族の、ビールひと口分の小さな祝福かもしれないが、プレイヤーが自らの手で勝ち取ったものだ。

 

ゲームに何を求めるかによってファークライの評価は変わる。

今作で初めてシリーズに触れる人にとっては冒頭での私のように「綺麗で、巧いだけ」のヘヴィメタルラッセンの絵画のような退屈なアートに感じるかもしれないし、逆にそういうものが好きな人にとっては普通に面白いゲームかもしれない。

本作は『5』をプレイ済みのファンへ配慮しながらFPSとしての精度を上げた「価値のある続編」にはなっているが、おそらく多くのゲーマーからの高評価は得られないだろう。

個人的には大好きだけど、今作もやはりまた「ファークライっぽい」としか形容のできない異色作になっている。

 

twitter.com

復活したSyamu_Game人気の源流を辿る

Syamu_Game(シャムさん)は2010年~2014年までYouTubeニコニコ動画などで活動していた動画投稿者です。

f:id:miyabi-game:20190225155507p:plain

2014年の「オフ会0人動画」で人気に火が付き、引退後の2015年に過去動画や加工されたMAD動画がネット上で爆発的なブームになりました。

そんなシャムさんが2018年12月に復活を遂げるとTwitterフォロワー数は1日で20万人を突破し、その後も1分間に500人のペースで増え続けあっという間に30万人を突破。

HIKAKINさん(290万)はじめしゃちょー(400万)のような化物レベルのユーチューバーと比較すると少なく見えますが、インフルエンサーとして有名なはあちゅうさん(22万)のフォロワー数をたった1日で抜いたと言えばその凄さが解るかと思います。

 

当記事ではシャムさんがどうしてここまで世間に受け入れられたのか、その下地となった背景を推察していきます。

個人的にシャムさんは所謂興行的なエンターテイナーではなく、業人が周囲を巻き込んで結果的にエンタメ的な盛り上がりを見せた「現象」として捉えています。

 

因果鉄道に乗って…

f:id:miyabi-game:20190227143003j:image

根本敬『人生解毒波止場』(1995)より~著者による精神病棟レポート

漫画家の根本敬氏(以下敬称略)が1993年に出版した『因果鉄道の旅』は多くのアーティストやテレビ・出版業界人に影響を与えた名著として知られています。

それまで大衆に張られた特定のレッテルや分類されたイメージの中に閉じ込められていた勝新太郎や奥崎健三を「己の星の下に生きている」という肯定によって解き放つ活動は、韓国のタクシー運転手から釜ヶ崎のホームレスなどボーダーレスに広がり、その鋭い洞察力や膨大な取材量から導き出される新しい価値観は根本敬系宇宙」への理解を深めるだけでなく、新しいエンタメの方向性をも提示する事件でした。

 

それまでテレビが取り上げていた素人は所謂「陽キャ」。『欽ちゃんの仮装大賞』や『天才たけしの元気が出るテレビ』に出てくる素人は製作者側の切り口こそ違えど「ちゃんとした」素人でした。

テリー伊藤のプロデュースしていたテレビ東京浅草橋ヤング洋品店』(92〜96年 後の『ASAYAN』)は元から攻めの姿勢が強かった番組でしたが、根本作品のエンタメ性にいち早く目を付けたテリー伊藤は番組に根本敬を呼んで「ホームレスファッションショー」という、本物のホームレスを大量に出演させた企画を撮影します。

f:id:miyabi-game:20190227143030j:image

※『浅ヤン』出演予定だった方

もちろん過激すぎてVTRは放送されずにお蔵入り。

テレビでは無理だということでその後テリー伊藤根本敬と組んで創価学会北朝鮮といった業の深い組織や国をエンタメ本にして出版していきます。

2017年にアマゾンプライムビデオの『今田×東野のカリギュラにおいてホームレスだけを集めてクイズ大会を催す企画が配信されましたが、正直素人のネット配信がこれだけ普及した現在にエンタメとしての可能性はあまり感じられませんでした。

f:id:miyabi-game:20190227151754p:plain

※『今田×東野のカリギュラ』2017年6月23日配信回

もし当時テリー伊藤のホームレス企画が放送されていたとして、「お茶の間を下品のどん底に叩き落とす」という90年代サブカル的な価値は持たせられたかもしれませんが、エンタメとしての新ジャンル確立などは到底出来なかったでしょう。おそらく根本さん自身にそういった自分の作風をメジャーに押し上げたいなどという野望はなかっただろうし、現在も独自の方向性で活動しているのですが、2018年になってもまだこういう企画をエンタメとして成立すると思っている業界人がいるというのは驚きです。

根本敬によって、今まで腫物のように扱われていた人物を面白がってよいという価値観の変革はあったものの、それをテレビや映画のサイズに落とし込むにはそれ相応の時間や忍耐を要することは奥崎健三を追ったドキュメンタリー映画ゆきゆきて神軍を監督した原一男の制作ノートを読めば、その鬼気迫る壮絶な対象との格闘を垣間見ることが出来ます。

 

大衆性を獲得した『ゆるキャラ

f:id:miyabi-game:20190227143152j:image

※「ニャンまげ」とみうらじゅん

根本敬とほぼ同時期に月刊漫画誌『ガロ』でデビューしたみうらじゅん。二人はお互いを「陰と陽」「戦友」と讃え合うほどに作品のモチーフが共通しています。

根本敬が「人物」に寄っているのに対してみうらじゅんは「モノ」に寄っているという違いはありますが、「それまで誰にも見向きもされていなかった」「業の深いもの」の観測者として、またはそれらをコラージュ・エンタメ化するアーティストとしてお互いを認め合う良きライバル関係を築いています。

シャムさんもそうですが、最近だと「性の喜びおじさん」がある種の「ゆるキャラ」的な人気で持て囃されたのもこのような下地があったことが大きいのではないかと考えられます。

f:id:miyabi-game:20190227152600p:plain

京王井の頭線で撮影された「性の喜びおじさん」

そもそも「ゆるキャラ」自体が業の観測者であるみうらじゅんによって発掘・顕在化されたものなのです。

 

90年代リバイバル

ここ数年の一億総ツッコミ時代(マキタスポーツ)ともいえる、ネットに上がったツッコミどころ満載の画像のバズり方を見ていると、トマソン』(赤瀬川源平)~『VOW』(宝島社)~みうらじゅん的な、正確には80年代後半から90年代中盤までのサブカルの流行を反芻しているような印象を受けます。

しかしかつての出版社主導の流行ではなくSNSで無秩序に拡散されているためルールが存在せず誰でも手軽に投稿できるため、注目されることだけを目的として他人や企業に迷惑をかけたりする人が続出し毎日のように炎上しています。

そういった拡散の過程で、かつては一線が引かれていたみうらじゅん的なポップな「キャラ」と根本敬的な「業人」との境界線も曖昧なものになってしまいました。

出版社主導の時代はラジオのネタ投稿と一緒で編集者の審査を通ったものだけが雑誌に掲載されていたのですが、そういった検閲をパスポートなしで簡単にくぐり抜けられる素人投稿はもはや「おもしろくなくても注目されれば良い」という「おもしろさ<注目度」という逆転現象を起こし、ツッコむ側も素人なのでおもしろさよりも炎上を楽しむという有様。

この、90年代サブカルリバイバルの無秩序な拡散には観測者が存在せず(いたとしても機能しない)、一つのコンテンツは無責任な大衆にあっという間に消費され、その激しい移り変わりに巻き込まれた人はすぐに飽きられ、今後も文化として確立される事なく悪い側面だけが拡大していきそうです。

シャムさんが活動していた2011年~2014年という時代にはまだ今ほどスマホSNSが普及しきってはおらず、現役時代は2ちゃんねるにスレが立つ程度でした。

今では動画投稿サイトが爆発的に増えて、アプリで気軽に見たものを切り取ってSNSに張り付けて一瞬で消費されます。

こういった流れにシャムさん的な人が今から乗れるとは到底思えません。

2018年に復活したシャムさんはその不在時におけるスマホの爆発的普及期間に天然物の最後の殉教者として祭り上げられた生贄なのかもしれません。

 

働くおっさん人形

80~90年代のサブカル的な視点がどうして世間一般に広まったかというと、それはもう松本人志という人間一人の仕業なのではないかと。

松本人志の芸がサブカルに影響されたというよりは元々の資質にサブカル的なセンスが内包されていて、周りの子供たちが特撮ヒーローを見て「かっこいい!」と言っている中で松本少年は「なんで下タイツやねん」というツッコミ視点から自らのボケへと発展させて芸風を確立させたわけで、ツッコミとボケを同時に発想できる天才です。

ダウンタウンがまだ無名時代に電気グルーヴが握手を求めてきたエピソードとか、メジャー化する前からサブカル界隈では圧倒的支持を得ていました。

大阪時代の番組レギュラーにはみうらじゅんもいたし、『ごっつええかんじ』の曲の監修に根本敬擁する「幻の名盤解放同盟」が関わっていたりと親和性も高い。

特に96年に発行されたVOWでやんす!』は、みうらじゅんがゲストに自分が集めたバカな写真を見せて一言貰うという企画なのですが、ここでの松本人志の発言はもはや神がかっており、今では普通に大喜利のネタとして使われている「写真で一言」をコンテンツとして成立させてしまいました。

現在アマゾンプライムビデオで地上波では出来ない過激な笑いを追求する彼も、00年代あたりは地上波で実験的な企画を展開している時期がありました。

その中の一つに2002年~2003年にフジテレビで放送された働くおっさん人形があります。

 f:id:miyabi-game:20190227145833p:plain

※『働くおっさん劇場』より~一番右が野見隆明さん

一般の素人中年男性を数名並べて松本人志が色々質問したり、要求した軽いアクションを見せたりするだけの番組なのですが、これが本当にすごい。

出てくるおっさんの顔がどれももう正に根本敬の提唱する「イイ顔のオヤジ」そのもの。どの方も逸材で、所謂テレビに出たがるような素人ではなく、何故自分がテレビに出ているのかよくわかっていないようなリアクションが新鮮でした。

かねてから松本人志「素人がいちばんおもろい」と言っていて、それの最良の人選が無意識に根本系宇宙とシンクロするという奇跡。

根本敬のようにその人と深く長く付き合ってレポートするという手法ではなく、あくまでもお笑い的な面白い要素を引き出すためにおっさんを個室に入れてマイクのみで対話する(『働くおっさん劇場』)という入念で周到な舞台を作っています。

この設定からは松本人志なりの素人に対する配慮や敬意がきちんと払われていて、ともすれば単なる晒し者になりかねない「素人イジリ」を番組として成立させようとするプロ意識が窺えます。

その後続編である働くおっさん劇場』(2006~2007年)を経て2011年の松本人志三作目の映画監督作品さや侍では、おっさんの一人である野見隆明さんを主演に据えて映画を撮るというところまで発展しました。

映画の出来には満足していた松本さんでしたが、素人から突然映画の主演俳優に抜擢された野見さんはかなり調子に乗ってしまったようで「しばらく放っといたるねん」と匙を投げられてしまいます。

ここに「素人イジリ」の難しさ、デリケートさが見て取れます。

あの松本人志をもってしてもこれが限界です。

その後松本さんは番組で素人を使うことなく芸人主体の企画にシフトしていきました。

素人を芸能の世界に巻き込むことには細心の注意が必要だし、自分の扱いによって成立していた野見さんという存在をタレントとして今後も保証することなど出来るはずがない。

幸い映画はあまりヒットもせず、酷評も監督のみに向けられたので野見さんにダメージはなく、むしろ一時でもスターになれたメリットの方がはるかに大きかったはずです。

 

復活初日、Twitterのフォロワー数が信じられないくらい増え続けたシャムさんもきっと野見さんのように浮かれていたのでしょう…。

 

ニコニコ生放送と横山緑

f:id:miyabi-game:20190225155603p:plain

※配信中の横山緑

横山緑は素人動画配信黎明期の2009年から立川市議に当選した2018年までニコニコ生放送の雑談系生主としてニコニコチャンネル「暗黒放送」で配信界に一時代を築きました(2019年現在も定期的に配信中)。

彼の周りには一癖も二癖もある配信者達が集い、横山緑監督の自主製作映画『森田義之・com』にはそれが顕著に表れています。

 

f:id:miyabi-game:20190225155633p:plain

※横山緑監督『森田義之・com』の1シーン

この映画、(一見すると)普通に働いている健常者がほとんど出演しておらず、実際に何かしらの問題を抱えている人達が集まっている凄味が映像から感じられます。

自分の放送を「人間ドキュメント」だと言う彼の主張通り、暗黒放送は雑談から牛丼屋での食事、夫婦喧嘩で家を追い出されて深夜の街を彷徨う横山緑自身の様子を生放送で延々と配信していました。

生配信なので全く編集されておらず、正確には「ドキュメントの素材」状態なのですが、配信がまだアングラな時期で現在ほど規制も厳しくなかったのでハプニングを期待した多くのリスナーを獲得していきました。

 

f:id:miyabi-game:20190225155739p:plain

※突発的なバイオレンスも一部始終配信される

横山緑の周りには数々の仲間~嘘つき・犯罪者・引きこもり・メンヘラ・性豪などなどバラエティに富んだ生主たち(本人含む)が集まってくるのですが、そういった自分より格下に見ている仲間のおもしろくない話を何時間も延々と聞いたり嘘に付き合ったりする接し方は、ただ単に見世物・笑いものにしてやろうという計算が感じられない、良い意味での「非エンタメ」でした。

ここにはそれまでの出版社・テレビ主導の「演出された素人」との断絶が見られます。

一芸にも秀でていない・見てくれも性格もよくない…ニコニコはいわばそういう人たちにとっての「場」であったわけで、そこにエンタメ的なおもしろさを求めたりレールを敷いても彼らはすでに脱線した状態にあるわけで…。

一度ライブハウスの企画でプロインタビュアーの吉田豪が横山緑に「なんかおもしろいことやってみて」と振ったのですが、横山緑はもちろんその振りに何も答えられず完全に見切られてしまうという出来事がありました。

これは90年代のサブカルを当事者として生きてきた吉田豪からすれば当然の判断で、ここら辺の(表舞台に上げて良い・悪いという)線引きが出来ない人がまだまだ多い事が現在のネット上での「勘違い素人」量産に繋がっているのではないでしょうか。

復活したシャムさんの動画を「昔よりおもしろくない」という意見を多く見ますが、加工されてない過去のオリジナル動画とシャムさんの現状を鑑みれば納得できます。

本来ならシャムさんはシバターさんが指摘したようにピアキャストやニコニコで消費され尽くして然るべき人だったはずが、圧縮されたネタ動画拡散装置としてのスマホの普及によって生まれた一部の需要にぴったりとフィットしてしまった。

それに加えてシャムさんの絶大な自己評価の高さや、自己と他者との相対的な比較判断能力の著しい欠落は横山緑周辺の人達にはあまり見られないタイプで、ニコニコというアングラではなくSNSYouTubeといった大衆的な場で支持されることで際限なくその虚像を膨張させてしまいました。

 

f:id:miyabi-game:20190225155820p:plain

シャム動画の中でも有名な「シバターとの絡み動画」がありますが、ここでのシバターさんの手法は松本人志の模倣です。しかもこれまで書いてきた根本敬松本人志、横山緑のように対象と長期間関わるようなこともせず、芸人の見様見真似で適当にイジッて消費するだけの動画でした(シャム動画としては秀逸)。シバターさんがどうこうの話ではないけれど、結果的にその後のシャムさんのイジリ方の(無責任で雑に扱って良いという)お手本になってしまったし、シャムさん自身の中でもYouTubeで有名なシバターさんから注目されたという既成事実が「自分はメジャーな存在だ」という自己評価の底上げを起こしてしまったのではないでしょうか。

 

大衆人気の恐ろしさ

f:id:miyabi-game:20190227160020p:plain

※2019年2月22日のYahoo!ニュースより

話はゆるキャラに戻りますが、最近著作権問題で話題の「ちぃたん」というキャラがいます。このキャラは単なるご当地キャラではなく、クリーブラッツという芸能事務所主導の企画なのですが、アイドル好きからは「仮面女子」で有名な事務所。それも決して良いイメージではなく、所属タレントのTwitterフォロワーを業者から買ったりとある意味普通ではない、サブカル的な視点での注目を集めるような案件だったわけです。

一般の人はそんなことは知らないし、ろくに情報収集もせず「かわいさ」という広告的な常套手段に簡単に乗っかってくれます。

シャムさんの復活後のクズ発言を見て「こんな人だとは思わなかった」「前はもっとかわいげがあったのに」などと言っている人達も同類で、そういった流されやすい大衆を巻き込んでしまったことはシャムさんにとっては分不相応な幸福(または不幸)であって、もはや後戻りが出来ない状態に追い込まれてしまいました。

横山緑の生々しいドキュメント素材的な手法はそういったキャラクター化を避けることが出来ていたわけですが、シバターさんの芸人的なノリは図らずもシャムさんをキャラクター化し、メジャーへと押し上げる手助けをしてしまった。

これはニコニコとYouTubeのユーザー層の違いも大きく影響しているかと思われます(※ニコニコ30~40代・YouTube10~20代)

 

まとめ

それまでスポットの当たっていなかったモノや人を対象に独自の価値観を形成していった90年代サブカルチャー。そういったサブカル勢に圧倒的支持を得てサブカル的なおもしろさを一手にメジャーへと押し上げた松本人志

その後松本人志の番組で育った人たちがネットという場を得たことによってサブカル的な価値観を拡散していくのだけど、主導者や観測者不在の「場」はルールも批評も枠も存在しない無秩序な空間。「有名になりたい」という欲望は数字に固執する事のみによって目標を達成し、炎上は文字通りあらゆるモノや人を焼き畑的に次々と使い捨てていく。

萎縮し、早々に安全地帯へと逃げていった人たちは他人の欲望に嫉妬して攻撃。

不在時におけるシャムさんの伝説化は、そんな有象無象の欲望や憎悪が作り出した「永遠に壊れないおもちゃ」という幻想の産物だったのではないでしょうか。

シャムさんがすごいのは、オフ会に誰も来なかったこと自体ではなくて「彼女が出来ると思ったのに出来なかった」くらいの認識しかしていないところ。

なので「勘違いしてオフ会開いたのに誰も来なかったのかよ、だせえ」という煽りは一切効かないんですよ。シャムさんがオフ会を開いたのはただ単に彼女が欲しかったからで、「彼女が出来なかった」という事実が失望の頂点にあって、それ以上の現実は認識しないようになっているんですね。彼女はそれまでもずっといなかったわけで、つまり「たいして何も思っていない」からあんな動画が出せたんですよ。

普通は恥ずかしくて晒せないような姿を晒すのも、恥ずかしいと思ってないからで。あの動画を見て「嘘を付けない正直な人」という感想を持つ人がいるけど、恥ずかしくないなら嘘をつく理由がないですよね。だからといって恥という感覚がないのではなくて、一般の人とポイントが違うだけだと思います。文化人類学みたいなものですね。

シャムさんのような、己の欲望のみに忠実で、己の法で生きているような人間は松本人志が扱った野見さんや横山緑周辺の変わり者・はみ出し者とも違う、完全に根本系宇宙に属する業人なんだと思います。

そんな業人が松本人志の手法の上澄みを安易に真似たような素人集団によってイジリ倒されているというのが現状。

世間の常識(それも曖昧なもの)をシャムさんに当て嵌めて叩くアンチ、シャムさんをキャラ視してブームに乗っかる大衆、優秀なMAD職人、雑にイジる芸人もどき、サブカルの拡大解釈として嗜好する者…そういうシャムさんの周りで勝手に起きている竜巻のような現象が『Syamu_Game』の人気の正体であって、シャムさん本人とはあまり関係がないという気がします。

 

補記

・ここに書いた「90年代サブカル」は根本敬みうらじゅんが提唱した価値観から現在に影響があると思われる「人」や「キャラ」の一部分にスポットを当てて書いています。

マスコミがキャラとして面白がって持ち上げたオウム真理教が破滅する95年あたりまでを想定しています。

 

・「業人」の定義は難しいのですが、例えばシャムさんが何らかの障害を持っていたとして、周囲や本人が無自覚な状態のまま生きている状態を指すことはできます。または周囲からの干渉を受け付けない「強固な思想・価値観」によって迫害を受けたりしている状態。それによって周囲の人間を無自覚に巻き込んでしまうような人。自分以外の人間に理解されない苦しみを抱えている人も指します。

 

・今回はシャムさんというフィルターを通して90年代サブカルと現代の素人ネット配信について考えてみました。Syamu_Game自体にはファンとして今後も注目していきたいと思います。

 

アイコノクラスツ(PS4)

f:id:miyabi-game:20190222033334j:plain

iconoclasts

2018年1月23日

Joakin Sandberg

PS4.PSvita.switch 他

 

クリア後の感想です。

ストーリーのネタバレはありません。

 

今作『アイコノクラスツ』はスウェーデンのインディーゲーム。

丁寧に描かれた可愛いドット絵のキャラクターたちが繰り広げる壮大なストーリーとゼルダのような謎解き、メトロイドのような探索、マリオのようなアクションというかなり欲張りで贅沢な特徴を持ったゲームです。しかもそれがある程度自然な形で噛み合っているのだから驚き。

しかしもっと驚くべきことはこのゲーム、ヨアキム・サンドバーグ氏(86年-)がたった一人で実に7年もの歳月をかけて作り上げたということ。

 

真っ直ぐなゲームへのリスペクトにあふれた作品

f:id:miyabi-game:20190222063727j:plain

今作はインディーゲームによくあるような、プレイヤーにある程度ゲームに対する造詣の深さを期待する『アンダーテール』のような構造的なインパクトはありません。

上にも挙げた任天堂やドット絵時代のレトロゲームに対するリスペクトをメタ表現を使わずに、あくまでもゲームデザイン内に留めた形で表現しています。

開発者の顔が見えず、まるで古い名作ゲームを遊んでいるような感覚に陥ります。

ゲームの主役はあくまでもゲームであり、プレイヤーはゲームを遊ぶことでその全てをゲーム内で堪能することが出来る。

一般的に使われている「意識高い系」という言葉は、開発者自身の顔やメッセージが強調されたものを指すことが多いのですが『アイコノクラスツ』のようなアノニマス(匿名性)な表現の方がよりアート性が高く、ゲームとしても間口の広いデザインになっています。

ファミコン時代にマリオをプレイして「宮本茂の新作すげー!」と言う子供はいなかったでしょう。ゲーム単品として「壊れにくい、強固なもの」を目指した今作はその完成度によって任天堂リスペクトを体現し、プレイヤーはそのゲームプレイによって開発者のゲーム観を自然な形で受け取ることが出来ます。

 

群像劇で語られる世界

『アイコノクラスツ』の世界観は序盤ではほとんど説明されず、プレイヤーはよくわからないまま喋らない主人公を動かしてアクション大冒険に駆り出されます。

f:id:miyabi-game:20190222064109j:plain
登場するキャラクターはどれも個性的でアクが強く、それぞれのキャラがそれぞれの現在の立場で言いたいことをガンガンまくしたててきます。

プレイヤーはカップルの喧嘩の仲裁に入ったようなもので、最初は片方の言い分を信じていても、両者や近しい人間の証言を聞いていき自ら全体像を把握していくしかありません。

これは『ウィッチャー3』のプレイヤーからよく聞く意見なのですが、こういった構造を持つゲームに慣れていない人は序盤に理解が追いつかない話をスキップしてしまい話が進行するにつれてますますわけがわからなくなっていくという。

世界観の土台が練り込まれたゲーム程こういったことになりやすく、その世界の中のキャラはその世界の中で自然に暮らしていて説明的で不自然なセリフは言わせたくないというのは道理に適っているし、上手くいけばゲームの大きな魅力にもつながります。

実際に今作はそういったストーリーテリングにある程度成功していてファンによる考察も盛んに行われているし、ゲームの難易度も複数選べるので2周目も遊びやすくなっています(ダメージを受けないモードが選べます)。

 

謎解きとアクション

f:id:miyabi-game:20190222064202j:plain

見た目はレトロゲーム風ですがアクションは現代風にサクサクとストレスなく気持ちよく遊べます。主人公ロビンは様々な工具を使い謎解きやアクションをしていくのですが、ゲームの進行によって得られる新しい道具や、能力を上げる装備をクラフトしていくことによって新鮮味を最後まで失わずにプレイできます。

謎解きに関しては正直任天堂のものと比べると、段階的にプレイヤーを誘導することにはそこまでの完成度はなく「え?これでいいの!?」といった簡単すぎるものと超絶わかりにくい高難易度のものが並列に存在していて困惑することもしばしば。

その大きな理由としては今作が一本道でないマップを行き来して進行していくというゲームデザインによるものでしょう。

道に迷いやすく、目に見えるパズルがあるとその先に進路を期待して高難易度の仕掛けを解いた先にいらない素材しかなくてガッカリということも。

こういう部分までレトロゲーを真似なくてもいいんじゃないかとは思いました。

ストーリーを進めていくだけなら丁度良い難易度に設定されているのですが、パズルの先が見えないことがあるので本来ならあきらめてよいはずのパズルをスルーしにくくしているマップデザインは改善の余地があるかと思います。

 

f:id:miyabi-game:20190222064527j:plain

※仲間との協力でギミックを駆使して挑むボス戦

ボス戦はどれもギミックに富んでいて一発でわからないような所謂「死にゲー」だったりもするのですが、ビジュアル的に派手で楽しいものが多く難易度もそこそこ。

 

急成長するスウェーデンのゲーム産業

今作『アイコノクラスツ』はインディーゲームだとは信じられないような緻密で普遍性の高い傑作です。国や個人の持つアイデンティティを出来るだけ削って世界標準の作品に意図的に仕上げているような印象を受けます。

スウェーデンは母国語のスウェーデン語の他に第2言語として英語が話せる人の割合が世界で最も高く、それによって音楽産業でグローバルな成功を収めています。

私が好きなスウェーデンのインディーバンドも貧民地区出身だけど国の援助でIT系の研修を受けながら普通に英語で歌っています。

ゲーム産業も2008年のリーマンショックを乗り越えた後で急成長を遂げていて、EAやUBIなど多くの大手ゲームパブリッシャーもスウェーデンに一部開発を任せています。

当ブログでも書いた私の超絶大好きな『マッドマックス』や『ファークライ3』もスウェーデン開発によるもの。

世界中を席巻した『マインクラフト』もスウェーデンのインディーゲーム。

イクラに関しては多くの日本のゲーマーが「日本が作るべきゲームだった」と指摘する通り、ゲームのスタンダードの見直し・咀嚼・換骨奪胎を経てその先のビジョンまで具体的に提示してしまいました。

もはや勝ち目なし。

ゲームデザイナーという以前に、その基盤を作る教育から負けてるしチャンスも少ない日本。

『アイコノクラスツ』は図らずも「奇抜なキャラクターや設定」を用いず、深いゲーム理解とグローバルな視点を持ったレトロゲームのスタンダードを作ってしまった、しかも個人で!

世界的に有名なゲームキャラクターをまだ持っていないスウェーデンですが、逆にここまで確立されたスウェーデン産ゲームにキャラ人気の爆発が起きたら凄いことになるでしょう。

今作は日本人の私にとっては恐るべき傑作だったのだけど、日本国内では全く重要視されていないし、相変わらず日本のゲーマーがスウェーデンのゲームを軽視しているのが残念です。

 

twitter.com